第15話 一歩ずつ

 珠姫へ付いていくと人気のない庭園まで行き着いた。設置されていたベンチへと座り、花壇を見渡しながら一息吐く。

 俺としては難問の解説を期待したつもりだったのだが、珠姫にその様子は皆無だ。代わりに憩衣の様子がいつもと違い、おっとりしているように見えた。


「なんでここに?」

「こうしている通り、リラックスだよ。一回肩の力を抜いた方がいいよ? まだ試験まで日にちもあるんだし」

「確かに開放感はあるな、ここ。広々としていてそよ風が気持ちいい」

「しかも静かでいいでしょ~? 実はね……憩衣ちゃんのお気に入りの場所なんだぁ」

「なっ! なんで知っているんですか? 珠姫に言ったことなかったのに」

「ふっふっふ、お姉ちゃんに隠し事はできませんよーだっ」


 珠姫は不敵に笑い、憩衣を背中から抱きしめた。姉妹の戯れを見に来たはずじゃなかったんだけど、憩衣が不貞腐れながらも拒まないところを見ることができて安心する。


「それで、ここに連れてきた本当の目的はなんだ?」

「もぅ、せっかちさんだにゃ~。わかんない? 累くんの学力を飛躍させる為に、こうして心強い味方を連れてきてあげたっていうのにぃ」

「はぁ、結局その為に私を連れて来させたんじゃないですか」

「まぁまぁ、累くんと仲良くなるってお姉ちゃんと約束したよね?」


 憩衣は呆れながらも、珠姫の言葉に頷いた。この展開はある程度予想出来ていたかのような様子を伺わせる。


「そういう訳ですので、緋雨くん。私が試験勉強をお手伝いすることになりました」

「どういう訳なのかわからないが、そっ、そうか。いや俺としては助かる……けど、いいのか? 憩衣にも自分の勉強が――」

「先ほど、珠姫には恥を忍んで頼んでいたというのに、私から勉強を教わるのは嫌だと?」

「あー、はいはい。嫌じゃないから。マジ助かる! よろしくな!」


 憩衣の態度は昨日と変わらず、あくまで渋々というスタンスを崩さない。それでも珠姫に何かを言われたからではなく、自分の意思で教えたいと言ってくれているような……そんな気持ちが伝わった。


(そういう本当は優しいところ、ずっと変わらないんだな)


 前世で憩衣が義妹になったばかりの頃を思い出す。あの時も言葉はキツイところがあったけど、何だかんだ率先して俺の生活を支援してくれたのは憩衣だった。


「じゃあ今日は解散! 明日から毎日頑張ろ~!」

「お、おー……ん? んん??」


 話が纏まったと珠姫が手をパンパンと叩いた。しかし、後半の言葉に一瞬、俺の思考が止まる。


「はぁ!? 待て待て! 明日から毎日ってなんだよ! この後、喫茶店にでも寄って教えてくれるだけじゃないのか?」

「たった一日で大きく向上できる訳ないじゃん。なので、集中強化期間を設けます! 試験までの残り約一週間、毎日あたし達で勉強会を開くので! 累くんも参加してねっ」


 珠姫は指を立てて「いいね?」と同意を求めてくる。正直なところ、急な話に動揺して言葉が出てこない。


「話が飛躍し過ぎだろ……」

「えっとね……まあ事の発端から話した方がいいかな。昨日の提案覚えてる?」

「俺が憩衣の仮の彼氏になるって話か? それがどうしたんだよ」

「憩衣ちゃんがどーしても決め切れないって言うので、勉強会を交流の場にしようという名案です」

「……名案か?」

「勉強も出来て仲良くなれる! 一石二鳥だよ! ねっ!」


 珠姫が俺に顔を近づけウインクしながら言う……あざとい。

 しかし憩衣が決め切れないってことは、保留? 断らないでいてくれるのは俺にとってメリットしかないけど、何を悩んでいるんだろう。折角交流の場を作ってくれると言うのだし、それとなく聞けばいいか。

 それにしても珠姫、顔が近い。


「近づきすぎですっ」

「うぉっ……おい」

「ちっ、近いです!」


 慌てた憩衣が俺の制服の裾を強引に引っ張り、珠姫から離そうとした。しかし勢い余った所為か、振り返ると今度は憩衣の顔が目の前にあった。どちらにしても怒られるという理不尽を食らった。俺が能動的に近づいた訳じゃないのに……。


「……悪い」

「いえっ、貴方に非はありませんでしたし、私こそ急にすみません。でも次からは十二分に気を付けてください……珠姫もですよ?」

「はぁい」


 珠姫のやる気のない返事に、憩衣は溜息を吐く。間違いなく珠姫にその注意が届いていないと、経験上わかるんだろうな。


「一つ疑問なんだが、勉強に集中したら会話とか必要最低限しかできなくないか? ……何処に交流の場があるんだ?」

「そこは私も同意です。勉強と交流は区分けすべきだと思います」

「ああ、メリハリは付けるべきだ」

「えぇ……二人ともやる気なしぃ? ここはあたしが頑張るしかないのか……」

「頑張るって、珠姫も一緒にするのか? 勉強しないんじゃなかったのかよ」

「もちろん、あたしは応援ですっ!」


 珠姫は誇らしげに宣言するが、応援って何だよ……。まあ空気が読める奴ではあるし、下手に茶々を入れて邪魔をしてきたりはしないだろう……と思いたい。


「珠姫は放っておいていいです。それより、緋雨くんはどうですか? 勉強会」

「憩衣が手伝ってくれるなら、断る理由はないな」

「でしたら、決まりです」


 すんなりと決めてしまったが、実際俺にメリットしかないからな。寧ろ、憩衣が乗り気なのが疑問なくらいだ。割と本気で告白の数々に困っていて、珠姫の提案を呑もうか迷ってくれているのかな。勉強がメインではあるけど、交流も大切にしたい。


「というか珠姫、これを見越して教材を返品させなかったのか?」

「さてはて」


 珠姫は誤魔化すが、こりゃ最初から計算づくだな。

 普段はノリと勢いでイメージじゃないけど、彼女の地頭がかなり良いことは知っている。友達だとか何だか言っておいて、全部計算されている事だとしたら、末恐ろしい。

 憩衣への告白を減らす為とはいえ、何か他の意図があってもおかしくないぞ。


「何のお話ですか?」

「秘密~」

「……じーっ」


 憩衣が俺に向かって気になると視線で訴えてくる。


「俺から話すよ。昨日憩衣と別れてから、本屋に寄った時に――」


 別に他愛もない事だったが、珠姫が気になるように仄めかした所為で、説明する羽目になった。これも交流の一環として話を繋げたつもりなのかね。


「ところで、何処でやるんだ? 図書館はさっきみたいに注目されそうだし、場所に宛はあるのか?」

「あっ……そうですね。考えていませんでした」

「あたし達の家でいいよ」

「ちょっ、それはダメです!」

「なんで~? あたし達の愛の巣だからかにゃ?」

「変なこと言わないでください。私は嫌なだけです」

「あーんっ! 憩衣ちゃんのいけずぅ~」

「憩衣が嫌って言うなら、他を探そう」


 勉強するのに場所は何処でもいい。家なら適当なお店を使うよりもお金がかからないが、この姉妹には金銭に余裕があるだろうし、俺も多少の浪費は必要経費だと考えている。

 しかも学年主席に教えてもらうオプション付きならおつりが返ってくるレベルだ。


「じゃあ累くんの家にしよう! 行ってみたい!」

「俺はいいけど……」

「男性の部屋に入るくらいでしたら、私の家で構いません」


 反対するとは思っていたよ……考えを改めるほど嫌だとは思わなかったけど……。

 まあ予想を裏切らないでくれてありがとうだ。俺も、出来れば自分の部屋に彼女達を入れたりはしたくない。二次元コンテンツやグッズがまだ部屋に残っている。将来の義兄としての威厳を保っておける事に越したことはない。


 しかし珠姫のやつ、俺の家に行きたいなんて軽く言ってのけたが、彼女みたいなセレブにとって、庶民の……それも異性の家に行く事は忌避するものかと思っていた。

 でもまあ、前世で珠姫が俺の家に来た時も気にする素振りはなかったな。逆に憩衣は窮屈そうな様子があったことを覚えているけど。


「はい! じゃあ決まりねっ! 大丈夫だよ、憩衣ちゃん。累くん意外と紳士なんだから」

「付き合いも浅いのに適当言うなよ」

「えっ、紳士じゃないの?」

「……お前達に対しては紳士にするよ」

「ふふっ、良い返事です」


 俺の回答に満足したのか、先ほどまでお堅い態度だった憩衣が今日初めて微笑み返してくれた。夕焼けの陽に照らされた彼女の顔には、つい見とれてしまう。

 ああ、この顔……前世で叶わなかった義兄妹関係に、俺は少しでも近づけているみたいだと確信する。彼女に認めてもらう為にも、試験勉強頑張ろうと思った。


 それにしても、前世でも彼女達の家に行ったことはなかった。確か姉妹で二人暮らししている事は知っている。つまりは勉強会って、本当に三人きりになるのか。

 初めて女の子の家に行くこともそうだけど――。


(それが義妹相手でも……想像しただけでちょっとドキドキしてしまうな)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る