第11話 珠姫の提案
珠姫がまたニヤニヤと口元に三日月を作りながら静観していることに気付く。元はといえば、彼女が遅刻した所為でややこしい事になったのだ。俺は彼女に反省してほしいと目で訴えてみたが、通じている気がしない。
「そっかそっか~、二人の交流の時間を作ろうと遅刻してみたけど、すっかり仲良くなったみたいだね」
「おい今、自白したな!? やっぱり遅刻は故意だったんじゃないか」
憩衣は嘘が苦手だと俺に忠告してきたのは何だったんだよ、と思うくらい平然と嘘を吐かれた。しかし、怒り始めるかと思えた憩衣は気にしないフリをしているのか、目を逸らしだす。
姉は特別扱いなのか? 仲が良いのは俺も望むことだが、もし遅刻を誤魔化したのが俺だったら憩衣は確実に怒ると思うし、不公平に感じた。
そこで俺が「ほらな?」と憩衣の顔をまじまじと見つめると、カタッとコーヒーカップを置く音が鳴り、僅かな動揺が滲み出ていた。
「~っ、一体何ですか……私を咎められても困ります」
「誰も珠姫の遅刻に深い意味があったじゃないかって咎めていないだろ」
「目っ、目がそう言っていたんです!」
「……じゃあ、そういうことでいいよ」
ムキになった憩衣の主張は思っていたよりも強くて、俺は折れた。
恐らく負けず嫌いな性格なんだろう……勉強が出来るのも、相当な努力家だと前世で珠姫から聞いたことがあるし納得した。憩衣と仲良くなりたいなら、まずはある程度譲歩を意識すべきなんだろう。
そんな時、珠姫が勝手に俺のコーヒーを奪い去り飲みだした。
「おいっ」
「もぅ二人ともさ、折角の優雅な午後なんだから、もっと落ち着いた方がいいよ?」
「勝手に俺のコーヒー奪った口でよく言うよ。俺が口は付けていなかったからいいけどさ」
「口は付けていなくても、他人様の飲み物には注意すべきです! 睡眠薬でお持ち帰りされてしまいますよ?」
「それはないだろ……」
「うん。ないよ、憩衣ちゃん」
憩衣は常識を説くように語ったが、的外れだ。大体俺が飲ませようとしたんじゃなくて、勝手に珠姫が奪ったのが見えなかったのだろうか。その目は節穴か? 流石に譲歩できる範疇になかった。俺に失礼を説いた癖に、滅茶苦茶失礼だ。
呆れた口調で否定された憩衣は、またムキになって反論してくるかと思いきや、今度はコーヒーに口を付けて誤魔化し始めた。
「……で、そろそろ本題に入らないか?」
「ん? ああ、昼間の続きだったよね……そうだった、その為に二人とも呼んだんだった」
「なんだ、そのやる気の感じられない反応は…………提案者が忘れるなよ」
「私も、その件についてばかりは緋雨くんに同意します。真面目に説明してください。何故、私が彼の恋人にならなければいけないのですか?」
「ならないといけないとは言っていないよ? あたしは提案しただけだし」
「はぐらかさないでください。理由を訊いているんです」
「憩衣ちゃんは、気付いているんじゃないかにゃ~」
「はい? どうしてそう思うんですか?」
「そうじゃなかったら、憩衣ちゃんはもっと取り乱しているはずだから」
珠姫の言葉に、憩衣は唸った。俺は全く予想できていないが――。
「彼を……緋雨くんを私の虫よけにしようというお話でしょうか」
「ピンポーン! そう、本当に付き合う訳じゃなくて、ただ公言するだけ。そうすれば、迷惑な告白もなくなる! ねっ? 名案でしょ~」
丁度告白された後のタイミング……当人である憩衣にとっては推測に難くないものだったらしい。しかし半信半疑で今まで確信には至れていなかったようだ。珠姫の回答に、憩衣は何かを計算するように口を閉ざし、熟考し始める。
そうか……俺も何かの冗談だとは思っていたが、そういう事なら納得だ。まったく、珠姫も最初からそう教えておいてくれれば良かったのに。
「珠姫、俺の意思が完全に無視されている件について説明を求めたい」
「そうだにゃ~、二次元オタクな累くんなら、憩衣ちゃんに対して本気にならなそうだからかな」
「なるほどな。つまり俺は都合の良い盾になれと」
「好きでしょ? 盾……お昼の時も自ら積極的だったじゃない」
あの時積極的に憩衣を庇ったこととは意味が違う。仮にでも憩衣の彼氏を名乗れば、彼女を慕う男子達の嫉妬は何処へ行くと思う? そう、俺だ。憩衣は少なくとも十年は彼氏を作らないのだし、仮の恋人とは単なるスケープゴートに過ぎない。
そして珠姫には大きな見落としがある……一回助けたからといって、憩衣は簡単に俺を好意的な目で見るようなチョロインではないのだ。ギャルゲーの攻略難易度で言えば、プレイ二周目でしか出てこない隠しヒロインのレベルだぞ?
「珠姫のお話には一理あると思います」
「じゃあ決まりね! 憩衣ちゃんならそう言ってくれると思っていたよ~」
「珠姫っ、勝手に話を進めないでください。一理しかないんです」
「それじゃあ不十分なの?」
「不十分です。何より疑問点が多くあります」
「例えば?」
「何故、緋雨くんなのですか?」
「さっき言ったじゃん。累くんは憩衣ちゃんに対して本気にならないよ」
「どうして、そう言いきれるのですか?」
それは俺も気になった。俺が現実の女子に興味のない人物だと知られているとはいえ、珠姫だけは俺がその性癖から抜け出し変わりたいと思っていると気付いているのだ。つまり、俺が憩衣に対して恋心を抱く可能性を珠姫は否定できない……彼女が理由とした言い分は破綻しているのだ。もちろん、俺としては未来の義妹に懸想したりはしないが、珠姫は知る由もないだろう。なのに、珠姫は真っ直ぐな瞳を俺達へ向ける。
「あたしはね、累くんを信頼しているんだ」
「その信頼が理解できないから、聞いているのです!」
憩衣は何度でも説得するように言葉を返す。しかし、こうして熱心に根拠を求めているのは、提案に対して真剣に悩んでいる事の裏返しに見える。丁度今日、迷惑な告白をされたばかり……皮肉にも確かにある一理は思った以上に大きいのかもしれない。
「うーん。これはあたしの勘だから説明はできないかも。もうさ、憩衣ちゃんは警戒し過ぎなんだよ。ちゃちゃっと承諾してほしいんだけどな~」
「……すぐには承諾できません。急かされても困ってしまいます」
「というか、俺もまだ承諾していないしな」
「ほら、彼もこう言って反対していますよ。せめて一度日を置きませんか?」
「ん? 別に反対はしていないぞ。いいぜ? 俺は」
「はっ、はい? すみません、よく聞こえませんでした」
「だから、協力してやっても良いって言ったんだ。俺じゃ不満か?」
「不満ですし、信じられません。てっきり貴方も反対してくれると思っていたのに……」
裏切り者だと断じるように、憩衣は俺を睨んだ。
俺だって未来の義妹をフリとはいえ恋人にするなんて、正直想像できない。だけどさ、珠姫が友達という形でもいいから俺と交友を取りたかった理由がこれなんだろ? だったら、これは断ってはいけない提案なんだ。断れば、この関係はそこまでだから。
俺は本気で、憩衣と仲良くなりたいと思っている。その為に多少嫌われたとしても、甘んじて受け入れようじゃないか。
「へぇ、俺も反対してくれると思っていたのかー……そりゃ光栄だ。憩衣に信頼されているなんて、思ってもみなかった」
「そっ、そういう信頼の意図はありません! 貴方は私にとって、そう……敵の敵である味方みたいなものです」
「つまり信頼してくれたんだな? ありがとうな」
「~~っ! もう帰ります!」
突如立ち上がり、自分の荷物を持った憩衣は逃げるように去っていった。
テーブルに残された彼女のコーヒーは飲み干されており、空っぽ。きっと考えが纏まっていないだけ……だと信じたい。
すっかり喉が渇いてしまった。俺の飲むはずだったカップは隣の珠姫にかっ攫われてしまった為、俺は追加のコーヒーを注文する。
「振られちゃったね? 累くん」
「…………」
「ほぇ? ほふっ! なんえ?」
取り敢えず、珠姫の頬をこねておいた。昼間、珠姫が憩衣にやっていた事だ。誰の所為で喉がカラカラに渇いていると思っているんだ!
「……少しは悔い改めろ」
「にゃ~、セクハラだよ!」
「それは禁止だろ」
「あたしの頬の柔らかさを褒めたら許可してしんぜよう」
珠姫の頬で遊ぶのは止めた。また彼女に振り回されている気がする。俺は一体何をしているんだ……自分自身に呆れてしまった。
「……珠姫は妹想いなんだな」
「んー? それはどうかな」
「誤魔化すなって。今回の提案だって、憩衣のあの性格じゃ自分から言い出せないだろ」
「単なるお節介かもしれないよ?」
「好きでもない奴にお節介なんてしないだろ。まったく」
「……そうかもね~」
珠姫は本心を当てられたのが照れ臭いのか、さっきまで憩衣が座っていた対面の席へ座り直す。ようやく届いたコーヒーを一杯飲んでから、俺達は喫茶店を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます