第20話 不可能を可能に

 辺りを見渡しながら憩衣の姿を探すが、何処にも見当たらない。人の多い場所で止まっていられるはずもなく、人にぶつかりそうになりながらも彼女の姿を探し続ける。


(ダメだ……完全に見失った……)


 一瞬それらしい人影が見えて追いかけたものの、人違いだった。そして場を離れてしまったため、人の動きから推測することさえできなくなってしまう。こうなる可能性があるから手を繋いでおきたかった……もし俺が憩衣に対して誤解している事実に気が付かなければ、気を遣わずにいられたのだろうに、裏目に出てしまった。

 即座にスマホを取り出し、彼女に連絡をしようとする。


「っ!!」


 しかしそこで憩衣の連絡先がない事に気付いた。最初に連絡先の交換を拒否されて以降、珠姫の仲介によって不便が無かったため、交換の提案もしていなかったのだ。


 仕方ないので珠姫へと電話をかけるが、プー、プー……っとビジートーンは一向に鳴り止まない。


「マジかよ……」


 珠姫が出ない可能性はあった……さっき俺はしっかりと珠姫のスマホの充電が無くなる瞬間を見た。家に帰り充電している事を願ったが、ダメだったようだ。

 まるで運命に呪われたかのように悪いこと続き……流石に焦りを覚える。


(どうすれば……どうすればいい。俺のせいで憩衣が危ない)


 自分のミスに頭を抱える。こうなる事態をまったく予想していなかった訳ではない……実際ゲーセンへ行く前にも人混みの中を通ったのだし危惧はできたはずだ。なのに対策しようという頭がなかった。


 現実はかくも残酷だ……ゲームのように打開できる選択肢が出てこなければ、一度バッドエンドへ進んだルートはセーブデータからのコンティニューで引き返せない。


(……また調子に乗って、間違えてしまったのか?)


 勉強会という体裁を取ったが、憩衣は彼女なりに俺の試験勉強を対策しようとしてくれていた。それだけで有難い話だったのに、彼女と仲良くなりたいと欲張ってしまったのかもしれない。


(ああ、そうさ……正直、俺だって今日も勉強をしたいと思っていたのに)


 こうして憩衣を遊びに誘ったこと自体、大きな過ちだ。今から憩衣を手当たり次第に探して、万が一見つかったとして、その時何時だ? もういっそ珠姫が待つ家へ戻って、帰りを待った方が早いんじゃないか? だけど、そこに憩衣の安全性は考慮されていない。


(わかっている。わかっているんだ……でも、俺だってどうすればいいのかわからない)


 俺には止まっている余裕がない……怖いんだ、いつまた前世と同じように一度躓いたまま転げ落ち続けてしまうのか。一度でも怠けてしまえば、また道を踏み外しそうな気がしている。だから、進み続けるしかない。何より、回帰する前に憩衣に言われた言葉を思い出すから。


『人はっ……そう簡単に変わりません』


 あの言葉を認めてしまえば、俺はもう立ち上がれなくなる。わかっていた筈だったのに欲張って……今日の努力を放棄した。憩衣が休める時間を作ろうと思っていたつもりだった……けど、無意識に俺が怠ける時間を欲していたんじゃないか? 気が緩んでいる。


 この日……勉強していたら、成績が目標に達したかもしれないと……後でそう後悔するのだろうか。ネガティブな未来の想像ばかりが脳裏を過り、心が苦しくなっていく。


(なんで、なんでこんな、未来のことは簡単に想像できてしまうのに……俺には変えるだけの力がっ)


 スマホを持つ手に力を握り締め大衆が流れる光景を眺めながら、街路樹のように一人取り残される。


 憩衣を探す手段は、いつまで経っても思いつかなかった。数え切れない人々の中から只管に彼女の姿を探すことしか、俺にはできない。それは砂漠の中から宝石を探すくらい絶望的で、俺自身その自覚がある為か段々と感情さえできなくなっていく。


 つまりは諦めかけていた。そんな時スマホが振動する……通知のバイブレーションだ。珠姫かと思った俺は即座にスマホの画面を開き……再び絶望した。


(は……ははっ……迷惑メール? 勝手に俺のアドレスに送ってきてんじゃ…………勝手に?)


 しかし、そこで俺は息を呑んだ。失念していたが、俺には憩衣と連絡を取る手段を持っている。


(未来で憩衣が使っていた電話番号、それにアドレス。俺は覚えているじゃないか)


 確実な手段ではないが、光明の兆しが見えてきた。

 この手段は完全に失念していた訳じゃない。以前、憩衣に連絡を拒否された時にもその手段は思い出していたが、そこで大前提として心の中で封じたのだ。

 何せ、本来の俺が知らないはずの情報。探りを入れられれば、勝手に盗み見たのだと疑いをかけられるだろう。そうでなくても、憩衣の確認を取っていない時点で一層嫌われるかもしれない。

 だけど――。


「覚悟もなしに、あいつの義兄は名乗れない」


 懐かしい電話番号をスマホに打ち込んだ俺は、恐る恐る端末を耳に当てる。

 かけた電話番号は未来の俺が知っているものであり、今の憩衣が使っているものかは確定していない。ビジートーンが鳴るたびに心拍数が上がる。

 三度程繰り返し音が鳴った後……繋がった。


『もしもしっ』

「憩衣! 大丈夫か!」

『えっ、その声、緋雨……くん? どうして――』


 間違いなく堀原姉妹の特徴的な声が耳元へ聴こえ、一息つく。しかし憩衣の声からは心配していた通りの焦りが伝わった。

 体力的な問題なのか、精神的な問題なのか、或いはその両方か。定かではないが彼女が弱弱しくなっていることは間違いない。


「細かい話は後だ。何処にいる?」

『それが……わからなくて……路地裏に入ったら、迷って……』

「近くに何かないか? 何でもいいんだ、手掛かりを教えてくれ」

『紫色の看板のラーメン屋……でも、これだけじゃ――』

「落ち着いてくれ。大丈夫だ……小さな情報でもいいから教えてくれ」

『その店名は紫辛式ラーメン……って書かれています。私も調べたのですが、ネットに乗っていなくて――』

「その場を離れないでくれるか? 一回通話切るぞ」

『えっ、待って――』

「必ず迎えに行くから――待ってろ」


 入り組んだ路地裏にある個人経営のラーメン屋……俺はその場所を知っていた。前世では経営不振で閉店してしまったが、その名残惜しさから店長の顔まで鮮明に覚えている。

 態々人通りの多い道を通るより裏路地を使い、俺は目的地まで走りだした。


 一刻も早く辿り着かなければいけないと急いだ結果、息を切らしながらも彼女の姿を発見する。


「憩衣! はぁはぁっ……無事でよかった」

「ひっ、緋雨……くん。本当に……どうして」

「そんな驚くなって。ちょっとこの町に詳しかっただけだ」

「電話番号……は、珠姫から聞いたんですか?」

「あー、そんな感じだ。今はそれどころじゃないだろ。平気ぶらなくていいから」

「わっ、私は平気で――」

「嘘吐くな……お前、男性が苦手なんだろ? 今この瞬間も怖がっているのはわかってる」


 俺の言葉に、憩衣は目を大きく見開いた。涙目になっているのがよく見えるが、それよりも自分の秘密を知られていた事に驚きを隠せないんだろう。


 俺だって、さっきわかったことだ。

 これまで憩衣は明らかに俺のことを嫌っているように感じていて、俺はそれを特待生嫌いの所為だと考えていた。それは珠姫に推測を否定された後も、懐疑的なものだった。


「どうして……そのことを――」

「ゲーセンに行く前、ぶつかりそうになった男がいただろ? あの時お前の反応で気付いた」


 実際に男性が近づいた際の異様な手の震えを知ってしまえば、流石の俺でも気付く。


(憩衣は男性不信だ……それも結構な)


 路地裏になんて入って迷ったのも、男性から向けられる視線が気になって逃げてきたんだろう。憩衣は可愛いから見たくなるだろうし、一人でいたら声をかけたくなってしまうかもしれない。しかし邪な感情を孕んだ視線に気付かないほど憩衣も鈍感じゃない。


「俺だって男だ。怖いのはわかる。だけど――」

「ひ、緋雨くんのことは……怖がってない……と思います。驚いているだけ……ですので」

「他のやつより多少信頼してくれているなら、それで充分だ。それより、ここから出よう」

「はい……あっ」

「なんだ?」


 まずは路地裏から人の少ない地下道にまで行くため急ごうと歩きだすと、憩衣が目を逸らしながら声を呟いた。

 どうしたのかと気になって訊いてみると、まるで失言でもしたかのような一瞬の迷いを見せ、次には手を差し出してくる。


「……その、手を」

「手? 何処か怪我したのか!?」

「そ、そうではなく……手を繋いでおいてください。また逸れたら……困ります」

「おっ、おう。そういうことか……了解だ」


 路地裏は細道が入り組んでいる。また逸れたら面倒だし、多少俺に苦手意識を持っていたとしても安全を優先すべきだと理解してくれたんだろう。

 まだ呼吸が途切れ途切れになっているところが垣間見え、俺は遠慮なく彼女の手を握り先導した。

 早く安心してほしいからな。

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