第17話 必要なケア

 談笑していると、憩衣の私室の扉が開き中から起きたばかりの憩衣が目を擦りながら現れた。手には枕を抱え、まだ眠たそうだが、その表情は不機嫌だった。


「ちょっと、うるさいですよ」

「お、おう……ごめん。それより憩衣、よく眠れたか?」

「はい? 急に何言っているんですか、気持ち悪いです」

「なんで心配したら俺、罵倒されたんだ?」

「これがツンツンなんだよ」


 背後から珠姫にポンポンと肩を叩かれる。

 そっかぁ……って、納得できるか!? やっぱり俺のこと嫌いじゃん!


「ところで私が出したメモ通り自習しておきましたか?」

「あっ、まだやってない」

「サボっていたんですか?」

「いやぁ、かくかくしかじかありまして……」

「はい。何ですか? 誤魔化そうとしても無駄です。私は怒っています」

「怒っているのは理解した。オールオッケーだ。だけど俺にも言いたいことがある…………それ、かわいいパジャマだな」


 意外にも子供っぽい寝巻だった。義兄としては気を遣って指摘するべきじゃなかったけど、先に罵倒されたからちょっとした仕返しだ。


「へっ? ……って、ああっ! 見ないでくださいっ!」

「グハッ」


 憩衣のパジャマ姿を凝視してしまった俺は、思いっきり枕をぶつけられた。朝から枕投げなんてするな。日頃から珠姫に服を選んでもらっていた辺り、部屋着でさえ他人に見せる服装には気を遣いたいんだろう。でもまあ心配していたよりもずっと元気みたいで……何よりだ。


 そのまま逃げるようにして部屋へと戻った憩衣は、暫くして着替え直してから再びリビングへとやってくる。


「何なのですか……二人してこっちをじっと見て。私は動物園のパンダではありませんよ」


 着替えてきた憩衣はまだ不貞腐れている様子を見せる。どうやら俺の心配する視線がお気に召さなかったらしい。


「さっきのとの違いを想像したら――」

「それは忘れてくださいと言いました。もう一度さっきの事を言いだしたら怒ります」

「……はい」


 相変わらず俺に対しては手厳しい。同じく憩衣を見てニヤニヤと笑っている珠姫はお咎めなしだというのに、やはり俺は嫌われているというか……そこまでいかなくても好かれていないのは確かだ。

 まあ、どの道俺がすることは変わらないさ。


「あの、どうして勉強道具を仕舞うのですか? これから、今日の勉強を始めますよ」

「ああ、やる気に満ちているところ悪い。今日は勉強会、お休みにしないか?」

「はっ、はい? ……何のつもりですか?」

「いやぁ、俺ちょっと知恵熱が出てきちゃったみたいでさ。試験で倒れる訳にもいかないし、休息も大事だろ?」


 知恵熱が出たというのは、もちろん嘘である。しかし、こうでも言わないと憩衣は考えを変えないだろからな。

 憩衣は俺の顔をまじまじと見ながら、自分と俺の額に手を当ててくる。憩衣にしては結構大胆なスキンシップだが、無意識なのか気にする様子はない。


「それにしては、平気そうですが」

「微熱だし、心配はかけないさ。言っただろ? 憩衣の前では紳士でいるって」

「紳士である前に、健康の為によく寝るべきです」


 言っていることは正しんだけど、それはこっちの台詞なんだよな。

 頑張った結果、憩衣は寝不足になっているんじゃないか。どうにか伝わってほしいところだが、見た感じダメそうだ。


「まぁまぁ、いいんじゃない? 一日くらいサボったって罰は当たらないと思うよ?」

「珠姫まで……」


 珠姫が言うと説得力が皆無な台詞なのだが、何故か憩衣の感情を動かしている様子を伺わせる。つくづく俺との扱いに差を感じる……姉とは偉大なものなんだな。

 すると、憩衣は俺の方へと向き直し、テーブルに両手を付いた。言いたい事があるらしい。文句かな?


「お休みしたい気持ちは理解しました。ですが緋雨くん、勉強する気がないなら疑問があります」

「疑問……?」

「何故、今日もここへ来たのですか? 予めお休みしたい一報を入れてくれれば、私だって一考しました」

「えっ、ただ遊びに来たんじゃないの?」

「おいっ……お前は俺を何だと思っているんだ」


 珠姫が的外れな事を言ってきた。

 ずっと遊んでいるのは、寧ろ珠姫の方だと思うんだけどな……まあ自分の家でゴロゴロしているのは何もおかしな話ではないが。


「珠姫の事はさておき、俺はこっちに来てから気が変わっただけだ。だからそんなピリピリしないでほしい……まだパジャマ見たこと怒ってるのか?」

「ピリピリはしていませんが、貴方は私を怒らせる点だけは天才的ですね」

「怒ってるじゃん!」

「私が言いたい事は一つ……勉強する気がないなら帰ってもらいます」

「それはそうなんだけども……」

「うーん、あたしの目には憩衣ちゃんの雰囲気が堅く見えるなぁ。そんな憩衣ちゃんにも休息が必要なんじゃないかなぁって……お姉ちゃんは思うけど」


 珠姫は俺の考えを察したのか、良いフォローを入れてくれた。


「そうだよ。憩衣も肩の力を抜きがてら、今日はそうだな……三人で街歩きでもしないか? 家にいるばかりも健全じゃない」


 珠姫が以前、勉強していた俺を図書館から連れ出した時と同じ案だ。あの時は俺を勉強会に誘うことが主な目的に思っていた。しかしよく考えたら、憩衣のリラックスを兼ねていたに違いない。珠姫が態々憩衣のお気に入りの場所を選んでいたからだ。やはり頑張り過ぎる憩衣にはケアが必要なんだろう。だったら未来の義兄として、いつまでも珠姫に任せっぱなしにもいかないからな……お節介焼かせてもらうぞ。


「うん、あたしもとっても良い考えだと思う! 憩衣ちゃん、そうしよっ!」

「かっ、肩の力を抜くにしても外出する必要はないのでは――」

「憩衣ちゃん! 家にいるばかりも健全じゃないよ……ねっ?」

「ぐぬっ……わかりました。珠姫もいるなら今日はお休みにします」


 珠姫が俺の台詞を意味有り気に強調しつつ繰り返すと、憩衣は納得してくれたみたいだ。

 やっぱり珠姫に対しては妙に素直だ。何か弱みでも握られているのか? 俺も是非知りたいなぁ……後でこっそり聞いておこう。

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