第33話

「戻りました。傲慢者ども、怒り狂っておりましたよ。いったい何と書いたのです?」


 傲慢天狗の山から帰ってきた鉄之介は首を傾げる。今回傲慢天狗に渡した果たし状は鉄之介ではなく信幸が昨晩に書いたものだ。内容は雪丸も知らない。


「おっと、はは、煽りすぎたか。まぁ、いい。晴暁」

「りょうかい」


 信幸に名前を呼ばれ、晴暁は裏山に姿を消した。しかしものの数分後に帰ってきた。


「いちじかん」

「わかった。みんな、狙い通り傲慢天狗たちは喧嘩を買った。一時間後には裏山は戦場だ」

「あたしは少しでも多く足止めするのね」

「私もそれでいいんですよね?」

「ああ。雪丸と犬神以外は雑魚どもの足止めだ。せいぜいこちらの目的が親分だと悟られないように気をつけてくれ」


 傲慢天狗たちが武器を揃えて裏山にやってくるのは一時間後。先に腹ごしらえを終わらせていた雪丸たちは裏山の中に入る。

 言うならば奇襲作戦だ。雪丸と犬神以外のメンバーは木陰や草むらに隠れ、のこのことやってきた傲慢天狗たちを戦闘不能に持ち込む。


「犬神。敵の親分は裏山のどこか安全かつ、戦場を見渡せる場所にいるはずだ。頑張って探してくれ。人質にするんだから、間違っても噛み殺すなよ。できるだけ血を流させるな」

「わかっている」


 わかれる前に信幸は今一度犬神に忠告した。犬神の返事を聞いて、信幸は木々の隙間に消えて行った。


「えっと、よろしくお願いします」

「ああ」

「………………」


 犬神は雪丸の言葉に頷いたきり話を続けようとすらしない。二人の間に沈黙が流れる。


「えっと、俺は犬神さんと並走していけばいい、って感じですか?」

「人間が俺に並走なんてできるか。俺の背に乗れ」

「あっ、はい。失礼しました」


 犬神の身体能力と人間の身体能力にはとんでもない差があるようだ。だが考えてみればそれも当然ではあるかもしれない。人と妖怪、式神の体力が一緒なはずがない。


「乗れ」

「えっ、あっ、はい!」


 犬神は雪丸の前で体を低くしている。どうして、と思ったが、背中に乗れと言われていたことを思い出し、雪丸は慌てて犬神の背に乗った。


「うわ、見た目よりふわふわな手触りしてる……」

「文句言うな」

「文句ではないです」


 犬神の毛並みは硬そうに見えたのだが、実際に触ってみると案外柔らかくてふわふわしている。ケサランパサランの次くらいにはふわふわだ。触っていて気持ちがいい。


「俺が走っているときはしっかり掴まっていろ。手を離したら途中で落っこちても知らんぞ」

「はい、気をつけます」

「あとその変な敬語もいらん。さん付けというものも不快だ、外せ」

「あっ、すみませ、じゃなかった。わかった、よろしくな犬神」

「ああ」


 犬神は声のトーンをまったく変えず頷いた。声が低くて目つきが鋭いので怖そうなイメージを持ってしまったが、不機嫌そうなこの態度がデフォルトなのかもしれない。


「そういえば犬神は面倒見がいいって言ってたな」


 犬神は久しぶりに呼ばれたのでストレッチと言って山を軽く走る。全速力ではないのだろうが、自転車で走っているときくらいの速度だった。


「そんなことはない。というよりあいつにそんな評価されるのは不服だ」


 一度足を止めた犬神がそう吐き捨てる。


「犬神ってもしかして信幸のことがきらいなのか?」

「べつにきらっている、というほどではない。好いてもいないがな」

「ふぅん」


 犬神の信幸への態度を見るに、嫌っていてもおかしくないと思ったが、犬神は否定した。要するに普通、ということだろうか。


「あいつは俺を扱き使ったくせに報酬をろくに与えなかった。俺のあいつに対する感想はそれだけだ」

「物に頓着はないのに?」

「働いた分の報酬は求める。当然だ」


 犬神はふん、と鼻を鳴らした。


「犬神の報酬ってドッグフードとか?」

「あ?」

「すみません、そんなわけないですよね」


 下からキッと睨みつけられて雪丸はすぐに謝罪した。


「俺はべつに特定のなにかが欲しいわけではない。ただ、働きに見合った分の報酬が欲しいだけだ」

「俺からも信幸に言っておくわ」

「そうしてくれ」


 たしかに働いたのなら、それに応じた報酬が欲しいと思うのはなにもおかしいことではない。これは信幸が悪いんだな、と雪丸は察した。


「あと三十分か」


 雪丸は腕時計を見てそうつぶやく。

 犬神のアップと話をしている間にそこそこの時間が経っていたようだ。

 雪丸と犬神がするべきことは傲慢天狗の親分を探し、捕獲すること。雪丸は目を瞑って、頭の中で作戦を再度確認した。


「人質をとるなんてなんか俺たちが悪役みたいだな」

「時にはそういうことも必要だ。信幸の言った血を流させるなとは誰も怪我をさせるなということだ。敵味方関係なく怪我をさせずに争いを止める。そのために脅しが必要ならばしかたがないことだと割り切れ。さもなくば背中から振り落とす」

「べつに作戦に反対しているわけじゃない。平和的解決ってやつに必要なことくらい俺にもわかるさ。なら、やってやる。ほんとは来るなと言われた戦いに無理言って参加してんだ。役に立ってやるさ」

「……ふん、ならばいい」


 覚悟は昨日のうちに決めてきた。一度やると決めたことは全力でやりきってみせる。

 雪丸の覚悟の決まった声に、犬神は満足そうに鼻を鳴らした。

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