天狗たちの確執

第24話

 学校が終わり、帰宅した金曜日の午後四時のこと。

「そういえば信幸は奥衣様神社って知ってる?」

 晴暁が買い物に出かけ、二人きりの居間で雪丸は唐突に口を開いた。


「うん? 急にどうした?」

「いや、まえに奥衣様神社で河童を見たっていう人と話をしたんだ」


 思い返すのは雪丸にストーカー行為をしていた女性の視線から逃れるように、小走りで入店した古本屋の店主の話。十五年前に奥衣様神社の近くの池で河童を目撃したと言っていた。


「へぇ、河童ねぇ……奥衣様神社の場所なら知っているが、あそこで河童なんて見たことないな」

「なんでも神社の近くにある池で見たそうだぜ」

「ああ、あの池か」


 信幸は池の場所に心当たりがあるらしく、雪丸の言葉に思い出したように頷いた。


「信幸は行ったことあるの?」

「あるある。なんなら今から一緒に行ってみる?」


 頷いた信幸に誘われ、雪丸は家から出た。奥衣様神社と池の場所を知っている信幸の案内で迷うことなく神社についた。


「ここだよ」

「いやボロいな!」


 案内された奥衣様神社へは徒歩で行けるほど近かった。信幸たちの家から東に徒歩十五分くらいの場所にあった奥衣様神社は、石でできた鳥居や階段の姿は残っているものの、境内やその周辺は雪丸の腰丈程度の高さまで伸びた雑草が覆い茂っている。

 年季が入って端の方が崩れたり、大きなヒビが入った石造の階段を登り、境内に足を踏み入れると、外から見た通りやはり雑草が多い。鳥居から本殿までへと続く敷石にさえ、割れた隙間から少しだけ雑草が伸びている。

 境内の真ん中に鎮座するかつて本殿だったであろう木造の建物は屋根が崩れて壁の一部も穴が空いている。雪丸が穴を覗き込んでみると中にも雑草が伸びているのが見えた。

 賽銭箱は盗まれたのか撤去されたのかわからないが無くなっており、神社特有の神聖な雰囲気はない。まさしく朽ち果てた廃墟という感じだ。


「ここを右に行くと小道があって、そこから池に行ける。この神社の付近にある池はあれだけだから、たぶんそこであってる」


 信幸は神社から小道へ出ると、雑草を薙ぎ倒しながら前に進む。雪丸もその後に続いた。

 しばらく歩いていると、水の匂いがした。足を止めた信幸の後ろから前を覗くと、そこには体育館の半分くらいの大きさの池があった。

 池の水は綺麗で意外と透き通っており、手前の方は水深も浅いのか小石が沈んでいるのがはっきりと見える。しかし池の周囲は神社と同様に雑草が覆い茂っており、山側の水面には蓮の葉のようなものが増殖していた。


「ここが雪丸が聞いたって言う奥衣様神社の近くにある池だと思うよ」

「へー、家の近くにこんなところがあるなんて知らなかったな」


 雪丸は引っ越してきたときに周囲を探索したが、それは住宅街や店が多い、比較的活気の多い駅方面だ。祖母の家よりも山に近い人気ひとけのないところまではきていなかったので、この方面に神社があるということすら知らなかった。


「そりゃあそうでしょ。ここの神社は随分と前に人がいなくなって、放置されてしまったからね。たしか、三十年くらい前かな」

「三十年もほったらかしなのか」


 三十年近く放っておかれているのであれば、境内やその周辺に雑草が多く生やされたままになっているのも納得だ。


「最初の頃は地元の人が草刈りをしたり、掃除したりしてたんだけどね。その人たちも歳をとったらここまで来なくなっちゃった」

「なるほど、たしかにこの神社にくるとき坂道を通ったもんな。足腰が悪くなると来るのが大変な場所にあるんだな、この神社は」

「そうそう」


 雪丸の言葉に信幸は頷く。

 奥衣様神社は山に近いだけあって、緩やかではあるものの、坂道を通らなければこれない立地に存在している。そのうえ、先程雪丸たちが登ってきた石造の階段はお年寄りにはいささか急な傾斜で積まれていたので、足腰が悪いと転倒の危険がある。なので徐々に人が寄り付かなくなったのだろう。


「ここの池に河童がいるのか……」


 信幸と二人、並んで池を観察するが河童らしき生き物は出てこない。池の周囲の雑草が風で揺れ、草の隙間から蛙が顔を見せるとぽちゃんと池の中に飛び込んでいった。


「んー。河童が出てくる様子はないな……」


 ここは水辺だからか虫も飛んでいる。七月に入っているので、そろそろ蚊が本格的に行動し始めてもおかしくない。雪丸は噛まれないように手でシッシッと追い払いながら、さざ波を立てている池を見つめた。


「おーい、河童。いるのか?」


 待つだけは飽きたのか信幸が池に向かって声をかける。しかし当然のことのように返事はなかった。聞こえるのはざわざわと風で揺れる木々と雑草の音だけだ。あと、時折聞こえるぷーんという不愉快な虫の羽音。


「昔はいたけど、今はいないとかありえるの?」


 服の上に止まった蚊を追い払いながら雪丸は尋ねた。


「うん? そうだな、じゅうぶんありえるね。死んだか祓われたか住まいを変えたか、どれもありえる話だね」

「へぇ、河童見てみたかったな」

「雪丸くん、なんでそんなに河童に興味津々なの?」


 随分と河童の存在を気にする雪丸を不思議に思ったのか、信幸は首を傾げた。


「いや、河童って頭に皿があるって言うじゃん。それがほんとか気になった」

「ええ、それだけの理由……」


 想定外の答えに信幸は苦笑した。もっとなにかそれらしい立派な理由でもあると思っていたのだろうか。雪丸はただ、純粋に河童の頭がどうなっているのか知りたかっただけだ。


「妖怪の数は減ってるって信幸が言ってたし、いないんだな」

「少なくとも、今のこの池にはいなさそうだね」


 雪丸は河童に会えなかったことを残念に思いながら、きた道を戻る。荒れ果てた本殿の横を通り、転ばないように石段を降りた。

 このぼろぼろな石段は、少し力をかける場所を間違えたらヒビが大きくなって簡単に崩壊してしまいそうだ。


「河童がきゅうり好きなのかも知りたかったなー」

「俺が昔会った河童はきゅうりが大の嫌いだったな。人それぞれならぬ、河童それぞれなんじゃない?」


 雪丸がぽつりとこぼした疑問に信幸はさらりと答える。


「えっ、信幸は河童に会ったことあるのか?」

「うん、昔に京都でね。せ――友人と池の周りを散歩していたときに、たまたま出会ったんだ」

「へぇー、それで、河童の頭に皿はあったのか?」

「俺が会った河童にはあった。けど、そいつが言うには皿がない河童もいるって言ってたな」

「へぇー」


 信幸の言葉を信じるなら、本当に人間に個人差があるように、河童にも個人差があるんだなと雪丸は思った。きゅうりを毛嫌いする河童も、頭に皿のない河童も見てみたいものだ。


「ちなみに信幸の友人ってどんな人なの?」


 雪丸は信幸の交友関係を知らない。信幸は自分の過去を自らほいほいと語るような性格ではなかった。

 雪丸から見た信幸は近所付き合いはそこそこ良くて、老若男女問わず気さくに話ができ、友人も多そうだと思う。しかし、信幸がはっきりと友人と呼ぶ存在は聞いたことがない。


「うん? うーん、ううん……」


 そんななか、信幸が友人と呼んだ人物がどんな人が知りたくなって、雪丸がそう尋ねれば、信幸は立ち止まって考え込んだ。あごに手を当ててうんうんと唸っている。


「うーん……」

「めっちゃ答えにくそうじゃん」

「そうだな、とても答えにくい。けれど、簡単に言うとあいつは変人だった」

「友達を変人って言っちゃった」


 坂道の途中で立ち止まり、随分と長い時間悩み続けた信幸は思案した時間のわりに、あっさりと友人を変人と言い放つ。


「同じ陰陽師だった。あいつは俺よりも優秀で……まぁ、この話はいいだろう。それより今日の夕食はなんだろうな」


 変人だと言う友人について語り出すかと思えば、少し表情に影を見せた信幸がぱっと顔色を変えて、露骨に話題を変えた。雪丸にとっては何気ない質問だったのだが、信幸的にはあまり触れてほしくないことだったのかもしれない。

 雪丸もこれ以上の詮索はやめて、歩き始めた。


「今、晴暁が夕食の買い出しに行ってるから、楽しみにしとくしかないな」


 晴暁はレシピに書いてあることは厳守派の信幸とは違い、多少レシピは見るものの、勘で料理ができる雪丸と同じスタイルで料理をするタイプだ。味は普通に悪くない。

 雪丸たちは仲良く並んで帰路につきながら、今日の夕食はなんだろうと予想しながら帰った。

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