第34話

 三十分の時が経つ。遠方から声が近づいてくる。やる気に満ちた傲慢天狗たちだろう。


「俺たちはできるだけ天狗に見つからないように移動し、標的を捕まえる。振り落とされるなよ。いいな?」

「もちろん!」


 続々と裏山の中に吸い込まれていく天狗たちを横目に犬神と雪丸は頷き合った。ついに、作戦が始まるのだ。


 雪丸たちは傲慢天狗に見つからないように気をつけながら山の中を走り回る。

 傲慢天狗の親分がどこにいるかの大体の検討はついている。晴暁がこの山で見晴らしがよく、隠れやすいポイントを事前に探しておいてくれたのだ。

 雪丸たちは晴暁に聞いた傲慢天狗の親分が隠れていそうなポイントをひとつずつ探していけばいい。


「ん? 今のは?」


 一つ目のポイントに向かっているとき、雪丸は樹齢百年はゆうに超えそうな大きな木、の幹とすれ違った。地面から覗く幹の高さは雪丸の膝丈程度で、それより上は切り倒されたのか折れてしまっていた。


「あれはこの山の御神木だ」


 雪丸の口から漏れた疑問に犬神が答える。

「えっ、御神木っていうとなんかすごいやつなんじゃ」

「十数年前にこの山で起こった争いの最中に倒れてしまったんだ」


 犬神は足を止めることなく説明する。


「あれが晴暁の本体――いや、人間で言う母親に近い存在だ」

「えっ!」


 犬神からもたらされた衝撃の事実に雪丸は通り過ぎた御神木の方へ振り返った。


「あの木自体は今はもう、なんの力も妖力もない。すべて晴暁に受け継がれた」

「信幸がこの山は晴暁の領分だって言ってたけど、本体? 母親? の御神木がある山だからなのか?」

「ああ、晴暁の産まれた場所だからな」

「晴暁の産まれた場所……でも、なんであんな大きな木が倒れたんだ? 争いってそんな物騒な」

「……昔、この山に土蜘蛛が出た。それを信幸は陰陽師として祓った。――その結果だ」


 犬神は一度気まずそうに口籠もり、眉間に皺を寄せてそう言った。


「その結果、って……御神木を倒したのは信幸なのか?」

「厳密にいうとあいつではなく、俺だ。俺が倒してしまった」


 雪丸はふと思い出す。信幸は式神をだすのは数十年ぶりだと、たしかに言っていた。そして、あの御神木から産まれた晴暁の年齢は十三歳。


「十三年前に起きたことなのか」

「ああ」


 雪丸の問いに犬神は素直に頷いた。

 やっと、信幸が言っていたことを理解できた。晴暁を紹介されたとき、信幸は晴暁を雪丸より年下だけど年上だと言った。とても矛盾している言葉だが、その通りだったのだ。

 御神木としては雪丸より何十、何百年も年上、しかしとしては雪丸より年下。信幸はあのとき、そういう意味でああ言ったのだろう。


「いや、わかるか!」


 数日前まで晴暁を人間だと思っていた雪丸が、なんの解説もなしにその答えにたどり着けるはずがない。


「お前の主人ってほんと言葉が足りないよな!」

「ああ、それは俺も同意だ」


 雪丸の叫びに犬神は頷いた。


「そういえば木霊についても詳しく聞いてないし」

「木霊は木に宿る妖怪だ。地域の者に信仰された御神木なのだから木霊になってもおかしくはない」

「で、犬神はその木霊の宿った御神木を倒してしまったのか」

「ああ。普通、木霊の宿る木を切ろうとすると災いが起こると言われている。だから俺は木霊に呪われてもおかしくなかった」


 犬神は木霊についての説明と、過去について淡々と話す。


「大丈夫だったのか?」

「ああ、なんともない。奇跡、などの言葉は言いたくはないが、おそらくそうなのだろう。本来倒されて消えるはずだった木霊は人へと姿を変えた。それが晴暁だ」

「晴暁が信幸の家に住んでいるのは……」

「信幸にとって、晴暁の面倒を見ているのは罪滅ぼしのつもりだろう。現在に御神木の存在を覚えている者が少なかろうと、昔の人々に愛され、人々を愛し守ってきた御神木を倒してしまったのだ。その罪だと」

「罪って……晴暁はもしかして信幸を、犬神を恨んでいるのか?」


 たしかに御神木を倒してしまったのは罪なのかもしれない。けれど故意に倒したのではなく、土蜘蛛を祓う際に事故で倒してしまったのなら、それを罪というのは言い過ぎなのではないだろうか。

 だが、晴暁――御神木にとっては体を真っ二つにされてしまったのだ。その原因が故意だろうと事故だろうと関係ないだろう。御神木から産まれた晴暁が原因である犬神と、その主人の信幸をきらい、呪いをかけてしまっていてもおかしくはない。


「いや、恨んではいないのだろう。妖怪にも個体差はある。種族ではなく、個人の性格の差だ。晴暁――もといこの地に根を張った御神木は元々気のいい性格をしていたのだろう」

「たしかに晴暁もいい子だもんな」

 雪丸はよかった、と安堵の息を吐く。


 晴暁は信幸の家で楽しそうに遊んでいた。信幸とも仲良くしている。そうとしか見えなかった二人の関係が、本当はギスギスしていたらなぜか雪丸の方が悲しくなってしまうところだった。


「俺はあのあとのことは知らん。しかし晴暁、と名付けたのには俺もいささか驚いた」

「えっ? 晴暁って名前は信幸が付けたのか?」

「ああ。名を持たぬ木霊に命名したのはあいつだ。とくに興味があったわけではないが、理由を聞くと『俺が知っている中で一番強いやつの名前をもじってつけた』と言っていたな」

「信幸の知っている人の中で一番強い人?」


 雪丸は聞いたことはないな、と首を傾げた。そして、そもそも他の信幸の交友関係を詳しく知らないんだった、と思い直す。


「ついたぞ」


 犬神は一つ目のポイントに到着すると足を止める。雪丸は犬神の背に乗ったまま木の陰から周囲を見渡した。


「天狗は……いなさそうだな」

「ああ、とくに妖力も感じない。はずれか」


 残念ながら一つ目のポイントに傲慢天狗の親分はいなかった。急いで二つ目のポイントへ向かう。


 犬神の背に乗って山を駆けていると、途中途中で信幸や晴暁が戦っているのが見えた。信幸は陰陽術なる不思議な力で天狗を拘束し、晴暁はその小さい体を生かした素早さで天狗たちの狙いを撹乱させて、背後から拳や蹴りをお見舞いして気を失わせているようだった。


 二つ目のポイントもはずれだったことを確認し、山を駆ける。

 すれ違いざまに木の向こうでしょうけらが天狗たちが徒党を組まないように、天狗たちの情報伝達を邪魔していた。

 そこから東の方では朱鞠が首を伸ばし、数人の天狗をまとめて縛り上げていた。鉄之介は相手を殺してしまわぬよう、峰打ちで戦っている。


「ここはどうだ⁉︎」


 三つ目のポイントに到着する。しかし親分どころか天狗すらいる気配はない。

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