第25話

 奥衣様神社から帰ってきた雪丸は信幸とともに家に入る。お茶を飲み、お菓子を食べながら晴暁が帰ってくるのを居間で待っていると、庭の方からばさりばさりと大きな羽音が聞こえた。雪丸が視線を音の方に向けると、そこには背中から真っ黒な翼を生やした人――妖怪が降り立っていた。


「信幸殿。唐突で申し訳ないが、どうか我を助けてはくださらなぬか」

「うん? 烏天狗からすてんぐじゃないか。久しいな」


 先程まで広げていた翼を閉じ、庭先で膝をついて信幸に頭を下げる烏天狗と呼ばれた妖怪は口元をきゅっと結び、真剣な表情で信幸を見つめた。

 信幸はつけていたテレビを消して、縁側から庭に降りる。


「今、我らの里は大変なことになっております。どうか、お力添えを……なにとぞ」


 そう言って烏天狗はもう一度、深く頭を下げた。陰陽師に頭を下げる妖怪。なんとも珍妙な光景だ。


「信幸の知り合い?」


 少し前に高校のある隣町の古本屋の店主に河童の話とともに、烏天狗の話を聞いた。衣様町の山奥に住んでいるという伝説があると言っていたが、本当のことだったのかと雪丸は少し驚きながら、居間から信幸に問いかける。


「ああ、昔ちょっと、彼の父親の代でいろいろあってね。わざわざ家にくるなんて――いや陰陽師に助けを求めるなんて、相当なことになっているようだな」

「はい」


 信幸の言葉に烏天狗は頷くと、ことのあらましを語り始めた。

 天狗には複数の種類が存在し、今回の件に関わってくる天狗は二種類。片方は今、雪丸たちの目の前にいる烏天狗。もう一種類は元々僧侶だった者が天狗へと姿を変えた妖怪。

 この二種類の天狗は同じ天狗という括りではあるものの、昔から大変仲が悪く過去に何度も小競り合いが発生していたという。


「あの傲慢者どもは、あろうことか我ら烏天狗のおさの娘に手を出そうとしたのです」


 烏天狗は真面目な性格をしたものが多いと言う。しかしもう片方の元僧侶からなる天狗たちは賢いものの、傲慢で酒好き。

 酔いに酔って、いやがる烏天狗の長の娘を嫁にしようと自分たちの領地に連れ込もうとしたそうだ。


「今や我らが里は傲慢者どもを皆殺しにせんとばかりに殺気立っており、このままでは敵陣にも味方にも多くの血が流れてしまう。それだけは阻止しなければなりません」

「あんた――烏天狗さんは他の天狗と違って冷静なんだね」

「おや、あなたは?」


 信幸と同じように縁側までやってきた雪丸に声をかけられて、烏天狗は初めて雪丸の存在に気がついたようだ。雪丸を見て首を傾げている。


「なに、俺の友人だ。気にするな」


 友人。信幸にそう紹介されて雪丸は少し照れ臭くなった。嬉しくてつい口元が緩む。


「なるほど、信幸殿のご友人でしたか。これは失礼しました。我は烏天狗が一人、鉄之介てつのすけと申します」

「あ、ご丁寧にどうも。佐々木野雪丸です」


 自己紹介をしてくれた鉄之介に、雪丸も名乗る。雪丸がぺこりと会釈したとき、玄関の戸が開く音が聞こえた。どうやら買い出しに行っていた晴暁が帰ってきたようだ。


「ただいま」

「おかえり」


 玄関から一直線に居間に来た晴暁だったが、鉄之介の姿を見て動きを止めた。


「だれ?」

「烏天狗の鉄之介だよ。陰陽師の助けを求めにきた」

「てつのすけ」

「はい。あなたは……信幸殿のご友人ですね」


 鉄之介の名前を復唱した晴暁に、頷いた鉄之介は晴暁の姿を見て少し驚いた顔をしたが、そう言って微笑んだ。


「晴暁だよ。仲良くしてあげて」

「晴暁? それはもしや――」

「さ、今はきみたちの話を優先させよう」


 晴暁の名前を聞き、再度驚いた表情を見せる鉄之介はなにかを言おうとしたが、その言葉を遮るように信幸は手をパンッと叩いて話を本題に戻した。


「はっ、承知しました」


 話を変えられた鉄之介もそれ以上は言うつもりはないようで、元の天狗たちの話題に戻る。


笹子ささこに手を出そうとしたのには、我も大変憤りを感じております。しかし我らは烏天狗。あやつら傲慢者どもとは違い、山の神でもある者。できることなら、血は流れないほうが良いと思っております」

「鉄之介は真面目だからねぇ。雪丸くん、知ってる? 鉄之介は将来、烏天狗の長になるんだよ」

「えっ、次期大将ってこと? すごいじゃん!」


 雪丸は驚いて素直に鉄之介を褒めると、鉄之介は首を横に振った。


「いえ、我は父上に比べてまだまだ未熟者。日々精進しなければなりません」

「まっじめー。もうちょい気楽でいいと思うけどな、俺は。現にお前の父親もそこまで真面目なタイプじゃなかったし」

「まじめはいいこと」


 気楽に、と言う信幸を晴暁はジトっと見つめた。信幸は晴暁と視線を合わそうとせずに軽やかに笑う。


「まぁ、ははは。それで? 鉄之介はどうしたい?」

「我は……」


 信幸の問いに答えようとする鉄之介の言葉を、唐突に雪丸が遮った。


「……ん? 待って。傲慢な天狗ってやつらが手を出したのは烏天狗の長の娘なんだろ? ってことは笹子さんって天狗は鉄之介の妹かお姉さんってこと?」


 鉄之介が言うところの傲慢者どもが手を出した笹子という天狗は、烏天狗の長の娘。そして烏天狗の長を継ぐという鉄之介も養子ではない限り、笹子と同じく烏天狗の長の子供である可能性が高い。雪丸はそう思って鉄之介に尋ねた。


「はい。笹子は我の妹にあたります」


 雪丸の問いに鉄之介は肯定する。


「うわぁ、よく妹に手を出されて冷静でいられたな……俺は一人っ子だったけど、もし兄弟とかがいて、喧嘩売られたらすぐに買ってたかも……」


 雪丸は一人っ子だが、懐いてくれるケサランパサランや晴暁が、今の雪丸にとって弟のような存在だ。もし晴暁が町でチンピラに絡まれているところを見かけたら、後先考えずにその場に突撃する自信しかなかった。


「鉄之介は一時の感情に流されずに冷静でいられる。烏天狗としての自覚が強いから我慢できたのだろう。そういうところは父親にそっくりだな」

天狗てんぐのちがいはなに?」


 烏天狗としての自覚。雪丸にも天狗についての詳しいことはいまいち理解できなかったが、晴暁がそう尋ねたので信幸が説明をしてくれた。雪丸もしっかりと話を聞く。


「ああ、烏天狗はその名の通り、烏のような黒くて艶のある翼を持った天狗の妖怪だよ。それで、鉄之介が傲慢者と言って罵ってる天狗は元は僧侶。つまり人間だったんだ」

「人が妖怪になるものなのか?」


 雪丸が首を傾げると、信幸は頷く。


「うん、なる。元々僧侶だった彼らは学がある。でも、自分たちの力を過信し過ぎて本来行うべき修行をおざなりにした。その結果、天狗となった。ほら、聞いたことない? 調子乗ってる人を天狗になってるって」

「ああ、たしかにそんな言葉あるな」


 国語だかなにかの授業で聞いたことがある気がする。


「この言葉の由来は僧侶が自分はもう悟りを開いて立派な僧侶になったと勝手に思い上がって、本来するべき修行を怠けていることを指しているのさ。普通に市井しせいの子供とかが勝手に調子に乗っている分にはいいんだけどね、彼らは腐っても僧侶、仏道に片足を突っ込んでいるから本物の妖怪の天狗になってしまう」

「はー、なるほど」


 信幸の説明に雪丸は頷いた。難しい話はあまり得意ではないが、なんとなく理解できた気がする。

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