第36話
「天狗を捕らえる。でもあいつは空を飛べるから……そうか、空を飛べるなら飛べないようにしてしまおう」
雪丸は信幸の家の中を走って倉庫になっている部屋の襖を開けた。中は埃まみれで雪丸の服にも埃がかかってしまうが、気にしている場合ではない。
ずかずかと部屋を漁り、縄と人ひとり分は囲えそうな大きな網を手に取った。これで天狗の翼の動きを封じ、捕らえるつもりだ。
「よし、行くぞ!」
縄を胴体に巻き付け、大きな網を畳んで肩にかけた雪丸は家の中に食い込んでいる木と向き合う。
本来なら、残念ながら雪丸一人では屋根の上まで行けない。しかし今はこの木がある。それを伝って屋根へと登り、天井に開いた穴から少しだけ顔を出して戦況を把握する。
壊れた信幸邸の屋根の上で天狗と犬神は戦っていた。天狗は背後にいる雪丸の姿に気がついていないようだ。自身の眼前にいる犬神と向かい合っていた。
「……」
ここで背後から天狗に飛びかかっても、振り落とされるのが目に見えている。なので雪丸は無茶はせず、天狗より奥にいる犬神に視線をやった。
「……グルル」
雪丸が伝えたいことを理解したのか、犬神は軽く唸った。そして天狗に飛びかかる。
「よっと」
犬神の攻撃を避け、天狗は信幸の家の庭に降り立った。犬神もあとを追い、地面に足をつけた。
雪丸は穴から出て誰もいない屋根裏に上がる。下を向けば、向かい合う天狗と犬神が見下ろせる。
雪丸は肩にかけていた網を広げて構えた。
犬神は天狗の足を狙ったロー攻撃を入るが、天狗はふわりと飛んでそれを回避した。
「待ってたぜ!」
「なに?」
雪丸は天狗がこちらを向くよりもはやく、構えていた網を天狗に放り投げた。雪丸の手元を離れた網は空中を舞い、飛行途中の天狗に覆い被さる。
「チッ、この程度」
顔にかかった網を払い除ける天狗だったが、急にバランスを崩して地面に膝をついた。
「クソッ、翼に絡まってとれん!」
雪丸が投げた網はしっかりと天狗の翼に絡みつき、天狗の飛行能力を封印した。
「ばさばさ翼を動かせば動かすほど絡まるぜ?」
雪丸は屋根上から天狗に声をかける。
網は天狗の姿を捕らえるには力が足りない。しかし背中に生えた二つの翼を封印するにはじゅうぶんだった。大きな網は、天狗の大きな翼の羽の一つ一つに複雑に絡まる。たとえ無理に引きちぎられてしまっても、翼に怪我を負わせることはできるだろう。
「クソッ!」
翼に絡まった網を取るのを諦めた天狗は葉っぱを握る。しかし時すでに遅し。網と格闘している間に距離を詰めた犬神の蹴りが天狗の腹部を直撃した。
「がはぁっ!」
天狗の体は衝撃で信幸の家の生垣まで吹き飛んだ。
雪丸は急いで一階へと降り、犬神に縄を投げる。
「まだじゃ!」
諦めずに体を起こした天狗だったが、手に葉っぱがないことに気がついた。それは犬神の足元に転がっていた。取りに行こうと歩みを進めた天狗だったが、犬神が縄を咥えているのを見て絶句した。
「まわりまーす!」
その縄の反対側は雪丸が持っていた。
天狗が二人の意図を察するまえに雪丸と犬神は互いに向かって走る。雪丸は途中で犬神とすれ違い、そのまま天狗の周囲を走り続ける。犬神も縄を咥えたまま雪丸とは反対方向に天狗の周囲を回っていく。
一本の縄を持った二人の間に挟まれた天狗はぐるぐると縄で巻かれていった。
「ああ、くそぅ。ワシの負けか」
翼を封じられ、風を操る葉っぱを取り上げられて縄でぐるぐる巻き。さすがに天狗は潔く自身の負けを認めた。
「よっしゃ!」
「やったな、小僧!」
縄の端を結び、天狗の動きを完全に封じると、雪丸と犬神は喜びの声を上げた。
背中を打って、走り回ったので少し疲れた。しかし休憩している時間はない。
縄で捕らえた傲慢天狗の親分を犬神の背中に乗せ、信幸の元へ走る。
「ああ、捕まえれたか。随分と時間がかかったじゃないか」
信幸の周囲には傲慢天狗が二十近く転がっていた。全員気を失っているだけのようだ。争った形跡はあるが、血が流れている様子はない。
雪丸たちが親分を捕まえるのに時間を有したため、信幸たちの負担が増えてしまったようだが、信幸は怪我どころか息すらあがっていなかった。本当にわりとすごい陰陽師らしい。
「想定外のことが起きてな」
犬神がため息を吐きながらそう言った。
「そうか。雪丸、怪我してないか?」
「ああ、背中を打ったけど大丈夫。それよりはやくこの騒動を収めないと」
「なるほど、ワシを人質にしようとな」
「話がはやくてなによりだ」
信幸は懐から取り出した紙を空に放った。その紙は風の向きに逆らい、どこかへ飛んでいく。
「今のは?」
「陰陽師版の伝書鳩みたいなものだ」
紙を飛ばして数秒。すぐに鉄之介が飛んできて、傲慢天狗の親分を睨みつけた。
「喧嘩はだめだぞ?」
「わかっています。恨み言の一つでも投げつけてやりたいですが、今はこの争いを止めるのが先決ですから」
鉄之介は一度深呼吸すると、縄でぐるぐるにされた親分を小脇に抱えて天高く飛ぶ。山の中にいる傲慢天狗たちに、しっかりと見えるように。
「見よ。お前たちの親分はこちらの手の内だ。引け。さすれば此度の我ら烏天狗への冒涜、特別に許してやろう」
よく響く大きな声で鉄之介は傲慢天狗たちに警告する。
山の至るところで聞こえていた傲慢天狗たちの戦闘音が静かになった。といっても傲慢天狗の半数はすでに信幸たちに失神させられているようだったが。
「すまん。つかまっちゃった」
「親分ー!」
鉄之介の腕の中で軽いノリで謝罪する傲慢天狗の親分に、殺気立っていた傲慢天狗たちはおとなしく武器を投げ捨てた。
いくら上下関係に厳しいとしても、あのノリで親分が務まるのかと思った雪丸だったが、戦闘において親分は他の天狗より確実に強かった。戦闘を楽しんでいる様子を感じたので、もし親分が本気で殺しにきていれば、犬神はともかく雪丸は死んでいたのかもしれない。
「帰るか」
「我々が負けるとは……」
親分はまたもや軽いノリでそう言った。不服そうにした者もいたが、親分に言われて興奮気味の傲慢天狗たちもおとなしく引き下がった。
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