ゴトリは強かった。誰よりも強い狩人だった。

 だから多くの村々を化け物たちから救った。そのあまりの強さに、人々は感謝をしつつも恐れをなしていた。

 謝礼を渡すと、誰も彼もが即座に村を立ち去るようゴトリに告げるのだ。化け物を従えた狩人なんて……ましてや死の匂いを纏った灰の髪色をした人間なんて、と。

 窓の向こう、家の中からは母親の腕に抱かれた幼子が恐怖の表情でこちらを窺っているのが分かる。


「安心しろ、すぐに立ち去る。それに、きみたちは僕のようにはならないから……大丈夫」


 立場が違えば。自分もあの子供と同じ眼差しを誰かに向けていたのだろう。

 けれどもそれは、遠い昔に捨て去った日常だ。


 死に神の心臓を撃ち抜く度に、ドクンと自分の鼓動が脈打つ気がする。

 これが命を消し飛ばした代償の痛みなのだろうか、それとも自身の中に眠る憎悪が歓喜に震えた脈動なのだろうか。


「ゴトリ、目を瞑って。雑念を捨ててその向こうにある……」

「わかってるよ。灰色を撃て、だろ」


 引き金を弾く。幾千という夜を超えて、何百という灰の心臓を撃ち砕いてきた事だろう。その大口径の銃口から、化け物専用の銃弾が解き放たれ牙を剥く。

 ダァーンッと乾いた銃声が響いた。

 其処に残るのは——硝煙と、誰かの生を喰い物にした化け物の成れの果て。




◆◇◆◇◆◇◆◇




「あれが……死に神?」

「そう。いまの世界に、死に神はもはやわたしと奴しかいない」


 その死に神は、まるで神のような姿をしていた。

 黄金の翼と慈悲深く張り付いたような笑みの向こうで、はらはらと灰燼が舞うように心臓が蠢いている。


「ゴトリ、姿ではなくその心臓で見定めなさい」

「わかってる——」


 銃弾をシリンダーにセットするゴトリを見て、がらんが珍しく笑ったのが聞こえた。


「……どうしたの、がらん」

「いや。賭けはわたしの負けだな。ゴトリの命が尽きる前に、死に神たちを根絶やしにする日が来てしまうだなんて」

「そんなこと——」


 これで撃ち砕けば。あの神々しい姿の死に神を撃てば、忌まわしい己の人生の目的は達成される。

 これで——死に神に怯える人間はもう居なくなる。

 いまいち晴れない胸の内を隠したまま、ゴトリは死に神の前へと躍り出た。


 一発目。振り向いた死に神のその笑顔に惑わされたか、銃弾はその袖の下を掠っただけのようだった。

 まるで仮面のような笑みを張り付けたまま、死に神はふわりと宙を舞う。

 

「がらん、がらんどうの虚無の死に神よ。それなのに……ニンゲンの子どもを救ってしまった、哀れな哀れな出来損ないめ」

「耳を貸してはいけないよ、ゴトリ」


 わかってる、とゴトリは息を吐いた。死に神の言う事は決して聴き入れてはならない——そう教わったし、ゴトリ自身がそう決意していたからだ。


「どうしてだ、がらん? お前はすばらしき同族だったはずだ、なぜ、なぜ生贄を喰わずに傍においている? お前はそんな奇妙な嗜好を持つ者ではなかったはず」

「わたしは変わらず死に神だよ。悍ましい、死を司る化け物さ——対象が変わっただけでね」

「なんと情けない……!!!」


 金色の翼が刃のようにはためいてゴトリめがけて一直線に飛んできたのを、ゴトリは間一髪のところで後ろに飛び退って躱した。

 引き金に指をかける隙をつけまいと、なおも死に神は手を緩めずに攻撃を続ける。


「おかしいとは思わないか、人間よ。こいつは、このがらんは。お前の両親が死んだ日に何をしていた?」

「な、何をっ」


 それは、考えないようにしていた事実。

 どうして、どうしてあの日がらんは居たのか。

 そもそも……何故自分だけが生き残ったのか。

 もし、もし、もしも。自分を飼い慣らす為に、がらんが自分だけを生かしていたのだとしたら……。


「ゴトリ、聞いてはいけない」


 少し動きの乱れたゴトリに、死に神はにぃーっと口元を綻ばせて、その顔面に張り付いていた笑顔の仮面を一枚剥いだ。


「お前の母親は、こんな顔をしていたかい? ふふふっ。なぁ面白いことを教えてあげよう。この人間を殺したのはね、其処にいるがらんなのだよ」

「……えっ」

「ゴトリっっっ」


 ゴトリに死に神のその"顔"を見せまいとしたのか、それともゴトリを刃から庇ったのか。

 翻った朧な外套が、びしびしと何十もの刃物で貫かれたのが視えた。


「がら、ん」

「撃ちなさい」

「でも、がらん」


 コロしてやる! コノ人間め! そう叫ぶ死に神の身体諸共、がらんはまるでそれを抱きしめるかのように共に無数の刃で貫かれていたのだ。


「姿に惑わされるな、きみが撃つべきなのは」


 ——その向こうにある灰色。


 冷え切った空気を肺に少し入れ、ゴトリはライフルをその手で構え直す。

 一瞬、その一瞬の隙があれば十分だった。

 引き金に指が掛かった瞬間、がらんはもう一度小さく笑った。


「そうだよ。今までよく踊ってくれた、きみの両親を殺したのはこのわたしだ。ああとても滑稽だ、その表情、たまらない。ひどくひどく愉しかったよ」


 ——その灰色を穿て。

 ゴトリは景色が歪むのを感じながら、目を閉じ、引き金を弾く。


「まっ、待てがらん。お前心臓はどうした? あの子供の……あの不気味な心臓は一体——っ。ううううまさか、まさかお前、お前がウラギリモ」


 断末魔を叫ぶ暇すら与えずに、その灰色は重苦しい音と共に。一直線に撃ち砕かれた。

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