第12話 憩衣は迷う / Side ikoi

 私は姉である珠姫と二人きりで住んでいる。

 母は私達が生まれてすぐに亡くなってしまったし、お父さんは大企業の会長だから忙しい。中学生まではヘルパーさんが家事のお手伝いをしてくれたけど、今年からは自立の為にも雇ってくれなかった。


 自室へ入ってすぐに鍵を閉める。学校では優等生を気取っている私も、この家の中ではあまり部屋の外へ出ない……私には若干、引きこもりの兆候があるらしい。

 生まれつき嘘が嫌いで自分を誤魔化すこともできなくて、本心を閉ざし続ける事でしか自分を保てない馬鹿な女。それが私……堀原憩衣。


「……勉強しなきゃ」


 くだらない事に振り回されている場合じゃない。もう二学期の中間試験まで二週間もないのだ。私には勉強しかない。いつか、お姉ちゃんの誇りになれるように、頑張らないと……。

 机に向かって集中すると、時間があっという間に過ぎていく。しかし時計を見ると、夕飯の時間まで待ち遠しく感じる。


「ただいまぁ、憩衣ちゃん! あーけーてっ! お姉ちゃんとお話しよっか?」


 そんな時、ノックと共にお姉ちゃんの声が室内まで聴こえた。既に帰宅していた事に気付いていなかった事もそうだけど、呼びかけてくれる事が意外だった。いつもは夕飯の時間にならないと呼んでくれないのに、緋雨くんが関わる提案についてまだ話し足りないことでもあるのかな。一先ず壁越しに私も言葉を返す事にした。


「おかえりなさい、珠姫。遅かったですね」

「まーね……って、その感じお勉強していたなぁ? まずはお部屋から出なしゃい」

「……はい」


 姉は自由奔放で気ままな性格だけど、私にはある程度気を遣ってくれる。それが最近、段々と距離を感じて……それが私の引きこもりに拍車をかけていた。もしかしたら、ようやく私の寂しさに気付いて一緒にいる時間を作ろうとしてくれているのかもしれない。そうだったらいいなって、微々たる希望に釣られてしまった。


 部屋を出て、足元を動く自律型ロボット掃除機を追うようにリビングへと向かう。ソファーへと楽に座っていた珠姫の隣に座り、横たわるようにして彼女の太ももへ頭を擦り付けた。


「珍しい……今日は甘えたい気分なの~?」

「疲れていますので。ダメなら部屋へ戻ります」

「しょうがないにゃ~」


 珍しいなんていいながら、中々そうさせてくれなかったのはお姉ちゃんの方だ。やっぱり今日のお姉ちゃんはおかしい。私に優しすぎる。

 ふわふわな太ももを堪能しながら片目を開けると、ガラステーブルの上に置かれていた一冊の日記へが気になった。


「それ、珠姫の日記……」

「んー? ああ、うん。これからやりたい事を纏めようと思ってね~」


 私にも滅多に見せてくれなかった日記……過去の日付にお姉ちゃんの体験、未来の出来事の日付にやりたい事……好奇心を書き留めているものだ。普段は私にさえ警戒して中身を見せまいと隠しているのに、今日は無防備に置いておくなんて、変。もちろん、私はお姉ちゃんに嫌われたくないから勝手に中身を見たりなんてしないけど。


「もしかして、緋雨くんの件も前から計画していた事だったんですか?」

「あー、そうそう……そんな感じ。だけど累くんったら、あたしが話しかけてもずっと話を聞いてくれなくて難航していたんだぁ。今日になってやっと日頃の努力が功を奏したみたい」

「えっ……? そうだったんですか」


 なんか意外だった。緋雨くんと対面したのは今日が初めてだけど、そんな頑固な性格には思えなかったから。実際、彼は自らをフレンドリーとか言ってしまうような人だったし、提案にも初耳の割にあっさり乗ってきた気がする。多分、お姉ちゃんの誘い文句が強引で断られていただけなんだろう。


「うん。だから急なお話じゃなかったんだ。それでさ、憩衣ちゃんは考えてくれたかにゃ?」

「それは……」


 お姉ちゃんは真面目に話してくれている。これは私の為を思っての提案だった。今日みたいな告白には正直うんざりしているし、約束通り本気にされないなら悪くない話。でも――。


「ごめんなさい。私、まだわからないみたいです」


 素直になりきれない。何が正解で、どうすれば私自身の利益に繋がるのかを考えて、何かが心に引っかかる。だから、まだ答えを口に出したくなかった。


「そっかぁ。まあ憩衣ちゃんが保留にしたいなら、あたしはそれで良いと思うよ。はっきりと嫌じゃないってわかっただけで、あたしは満足」

「出来るだけ早く、答えを出すつもりです」

「ゆっくり考えてもいいんだよ。累くんは多分、いつでも提案に乗ってくれそうだしね~」


 お姉ちゃんの緋雨くんに対する扱いの軽さには疑問を覚えるけど、私の意思を尊重してくれて嬉しい。


「ただしっ!!」


 お姉ちゃんは人差し指を立てて、仰向けになった私を見下ろす。


「引き続き累くんとは仲良くなってもらうからね?」

「……それは必要なことなんですか?」

「うん! 保留なんだったら、本番に備えてせめて名前で呼べるようになってくれないとね」

「あの、本当に付き合う訳じゃないのですし、そこまで考えなくても――」

「むぅ、お姉ちゃんに口答えするの? 膝枕、やめちゃうぞ」

「…………」


 私の意思を訂正する気は無かったので、黙ってお姉ちゃんの太ももに顔を埋めた。


 夕食までの時間、再び部屋に戻りながらも頬に太ももの余韻が残る。あの柔らかさには勝てない。とはいえ振り返ってみると、やっぱり今日のお姉ちゃんは様子がおかしかった。


 昨日まであった私から距離を取られているような嘘だったと思えるくらいには、優しすぎたのだ。

 仮の彼氏を作っておくなんて方法は懐疑的だったけど、お姉ちゃんが私の為を考えてくれたんだって事実だけで、私は満たされた。なのに、素直に承諾できなかったのはあの男……緋雨くんの存在が脳裏にちらつくからだ。


 それもそのはず……お姉ちゃんが私に優しくなった原因があるとすれば、あの男以外にきっかけが見つからないのだから。

 そう、緋雨くんがお姉ちゃんを変えた……私ではなく、彼が。


「……悔しい」


 プール棟で私を庇うような形で前に立ってくれた彼の姿は、正直格好良かった……だから、胸がモヤモヤする。


 SNSで情報を集めると、緋雨くんは二次元オタクで皆から蔑まれている上に、運良く学園に入学できた特待生らしい。特待生の多くは学費の免除を望む優等生か、彼のように現状へ胡坐をかいた怠惰な劣等生とピンキリに分かれている。だから、性格も怠惰で下劣な人間だと思っていた。


 しかし、実際の緋雨くんは噂と違い良い人だ。今までの偏見と個人的な私怨がありながらも、第一印象が良かったせいで嫌いになりきれない。

 そして、そんな自分のことをお姉ちゃんに見破られている気がして、反発してしまいたくなる。そう、彼に冷たくしているのは、言わば八つ当たりだ。


「私だって本当は、お姉ちゃんみたいにもっと積極的に他人と話せるようになりたい」


 でも、それはいけないことだ。もし私に仲の良い友達が出来てしまったら、お姉ちゃんは私に構ってくれなくなる気がして……それが怖い。

 ただ今回は、そのお姉ちゃんが紹介してきた男子……本気でどうしようかと悩んでいる。


 私にとって唯一無二の家族を大切にしたいから、迷い続けてしまうのだ。

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