第37話

「すまんかったな」

「わるびれるようすなし」


 縄を解き、翼の網を取り外してもらった親分は謝罪の言葉を吐いた。しかし晴暁の言う通り、反省している様子はない。


「笹子に手を出すのは二度とやめてもらおう。そしてもし、もう一度我らに攻撃を仕掛けるというのであれば、今度は殺す」

「おお、若いのは血気盛んで怖いのう」


 親分は怖がる様子もなくそう言って肩をさすった。


「約束できぬというのであれば……」

「大丈夫じゃ。もちろん、それについては承知しておる。二度と貴様らには手を出さん。とんでもない陰陽師を味方に連れているようだしの。敗者は勝者に従うのみよ」


 親分はジトリと信幸に視線を向ける。しかしパッと振り返って失神した者や怪我をした天狗に声をかけると、傲慢天狗たちは気を失った者たちを抱えながら空を飛んだ。


「ワシらはもう帰る。怪我の手当が必要なものもいるようだしの。約束通り、もう貴様らには近づかんから安心せい」


 親分はそう言うと翼を広げた。怪我人の一人を抱えて傲慢天狗たちと同じ方向へと飛んで行き、次第にはその姿は見えなくなった。


「元々住んでいた山に帰ったな」

「そのようですね」


 傲慢天狗たちが去った山は数時間前に比べると随分と静かだ。町の方を見下ろしてみると、空が少しずつ色づき始めている。


「ふぁぁ。疲れたな」

「ああ。俺もう布団に入ってぐっすり眠りたいよ」

「どうい」


 雪丸たちは全員の無事を確認すると山を降りる。

 裏山から信幸の家に着くと、信幸が口をぽかんと開けた。


「え?」

「あっ」


 雪丸はそうだった、と犬神と視線を交わす。帰ろうとしていた信幸邸は、倒木によって半壊している。


「どういうこと?」


 寝ぼけているとでも思ったのか、数回瞬きして目を擦った信幸はこれが現実だと確かめると雪丸たちに尋ねた。


「いやぁ、それが……」

「貴様が捕らえろと言っていた敵陣の親分がこちらを攻撃してきたので戦闘になった。その結果だ」


 雪丸がなんと説明しようかと口籠ると犬神が事情を話す。


「戦闘だと⁉︎ 怪我はしてないか?」

「俺は問題ない。小僧は背中を打ったと言っていただろう」

「てっきり犬神が加減できなくて振り落として背中を軽く打ったんだと思ったんだ。まさか戦闘になっているとは思わんだろう!」


 信幸は心配そうに雪丸の背中をさすった。


「痛くないか?」

「ああ、気にしなくていいって。最初はちょっと痛かったけど、今はべつに痛くないから」

「そんな、雪丸くんの体に傷が⁉︎ 許せないわ。あたし、ちょっとあいつらを追いかけて殺してくる」

「落ち着け! 血は出てないし、たぶん赤くはなってると思うけど数日で治るから!」


 瞳に殺意を抱いた朱鞠を雪丸は慌てて引き止める。止めなければ本当に追いかけていきそうだったのが恐ろしい。


「怪我を見せて……うん、打撲してるけど、これくらいなら雪丸の言う通り大丈夫そうだね」

「だからそう言ったろ?」


 雪丸の服を捲り上げ、背中の怪我の度合いを見た信幸はほっと胸を撫で下ろした。

 雪丸に止められて朱鞠も渋々おとなしくなる。


「もうが明けるな」

「そうだな」


 信幸の言葉に頷く。山にいたときより空の色が明るくなってきていた。明日、もとい今日は日曜日だ。疲れたので昼頃までゆっくり寝たいものだ。


「俺も疲れた。もう戻るぞ」


 犬神が口を開くとそう言った。式神は常時、陰陽師のそばにいるわけではない。このままでは犬神が帰ってしまうと思い、雪丸は犬神に声をかけた。


「犬神、今回はありがとな。お前がいてくれてすげぇ助かった。チャリより速くビュンビュン山の中を駆けて回るの、不謹慎かもだけどちょっと楽しかったよ」


 雪丸は手を伸ばし、犬神の毛並みを撫でる。犬神は少しくすぐったそうに目を細めた。


「ふん、もし主人を選び直すようなことがあれば信幸より小僧の方がいいな」

「雪丸は相変わらず妖怪に好かれるタイプらしい。ま、式神は妖怪とは違うけど」


 羨ましいなーという信幸の声が聞こえてくる。犬神が信幸に懐かないのはちゃんとした報酬を与えていないからだろう。


「そうか? ありがとな」

「ああ、お前とならまた戦ってやってもいい」

「とか言いつつ俺のためにも動いてくれるよなー、犬神は」

「頭から食うぞ」

「できるもんならやってみろ」


 はは、と信幸は笑う。犬神も本気で信幸を襲う様子がないことから、仲は悪くないんだなと雪丸は思った。


「今回の報酬は前回の分も含めて弾めよ」

「そうだぞ、信幸。犬神、信幸が報酬をろくに渡さないって怒ってたぞ」

「ええ……犬神の欲しがる報酬と言うと肉だろ? でも犬神は見た目のわりに大食いだから出費がきついな……」


 信幸は困ったように笑った。


「まぁ、頑張った分のご褒美はあげないとな。なんとか用意しよう」

「もし用意できなかったらお前を食う。じゃあな」

「ああ、お疲れ様」


 信幸がヒュッと指を横に振ると、犬神は姿を消した。少し寂しい気もするがしかたがない。

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