第14話 図書館にて

 よく考えたら、俺には一日の半分以上を外出するほどの体力はなかったはずだ。こうして過去へ戻ると、若々しい身体の身軽さがよくわかる。お陰様で早寝早起きという、夜行性の俺には出来た試しのない芸当が出来てしまった。

 教室に一番乗りなんて、生まれて初めてだ。ノートを広げ早速問題集を解き始めると、同じく朝の早い生徒が扉を開けた。


「おはっ――」


 爽やかな気分で挨拶でもしようと振り返ったが、相手の顔を見た瞬間言葉が止まった。


「あら? 緋雨くんがこんな早くから来ているなんて幻覚が……わたくしも寝不足かしら」

「幻覚じゃないぞ、安栖」

「まさか本当に? 妙ですわね。盗みでも考えていまして?」

「見ての通り勉強しているところだ」

「怪しい事には変わりありませんが、早くから勉学に励むのはいいことですわ」


 期待の欠いた声色に激励のつもりはないな。言い返す時間も惜しいので勉強へと戻ると、安栖も俺に興味を失ったのか自分の席へと着いた。

 俺は何もしていないのに、相変わらず特待生に厳しいものだ。しかし俺の急な変化を考えれば、何かを企んでいるのかと疑われても仕方ないとも捉えられる。

 でもまあ安栖も優等生と呼ばれるだけあって真面目ではあるんだな……毎日こんな早くの時間に登校しているなんて。



 ***



 昼休みには再び珠姫から誘われたが、今日は外里と一緒に食べた。昨日は譲られたこともあって、珠姫は簡単に引いてくれた。

 そして午後の授業。今朝の勉強が功を奏し一通りの復習を終えた為か、今日の授業は楽に済んだ。順調なスピードで他の生徒と同じレベルの学力になれたと思う。

 放課後には珠姫が言っていた通り図書館へ行こうと早急に教室を出ようとする。その時偶然、机に勉強道具を広げる外里の姿が目に入った。


「外里、この後空いてるか?」

「うん。時間はあるけど、どうしたの……いつもはすぐ家に帰っちゃうのに。珍しいね」

「あーいや、図書館寄って一緒に勉強しようぜ? 教室じゃあ騒がしいだろ」


 外里は目を丸くした後、目を擦ってもう一度俺の顔を見た。

 真面目な俺って、外里から見てもそんなおかしいのか? まあおかしいか。延々と二次元コンテンツを語るオタクだったからな。


「えっ、緋雨くんも中間試験対策?」

「ああ。いつまでも地を這っている訳にはいかないし、そろそろ本気を出して上位狙いたいからな」

「ふうん。特待生同士どんな実りのない会話をしているかと思えば、笑ってしまいますわ」

「やっ、安栖……さん」


 安栖が会話に水を差してきた。またかと思い辟易してくる。特待生を下に見るパフォーマンスだけなら、他生徒の目がない今朝にも絡んでくる意味はない。そろそろ俺に私怨でもあるのかと疑わしくなってきたぞ。


「なんだよ、安栖。今朝も思ったが、他人の殊勝な励みを邪魔するのが趣味なのか?」

「いいえ。むしろ、わたくしは特待生の努力を推奨していますわ。しかし、身の程を弁えない発言は無視できませんの」

「身の程? 目標は高く持ったっていいじゃないか」

「現実を見るべきだと言う意味です。貴方だって、自分が如何に無謀なことを言っているのか自覚はありますでしょう?」

「いや、俺は本気だぞ?」


 目を合わせると、安栖は俺を睨む。普段こんなに言い返されることもないから、苛立っているのだろう。実際、安栖の言い分は正しい。高校一年生レベルまでの知識を復習した時点で、俺も大言壮語だとわかってはいる。

 それでも俺は負けたくない。だから負けられない理由を増やし、自分を追い込んでいる。

 クレイジーな考えかもしれないが、この方法しかあるまい。全力の勝負をすることに胸が高鳴ってさえいる。


「口先だけの言葉だと、結果に表れますわ」

「ああ、結果を楽しみにしていろ。安栖もこんなところで時間を潰していていいのか?」

「わたくしは頑張っていますもの。努力に見合った余裕があるだけですわ。まっ、貴方達には生涯わからないことかもしれませんけど。精々足掻いてごらんなさいな」


 俺の言葉が気に食わなかったのか、最後まで嫌味をたっぷり言いながら去っていく。

 努力しているのはわかったけど、安栖の場合は言い過ぎなんだよな。態々自分よりも下の人間を見て馬鹿にするより、もっと上を見ればいいのに。

 外里は安栖にビビっているのか最後まであたふたとしていた。実際威圧感凄いし、こういう手合は苦手なんだろう。


 図書館へと着いた俺は、外里から色々と聞きながら参考書を手に取りフリースペースで黙々と学習を開始した。

 数分すると、上の方……上階の席から声が聴こえる。


「あの一年、特待生の制服じゃないか?」

「何ですって? 由緒正しいこの図書館の名が廃れますわ。追い出して下さらないかしら」

「しっ! 聞こえるぞ。学園が許可している以上、仕方ない話だ」

「私達受験生の邪魔をしてくれないといいけどね」


 何処にでも特待生排斥派の連中はいるらしい。相手は三年生だし、直接的に絡んでくることはなさそうで良かった。外里はすっかり集中していて気付いていない様子だし、俺も無視しよう。


 暫くして引っ掛かりのある問題に差し当たった。

 何度考えてもわからないので、外里に質問しようとしたが、向こうも忙しそうにペンを走らせている。

 そんな時、突如背後に二人の人影が現れた。


「……珠姫」

「ほやほや、お悩みですかな?」

「図書館ではお静かに」

「フリースペースでは多少の会話はオッケーだよ」


 珠姫はにんまりと笑みを浮かべ、俺の肩に手を置きながら問題を覗いてくる。後ろには憩衣の姿も見えるが、ぷいっと顔を逸らされてしまった。

 自習スペースならば完全に私語厳禁だったのだが、こういう難問に当たった時外里を頼ることが出来ないので、こちらのスペースを選んだのだ。それがこんな仇になるとは思いもしなかった。


「ちょっとあの一年、堀原さんじゃないか?」

「えっ、どうして特待生なんかに絡んでいるのよ」

「あれは双子の姉の方だろ? ほら、妹の方は静観しているし」

「特待生に甘いことに変わりありませんわ。やはり生徒会に次入る一年生は安栖環那で決まりかしら」

「うちの学園を政治的利用されても困る。堀原妹しかあるまい」

「もしやあの男、ただの特待生じゃないのか?」

「一理ある。後で調べてみよう」


 高みの見物をする先輩方がまた騒ぎ出した。人目のある場で絡んでくるから碌なことになっていない。しかし、珠姫は気にせず背後から俺のテキストを覗きだす。その瞬間、頭部にふんわりとした感触を覚えた。


(おいおい珠姫、胸が当たっているんだが!?)


 声をかけたら俺が気にしているみたいだし、言いにくい。身振り手振りで外里に助けと求めるが、彼は未だに集中しているのか勉強に没頭していた。


「ふむふむ。あー、そういう問題ね」

「わかるのか?」

「うん」

「教えてくれ」

「ヤダ」

「じゃあ帰れ」

「ヤダ」


 何しに声をかけてきたんだ。

 本当は珠姫もわかっていないんじゃないかと疑うが、本人は涼しい顔をしている。

 すると、外里が俺達の話し声に気付き顔を上げる。


「あ、あれ……堀原さん?」

「外里くん、やっほ! お昼に引き続き放課後も奪われちゃったから、取返しにきたよ」

「俺が外里を誘ったんだ。そもそも珠姫には声すらかけられてないぞ」

「えっと、それで……堀原さんは何用で?」

「知らん。というか外里、助けてくれ。この問題わからないんだ」

「う、うん。えっとね……あー、これ……僕にもわからないかも」

「オーマイガー」


 希望は絶たれた。かくなる上は自分でわかるまで考えることだが、恥を忍んでも時間を無駄にしたくない気持ちもある。

 すると珠姫はわざとらしく口笛を吹き始めた。こやつ、勘づくのは早い。


「貴様、何が望みだ」

「どうしよっかにゃ~……あたしの望み、望み? うーん、なんだろう」

「……そこ悩むのかよ」


 珠姫は顎に手を当てて、真剣に考えだした。

 何か目的があって断ったんじゃないのか。珠姫の企みが見抜けず、より困ったことになった。このままだと無理難題を吹っ掛けられそうで怖い。


「というか、友達なら素直に教えてくれてもよくない?」

「おっと失礼な、このあたしが損得勘定で断っているとお思いで?」

「……まあ」

「あたしに対する信頼、もしかしてないの……」

「で、どういう意味だ?」

「もっと適任者がいるでしょ、ってこと!」


 珠姫はそう言いながら憩衣の方へ視線を向ける。


「わ、私!? もしかして珠姫……その為に図書館まで連れてきたのですか」

「いや累くんがここまで悩むなんてわかる由もないし、今思いついただけだよ?」

「急に言われましても、私は困りま――」

「そこの人達。フリースペースでもそんな大きな声で雑談されますと、他の皆様に迷惑がかかってしまいます。必要であれば利用はご遠慮ください」

「……はぁい」


 図書委員のバッジを付けた生徒に注意されてしまった。上階へ戻る先輩の姿が視界に入り、呼ばれてしまったのだと気付いた。

 静かに勉強へと戻ろうとした時、珠姫から裾をグイっと引っ張られ外の方面を指差される。憩衣も昨日裾を強く引っ張ってきたが、これは姉妹の癖なのか?

 というか、マジで言われた通りご遠慮するつもりなのか。外里に目を向けると、彼はこのまま残りそうな様子を伺わせる。


 うーむ、残ってもわからない問題にモヤモヤしたままだろうし、外里には悪いが珠姫の言葉に従うことを選んだ。

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