がらんの心臓
がらんという死に神が、どこからやってきたのかはわからない。
物心ついた頃にはもうゴトリの傍にいたからだ。
ゴトリの両親が死んだその日も、がらんはそこにいた。突然視界が真っ暗闇に覆われ、激しい痛みと共に息ができなくなり……そこから目を覚ますと、両親はただの肉塊と成り果てていた。
しかし死に神だというのに彼らの骸に見向きもせず、ただそこに佇むがらんの姿は異様だった。
そう——異様、だったのだ。ぽっかりと黒い空虚が胸に空いた死に神は。
灰色の光が視界を遮った時、遠のく意識の中で両親のこの世のものとは思えぬ叫び声を聴いたのをゴトリはふと思い出す。倒れたままの両親の骸をばりばりと咀嚼する別の二体の死に神、その胸にはっきりとあの灰色を視た。
その時からだ、ゴトリに死に神の心臓が視えるようになったのは。
視える——とは正確な表現ではないのかもしれない、確かにはっきりと視認できる事もあるが、ゴトリはその心臓の存在を確かに感じ取れたのだ。
痛む身体と、折れた骨が軋むのを感じながら、ゴトリは必死にがらんに手を伸ばす。
「おとうさんと、おかあさんを……返して」
「……」
「誰なの……ずっと近くにいたのに、どうして助けてくれなかったの」
「助ける……? ドウシテ?」
がらんどうな、心の底に響く凍てついた声がした。何の感情も持たぬようなその声に、血溜まりの中からゴトリは叫んだ。灼け爛れた小さな手のひらを、目の前の空虚へと必死に伸ばした。
「返して、返して、返してよ……!!!」
「死んだ者は決して生き還らない。たとえ天使の力を持ってしても……それにあれらもわたしも、死に神だ。死を司るもの——生を与えるなんてことは、」
「じゃあ、僕は。世界中の死に神を殺してやる。おまえら全員を。絶対に、ぜったいに……!!」
——それでいい。
そう、がらんは虚ろな表情のまま口元だけを綻ばせた。
「化け物どもを倒す力をあげよう。その代わり、きみの命が尽きるとき——きみの一番大事なものをわたしにおくれよ」
以来、ゴトリはずっとがらんを連れている。
否、もしかすると初めはがらんがゴトリという人間の子どもを連れているように見えたかもしれない。
がらんはありとあらゆる知恵をゴトリに授けた。生きる為の知恵、森や海で生き抜く方法、本の読み書き、人間の社会の中での生き方——そして化け物どもの殺し方を。
巨大な海獣を撃ち抜けるリボルヴァー式ライフルを、ゴトリははじめ重すぎて構えることすらできず。底なし沼の森ではしょっちゅう泥に脚を取られては引っ張り上げられる始末で、化け物殺しのライフルに必要な水銀や溶岩の弾丸を精製する為に火山や水源に行くのも命懸け。
「なんだってニンゲンはこうもすぐに傷つくのか」
つまらなそうな、呆れ返ったため息を吐きながら、それでもがらんは何度もゴトリを待った。
道中、何度も他の怪物や死に神に目をつけられ、それでも諦めないゴトリを面白がっていたのかもしれない。食人花に襲われ、水辺では引き摺り込まれ、さあいつ弱音を吐いて自分から離れていくのだろうと。命を奪うのは簡単な人間を、生かすのは難しいものだ……と仕方なく薬を与えながら何度もがらんは物思いに耽った。
しかしゴトリは決して折れなかった。
いつの間にか、その髪の色はまるで死に神の心臓のような灰の色へと変化し、がらんの教えを忠実に守った彼は一流の
「目を閉じて——その向こうに在る灰の心臓を穿て」
それががらんの教えだ。姿に惑わされず、瞼の向こうに感じる灰燼、それだけを真っ直ぐに撃ち抜く。
死に神を殺すには、特殊な銃弾と——それで奴らの心臓を撃ち砕くしか方法がない。
手段を持たぬ人間は、家族を、仲間を、雇い主を。彼らを護る為にと
だからこそ
撃ち抜いた死に神の消し屑のような灰を、がらんはいつも最後の一粒まで飲み干した。
死に神に「共食い」の概念はあるのだろうか。美味いとも何とも言わず、たださらさらと灰を胎内に注ぎ込むかのようながらんの姿からは何も窺い知れない。
そもそも彼らは何処から来て、何処へ還るというのだろう。人間が天国と輪廻を信ずるのなら、死に神たちは一体この世に這い出して何を想うのだろう。
「何にも。死に神は自分じゃ終わりを選べないのさ」
そうがらんは言う。もう生きる事には飽きてしまったのだ、とがらんは言うのだ。
「だからねゴトリ。もしも最後の一体まで、死に神を倒すなんて事ができたらその時は——私の事も撃てばいい。そうすればきっと……死に神はこの世界から一体もいなくなる」
「がらんは死に神という種族が……同族が全滅する事に、心は痛まないの?」
「さぁね。そもそもわたしには心臓も、心もないのだから」
「サイテーだね」
「お褒めにあずかり至極光栄」
死に神を残骸ごと葬り去る為に。だからゴトリはがらんと共にいる。
そして、自らが司ってきたはずの死に際に、彼らは決まってこう言うのだ。
——ウラギリモノ、と。
それはゴトリと……その向こうにいるがらんへ向けられたであろう、力のない呪詛の言葉。
だからゴトリは思うのだ。
灰の心臓が視える自分の能力は、がらんの力なのだろうと。
幼い頃に憎しみだけを胸に交わした忌まわしい契約なのだろうと。
だから自分は——憎いこの心臓のない死に神と、最後まで共に歩むのだと。
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