第10話 喫茶店にて二人きり
昼休みの一件は、午後の授業の予鈴と共に終わった。
当然昼飯を食べる時間の余裕は当然ない。憩衣と別れた俺と珠姫は急いで売店で固形栄養食を買い摂取した。大企業のお嬢様である珠姫に一体何て物を食べさせているんだ、と周囲から奇怪な目で注目されていた気がするが、俺が誑かしたと思われないか心配だ。
まあそんな事は大した問題じゃない。エキセントリックな提案がされた後すぐに予鈴が鳴ったから、珠姫からは何の説明もないまま、憩衣からは何の言葉もないまま、事態は停滞しているのだ。憩衣から俺に対する印象も無事マイナスからスタートしたきり変わっていない。
あれれ、おかしいね? 頼れる義兄として盾になり男子から守ったつもりが、背中から刺された気分だ。
「はぁ……」
午後の授業、窓の外を見ながら頬杖を付き、珠姫の提案について考え込む。
俺を憩衣の彼氏にしようだなんて、珠姫は何を企んでいるんだ? しかも俺の意思確認無かったよな? 珠姫は友達という概念を何でも言う事を聞いてくれる奴隷と勘違いしているのかもしれない。いや、そんな本気でサイコパスだとは思いたくはないんだけどさ。
うーん。幾ら考えても珠姫の思考はぶっ飛んでいる。リニアモーターカー並みのスピードであらゆる事情をすっ飛ばし、終点到着だ。
一先ず流れで珠姫と連絡先を交換し、放課後にまた三人で話そうとは言われている。因みに憩衣は連絡先を教えてくれなかった。十年以上アドレスと電話番号が変わってないなら覚えているけど、流石に使えるものじゃない。
という訳で、珠姫に指定された喫茶店へと入店した。
だが、店内には当の珠姫がおらず、憩衣の姿だけが見えた。グッと俺の足は踏みとどまる。彼女の元へ向かう前に珠姫を待つべきか悩ましい。第一印象が悪いだけに、出来れば二人きりになりたくないからだ。しかし、憩衣が先に鋭く俺の姿を捉えてしまった。不審に思われたくもないし、渋々同席させていただく。
「……やぁ、堀原さん」
「はい、お昼ぶりです」
コーヒーカップの持ち手を摘まみ、礼儀正しく上品に唇を付ける。珠姫がおらず落ち着いている所為か、その姿からは彼女の優雅さをありありと感じる。もうこの頃から淑女としての嗜みは心得ていたらしい。どこぞの義妹とは大違いだ。
俺も彼女に倣いコーヒーを注文するが、二人きりの待ち時間はどうにも落ち着かない。珠姫がいないと本題には入れないし、だからといって俺の事を話す訳にもいかない。俺に出来る世間話は、つい十年先の世情を話してしまいそうだしな。テーブルを挟み、沈黙が気まずい雰囲気を生む。何より店員さんがこちらを一瞥しながら顔を引きつらせた時には、同じ顔を見せ返してやりたくなった。痴情のもつれだとか修羅場だと思われているのかもしれない。
すると、彼女が小さく溜息を零す。吐息は微々たるものだったが、コーヒーの波紋として表れてしまう。憩衣は感情を抑え込むのが上手なんだろう。前世の俺に対しても、最後の最後まで本心は隠したままだったしな……。
「わかってはいるのです。貴方は珠姫に振り回されているだけなのでしょう?」
「……うん。まあ、そうなのかな。堀原さんの彼氏になるとか、そういう話もあの時初耳だったし」
「少し安心しました。私が思っているよりも、良識のある方なのですね」
良識も何も、あれが突飛な提案だと気付けない者の方が少ないと思うけどね。
取り敢えず憩衣の方から会話の糸口をくれた事で助かった。
「それと、もう憩衣でいいです。家族の目前にて苗字で呼ばれると他人行儀に感じるのは、私も同じですから」
「わかったよ。憩衣」
「……ためらいがないのですね」
「フレンドリーって言ってくれ」
言い方にまだ棘を感じる。けど、憩衣の他人に対する接し方としてはこれがデフォルトだ。それに、出会って一日目でこうして会話が出来ている……ファーストインプレッションのお陰なのか、裏を返せばそこまで嫌われていなかったのかもしれない。
すると、注文のコーヒーをウェイターさんが持ってくると同時、ようやく珠姫が到着したみたいだ。彼女は自然な流れで俺の椅子へと座り、何故か憩衣が眉をひそめる。
「遅かったですね、珠姫」
「そんなことないよ。憩衣ちゃんと累くんが早かっただけじゃない?」
「……そうかもしれませんね」
「え、いいのかよ。それで」
はっきりと集合時間は決めていたので、俺達が早かったのではなく、明確に珠姫の遅刻だ。しかも、彼女が集合時間を決めた張本人である。にも関わらず、お咎めのない憩衣の態度は寛大だと思った。
「いいんです。珠姫のことですし、遅れたことに深い意味もなさそうですから」
「そ、そうか……憩衣がいいなら俺も気にしない」
前世では二人が不仲だったこともあり、珠姫の遅刻に憩衣が怒ったこともある。それで違和感を覚えてしまったんだろう。要らぬ茶々を入れても仕方ない。
「およ? およよ~?」
にへら笑いを浮かべた珠姫が隣から俺の顔を覗く。俺は目を逸らそうと視線を動かすと、そこには憩衣の怖い瞳があった。そして珠姫のムカつく顔の理由を理解する。
「一応先に断っておくが、憩衣から名前呼びの方が良いって言われたんだ。他意はない」
そう、俺は言われた通り呼び方を戻しただけだ。珠姫に揶揄われるのはいいとして、許可してくれた憩衣から怖い目で見つめられるのは理不尽だと思う。そこまで馴れ馴れしくしたつもりはないぞ?
「ふうん。本当かにゃ~?」
「許可はしましたが、そう望んでいるとまでは言っていません」
「えっ? ……憩衣の方から言いだした事だし、てっきり呼んでほしいも同義だと思っていたんだが」
「それは曲解しています!」
「えぇ……」
憩衣は頑なに否定してくる。ここまで言われると、まるで珠姫が来るまでの会話を無かったことにしたいみたいだ。俺はそこまで嫌われていなかったのだと思い直したが、気のせいだったのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます