第9話 塩対応な憩衣
「堀原財閥のお嬢様なんだし、そりゃそうだよね。でも大丈夫だよ、親の期待は姉の珠姫さんが――」
「っ!?」
「そこまでにしておけよ」
男子が追い詰めた先、憩衣のすぐ背後にある扉が勢いよく開きだす。
俺が現れると、男子は酷く動揺していた。大事な告白の途中なのだし無理もないか。けど、いい加減俺も苛立っている。
「なっ、どうしてお前がここに……緋雨累」
「なんだ、俺のこと知っているのか。他クラスなのに」
「お前の虫唾が走る自己紹介を知らない奴なんて、同学年にいないと思うけどね」
畜生、悪い意味で知られていたらしい。皆、俺に当たりが強いなぁ。同じ特待生にまで蔑まれていたとは予想外だ。俺の性癖もそこまで気味悪くはなかったはず……もしかして、顔が良いから悪い部分を徹底的に突かれているのか? 陰湿な女子みたいな事しやがる。
「まあ俺のことはいい。ここには偶然通りすがっただけだしな」
「緋雨累が他人の事情に絡むなんて性に合わない。もっとドライだって聞いていたが?」
「噂は噂だ。今日からコミュニケーションに対して積極的になったんだ。それよりも、告白が聴こえたと思ったらこりゃ一体何のつもりだ?」
「それは……」
カッと頭に血が上った行動に言い訳が浮かばないのか、男子は言葉に詰まってしまった。
一応悪気はあるらしい。
「魔が差したなら謝ったらどうだ? 彼女が怖がっていることくらい、見ればわかるだろ」
「…………」
弁明の機会を与えてやったが、男子は頑なに目を逸らして沈黙を貫く。
素直になれないのは、俺のことが気に食わないのか憩衣を怖がらせたことを受け入れられないのか。わからないが、彼の顔には葛藤が見え隠れする。
「はぁ……まあいいや。告白のこと、後々噂されてから反省するんだな」
「ほ、堀原さんはそんな言いふらしたりする子じゃ――」
「私っ、お姉ちゃんに責任を押し付ける人は絶対に無理なので!」
「……えっ」
プール館内に、憩衣の叫声が響き渡った。小さな少女の身体から出たとは思えない程の声量に、俺の目の前にいた男子が後退りしていた。
俺も驚いた。憩衣が珠姫を姉と呼ぶなんて初めてだ。不仲の姉妹関係しか知らない俺にとって、それはまるで奇跡の瞬間だった。
「行きますよ、貴方」
「……ん? え、俺?」
すると突然、憩衣が俺の制服の裾を摘まみ引っ張りだした。俺が転びそうになると手放し、先にプールサイドから出て行ってしまう。
振り返ると男子が絶望した顔をしていた。
「くそっ、俺の何が悪かったんだよ……」
どうやら未だに振られた事実を受け入れられていない様子だ。彼の容姿は悪くないし、それなりに憩衣と話す仲だったのかもしれない。
情けをかける訳じゃないが、逆恨みされても面倒だし後始末をする。
「お前の言う通り、憩衣は優しいよ」
「……何が言いたい」
「反省して、後で謝っとけよ。そうすれば、憩衣は皆に暴露したりしないだろうさ」
「わかったよ。わかったから、一人にしてくれ」
「あっそ」
男子を背に向けて、俺もプールサイドから出て行く。
我ここにあらずといった姿を見ていても仕方ないし、落ち着きだして逆上されても面倒だ。ここは早めに退散するに限る。
先ほどまでいた珠姫がいた場所を確認すると、そこに姿は見えなかった。棟外にまで出ると、そこには堀原姉妹の姿が揃っていた。
ようやく、俺にとって未来の義妹二人が目の前に揃った……のだが――。
「もう可愛いなぁ、我が妹ちょ~かわいい! もう一回お姉ちゃんって言ってほしいなぁ~」
「やめてください、珠姫……いつから聞いてっ」
「…………」
珠姫が憩衣をハグしながら、頬っぺたをムニムニとこね回し戯れていた。
ああ、これで姉妹でなければ百合の体現だ。二人の姿はとても絵になっている。同時に、俺にとってはとても声をかけづらい状況だ。長年のヒッキーな俺には圧倒的に経験値が足りていない。
これ、こっそりと先に帰っていいかな?
お腹も減ったし早く教室に戻ろうと思い、そろりそろりと忍び足で二人の横を通り過ぎようとする。
しかし残念ながら、憩衣と目が合ってしまった。
見られている事に気付いた彼女は慌てだし、どうにか珠姫を遠ざけようとする。
「ああっ! 放してお姉ちゃん」
「うへへっ、仕方ないにゃ」
「ごほん、先ほどはどうもありがとうございます」
「お、おう」
先ほどとは違い、憩衣は真面目な態度で俺に向き直った。
感謝の言葉を述べつつも、何処か冷たく距離をとってくる。相変わらずの塩対応だ。しかし俺にとっては、それでいい。その方が安心できる。俺の知っている憩衣が目の前にいる。前世で最後に見た佇まいと同じ。何十年経っても、憩衣は変わっていなかったのだ。
「緋雨くん、名前は私も存じていますが……あの、初対面でしたよね?」
「そう……だね」
俺が答えると、心なしか不機嫌な表情を浮かべられてしまった気がする。絶対の記憶力を持っている憩衣に嘘を吐いてもバレるだけなので正直に答えるしかなかった。もちろん、彼女が怒っている理由に対して心当たりはバリバリある。
「助けて頂いたことには感謝していますが、さっき私のことを憩衣って呼びましたよね? 名前を呼び捨てにされたことについては、少々失礼だと思いました」
「あっ……ああ。ごめん」
「こらっ、憩衣ちゃん~? 恩人にはツンツンしてないで素直になりなよ」
「黙って珠姫」
「えーんっ」
珠姫が茶々を入れてくれるが、誤魔化されてくれなかった。
「本当に悪かった。不愉快にさせてしまったなら、ちゃんと詫びるよ」
「あっ、頭を上げてください。そこまでの謝罪は求めていません。慣れ慣れしく呼び捨てにされたのは貴方の性格なのでしょうけど、以後気を付けていただければ――」
「いや性格とかじゃなくて……俺さ、珠姫とは呼び合う仲なんだ。だから、憩衣さんを苗字で呼びにくくてさ。今度からはちゃんと気を付けるよ」
「……は? 待ってください。珠姫とそういう仲って、どういうことなんですか?」
さっきまでひんやりする程度だった憩衣の態度が、吹雪のように変わった。
待ってくれ、何処で地雷を踏んだのかわからなくて流石の俺も混乱する。
「……深い意味はないんだ」
「話になりませんね。珠姫、どういうことなんですか?」
「あたちぃ、黙ってって言われちゃったからにゃ~」
「……お姉ちゃん、いつもよりおふざけが過ぎませんか」
「ごめん、そうだったかな。まあ簡単に説明すると、この人はあたしの彼氏」
「違うよな? 嘘吐くな?」
平然と嘘を吐かれた。この状況でよく言えるな。
友達でいいんじゃなかったのか。いや、よく考えたら珠姫とは突然友達になってほしいとか言われて承諾しただけの変な関係だ。結局、振り回されているだけで俺に何をしてほしいのかまだわかっていない。
「彼は違うみたいですよ」
「も~、累くんったらノリが悪いなぁ」
空気感で言うなら珠姫が浮いている状態だと思うんだけど、彼女の世界ではそうじゃないらしい。俺が困った顔を憩衣に向けると、気の毒そうな顔がそこにはあった。
「じゃあパパっと言っちゃうけど、憩衣ちゃん。この累くん、彼氏にしてみない?」
「……は?」
驚天動地の提案に、俺は言葉を失った。
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