第23話 試験結果

 陽創学園の試験は並大抵のものではない。国内屈指のセレブが集まる学園として知られる以上、その身分に相応しい教養が求められる。


 この学園の試験が難しいと言われる理由の一つは、たかが中間考査であろうと必要とされる学習範囲が明確に定められていないことだ。

 そしてもう一つ、全六教科の試験は教科ごとに割り当てられた試験時間内に解くのではない。二教科ごとに一括して試験時間が決まっているのだ。大したことがなさそうに思えるが、受験者は時間を注意する必要があり、精神的な余裕を削られる。時間管理の勉強も、試験の一つという事だ。


 この二点の要素は、事前に教師から生徒へ伝えられている。一瞬の油断が落第の道へと転がるというメッセージなのだろう。


 よく学園長が朝礼集会の度にこう言っている。

 陽創学園は国内一の偏差値を誇ってはいないが、国内一の厳粛さを誇る学園なのだと。

 なるほど次世代を担う人材を生むためには良案かもしれない。しかし三年になる頃には少なくない生徒が挫折を味わうことになる。一般人の俺としては頭の痛い話だ。


 とはいえ、未来から回帰した俺には試験範囲に見当が付いている。

 恐らく学園が教えた範囲以上の問題は出てこない。だが二学期中間考査では、一学期に学んだ事も全て試験範囲に入っているのだろう。入学時から学校が教えたすべてが範囲ということだ。試験の内容まで覚えていれば良かったのだが、生憎俺の記憶力は人並みだった。


 午後、最後の試験終了まで後十分。

 ひたすらペンを走らせ俺は問題を解き続けるが、やはりこの学園の試験は疲労がえげつない。若々しいが故のタフさを誰よりも実感している俺でさえ、逃避への願望といった雑念が頭に溜まっていく。


 しかし、一週間以上机にしがみついてきた努力は裏切らない。試験を終えた時、俺は心の中でとても澄んだ爽やかさを感じていた。俺に出来る最大限の結果は出たと思った。


 それだけは、間違いなかったんだ。


 今の時代では古典的に思うかもしれないが、この学園では成績上位二十名が廊下の壁に張り出される。前世では縁のなかった緊張を感じながら結果を確認し、俺は啞然とした。開いた口が塞がらない……回路の電気がショートしてしまったように、一瞬にして頭が真っ白になった。


 一位:堀原憩衣 588点

 二位:恵森千沙 567点

 三位:安栖環那 566点

 四位:篠宮宗次 562点

 五位:後川桐人 561点

 六位:駒月優奈 560点

 七位:緋雨累  548点


 努力をした。自信があった。手ごたえがあった。だけど……結果は出なかった。

 俺が目標としていた学費全額免除の成績優秀特待生は上位五名にのみなる事が許される。しかし、俺の順位は七位。ギリギリ入れなかった六位どころか、更に一歩手前の順位。しかもその差は10点以上も開いてしまっている。


 強烈なショックを受けながらも、納得がいかない……という訳じゃない。急に勉強して何もかも上手くいくほどの才能が、俺にはないからだ。この悔しさをバネに次頑張ればいい。そう自分に言い聞かせれば、そこまで苦ではない。


(ああ、そうか……悔しいんだな、俺)


 頑張った結果ダメだったのに、次の挑戦にどんな価値を見出せるのか。きっと前世の俺だったら完全に折れていただろう。前世では、その価値を理解できなかっただろうから。今でこそ理解できるのは、現実に向き合えていることの証左。そこに介在する感情が悔しさだとわかるだけで、成長と呼べるのだろうか。すっかり現世で最初の未練になってしまった。


 きっと数日は引き摺るかもしれない……だから今日の内はあまり考えようにしよう。今は一息吐いて、間違えた箇所の復習から――。


「あらあら、中間考査七位の緋雨くんじゃありませんの」

「…………」

「良かったですわね、わたくしも驚きましたわ。まさか貴方が三十位以内に入ってくるなんて。貴方の仰っていた努力が実ったのではなくて?」


 そこに現れた安栖は俺を褒め讃えるように拍手を送ってくる。だが俺は彼女から感じる嘲笑の眼差しを見逃さない。今回の試験、俺は安栖よりも下の順位だ。それは今までと変わらないが、試験前に彼女を挑発するような態度を取っていたことを根に持っているんだろう。


「あら、それにしても学費全額免除の特権を得るためには何位以内に入る必要があったかしら、優奈さん」

「五位以内だったかな。私もギリギリ入れなかったよ。まあ私はお金に困っている訳でもないから、どうでもいいお話だけど」

「ふふふ、どうでもいいなんて言ってはいけません。特待生の方々が可哀想ですわ……彼らはいつも学費免除を勝ち取る為に懸命に努力しているのですから」


 安栖は回答のわかりきった質問を友人に問いかけ、俺に対して面と向かって態々特待生を煽るような台詞を吐く。

 俺を目の敵に嘲笑っているのは、一目瞭然だった。成績を見に来た生徒達は俺と安栖の対話に注目し始め、いつの間にか多くの生徒に囲まれる。


 特待生が順位を上げてきた……ならば安栖の役割は出る杭を打つこと。要は見せしめだ。何せ彼女は特待生排斥派を公言している。これが安栖のパフォーマンスであることはすぐに気付いた。


 学年七位は決して低い順位ではない。寧ろ危機感を持った故に彼女が出張ってきたのだから、このまま無視して教室に帰れば俺の恥になることはないのだ。

 だけど、俺は無視できそうにない。


「だから……なんだよ」

「あら失礼、わからなかったかしら。先ほどの称賛を撤回しますわ。七位では努力が実ったとは言えませんもの……お気の毒ですわ」


 憩衣を見失ったような絶望感がある訳じゃない。ただ俺の努力が足りなかった、それだけで完結するお話。それはわかっている。


 けど、安栖の言葉によって抱いた苛立ちと反論できない不快感はまた別のものだ。

 俺のした努力は絶対に俺だけのものじゃない。憩衣が熱心に勉強を教えてくれたからこそ、目標としていた順位に達せず悔しいと思っているのだ。彼女に教わった時間まで否定されたようで、腹立たしいという思いが禁じ得なかった。


「俺は一言も自分が学費免除を理由に努力したとは言っていないな」

「それにしては悔しそうな表情は致さないのでは? 顔に出てますわよ」

「……ッ!!」

「わたくしだって申し訳なく思っていますのよ。学費免除は弱者の為の権利……その権利を生まれた時から勝ち組であるわたくし達が取り上げてしまっていますもの」

「俺の記憶が正しければ、二位と五位の生徒は特待生だったはずだが?」

「……論点を変えないでくださいまし。わたくしは貴方を気の毒に思って……そして努力が実らずどんな気持ちを抱いているのか訊いているのですわ」


 一瞬、意表を突かれた安栖は動揺を見せたが、すぐに調子を取り戻した。余程俺に対してマウントを取りたいらしい。今まで彼女に対して歯向かうような特待生もいなかっただろうし、私怨も含まれているんだろう。厄介なものだ。


「は? そんなこと訊いて何の意味があるんだよ」

「あら、わたくしの好奇心を満たす為ですわよ。だって……負け組の気持ちなんてわからないんですもの」

「だから負け犬らしく吠えてみろって? とても趣味が悪いとしか言えないな」

「そうかしら。この学園では皆が気になっていること……ですわよね? 皆さん」


 すると周囲の生徒達がざわざわと共感の声を上げだす。


「ダメな例を見て勉強になることもあるしね」

「てか、特待生の存在意義ってそれしかなくない?」

「社会のお荷物にしかならないゴミなんだから、身の程を弁えてほしいですわ」

「大体七位ってカンニングなんじゃないの? 前回の試験であの緋雨ってやつ三十位以内に入ってなかったでしょ」

「不正であってもなくても、特待生が調子に乗らないように教育して差し上げないと」


 安栖が生んだ同調圧力に、特待生排斥派の連中は水を得た魚のように賛同した。普段はどっちつかずの考えを持つ生徒さえ、反対意見を言えず目を背けることしか出来なくなる。親が大物政治家だけあって、彼女のカリスマ性は卓越したものだ。


(…………はっ)


 憐みの視線……周りは敵だらけ。彼らの狙いがわかっていても、これは流石に堪える。

 ここまで逃げたいと思わされるのはいつ以来だろうか。突如、嫌な光景がフラッシュバックしそうになると同時、聞きなじみのある声が廊下に響きだす。


「悔しいに……決まってるよ!!」


 そこには前髪で目が隠れた男……外里海利が立っていた。彼は安栖や彼女の周囲を睨みながらも、その言葉は俺に向けて投げかけているように感じた。


「僕は……僕だってそれなりに努力していたつもりなのに、気付いたら友達に追い抜かれた。それも七位!? 普段勉強していなかった君が、どうやって? 異常だよ」

「……外里」

「きっと死ぬ気で努力してきたんだろう? わかるよ……わかるから僕は、彼に負けて本当に悔しい!! 敬意を表する程に!」


 外里の成績は十七位……丁度俺と十位の差がある。勝負をしていた訳じゃないが、彼がそう感じるのも無理はない。

 元々彼は勤勉な性格じゃなかったはずだ。つまり外里にとって、今回は相当な努力の末に叩き出した結果なんだろう。だから、負けて悔しいのだと……その気持ちがひしひしと伝わって来る。俺と……同じ気持ちなんだ。


 学費免除の為に成績上位を目指す特待生は他にもいる。外里は皆の気持ちを代表して叫んだ……俺でさえ委縮するような空気の中、人見知りだと思っていた友が殻を破った。まったく敬意を表するのは、俺の方だ。


「特待生を馬鹿にする君達は何も思わないのかな。安栖さんや駒月さんはわかるけど、他のみんなは……悔しいって思わないの?」

「は? だって私達は勉強できなくたって勝ち組で――」

「それは言い訳だよ。馬鹿にしていた相手が追い上げてきた現実を受け入れられないんでしょ?」

「なっ……!?」


 外里の的を射る言葉に、さっきまで俺を馬鹿にしていた女子は言葉を詰まらせてしまった。現実が受け入れられない……それは前世の俺も感じていたことだ。そして現実を受け入れた結果、俺は悔しさを覚えることができた。ならば、俺や特待生を馬鹿にする連中がその段階であることは、道理だろう。


 だが、厄介な事にそうでない者も連中の中には混ざっている。

 流石に趨勢を不利に感じたのか、その女子の前へと庇うようにして安栖が立ちはだかる。お山の大将は相当お怒りのご様子だ。


「貴方も今回で順位を上げて調子に乗っているようですが、負け犬の遠吠えかしら。わたくしの可愛いお友達を馬鹿にしないでくださいまし」

「馬鹿にはしていないよ……ただ疑問だったから訊いただけ」

「努力するのは当たり前ですの。貴方のように誇るばかりでは、成長に繋がりません。精々お里が知れるくらいかしら」

「安栖さんは確かに凄いよ。その心意気も僕には真似できない。でも、特待生に負けているのは君も同じだ……誇ってばかりいた結果、君は負けた」


 外里は安栖を相手にも怖気づくことなく、正論を言い続ける。外里がこんな勇気に満ちたやつだったなんて、正直とても驚かされた。


 確かに安栖は前回の二位から三位に落ちてしまっている。よく考えたらこの転落は前世でなかったものだ。未来が変わってしまっている……俺の挑発で安栖が成績を落とした? わからないけど、特待生を馬鹿にするばかりに時間を割いていた代償はあったらしい。


「ッ! 小生意気な――」

「私は彼の言い分が正しいと思いました。私に勝つと意気込んでいたのに、まさか順位を落としてくるとは思っていませんでした……残念です、安栖さん」


 突如として、凛とした声が響いた。その声は――。


「いっ、憩衣さん!? いつもは自分の順位を気にしない貴女が、何故ここにいますの?」


 周囲の生徒達は自然と憩衣に道を開け始めた。試験の日を挟み一昨日ぶりに見る彼女の顔は、何故か不機嫌が極まっている。


「一学期期末試験とは違って、今回の試験は学習範囲が完全な不透明になりました。難化した試験の結果に自信を無くすのは当然じゃないですか」

「…………」


 一学期に中間考査は存在しなかった。期末試験がこの学園で俺達が受ける初のテストであるが、まだ学期内の範囲だけ勉強すればいいとわかる。しかし二学期に入って前学期の範囲も含まれるのか、生徒達は知らない。その点において憩衣の懸念は正しい。賛同するように「うんうん」と頷く生徒達がチラホラと散見される。


 安栖は強張った表情を浮かべた。憩衣が自分に敵対するような態度を取る理由がわからないからだろう。元々気を遣っている相手なのだし、下手に言い返すことができなくて困ったという心境が顔に出ている。憩衣も察したのか、理由を付け加える。


「それに……自分の彼氏が良い順位を取ったと聞こえて、見に来ない訳にはいきませんから。良い結果が出て私も嬉しいです、累」


 憩衣が俺に向かって誇らしげな顔をしながらそう言った瞬間、場は凍り付いた。

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