第23話

「あれ? 鍋がねぇな」


 やる気じゅうぶんで台所に立った雪丸だったが、いつもの置き場に鍋がないことに気がついて、台所内を探し回った。


「ここは醤油……ここは皿……」


 とりあえず、すべての棚を開けて見るが鍋は一向に見つからない。


「信幸、鍋知らない?」


 一度居間に戻り、前日料理当番だった信幸に尋ねる。


「えっ、あ、あー。そうだった、言うの忘れてた。鍋は昨日俺がちょっと壊しちゃって。ごめん」


 先程まで拗ねていたのに機嫌は治ったのか、雪丸の問いに信幸は気まずそうに謝った。


「そうなの? どうしよ、今日はロールキャベツ作るつもりだったのに……代わりの鍋とかないの?」

「あー、たしか昔掃除したときにくらに放り込んだような」

「蔵って庭の端っこにある建物のこと?」


 信幸邸の庭には小さな花壇と、晴暁がよく遊んでいるなにもない空間、そして山の方に小さいながらも立派な蔵が建っていた。雪丸は中に入ったことはないし、信幸たちが蔵に入っていくところを見たこともない。


「そうだよ。もう何十年と開けてないけど。晴暁、蔵の鍵ってどこに置いてたっけ?」

「かぎ……」


 考え込んだ晴暁はぱっと立ち上がり、居間を出ていった。そして数分後に小走りで戻ってきた。


「はい」

「ありがとう」


 晴暁から鍵を受け取り、信幸は居間を出て縁側から外に出る。


「何十年も前の鍋って使えんの?」

「さぁ? それは俺も見てみないとわからないな」


 庭を通り、蔵の前に着くと信幸は鍵穴に鍵をさして手首を回した。がちゃんと音が鳴って鍵が開く。


「よかった。錆び付いてたらどうしようかと思ったよ」


 信幸はそう言ってゆっくり扉を押した。

 蔵の中は薄暗く、扉を開けた衝撃で埃が舞い上がる。


「けほっけほっ」

「ううん、埃くさいな。ちょっと明かりになるものを持ってくる」

「ああ、うん。頼むわ」


 蔵に差す光は雪丸がいる扉から入る光と、蔵の上部に設置された小さな窓のようなところから入る自然光だけだった。目が慣れればまったく見えないこともないが、探し物はしづらいだろう。信幸は明かりを探しに家に戻った。


「すごい数だな……」


 蔵の中にはたくさん物が積まれている。見たことのない置物や雪丸の部屋になる前の資料室にあった紙束に似たものもある。

 壁には大きな棚や、随分と引き出しの多い棚などが埃の積もった状態で無造作に置かれていた。


「いてっ」


 一歩蔵に足を踏み入れた雪丸の足になにかがぶつかった。それは紐でまとめられた本のようになっている物で、何冊か重ねて置いてあったようだが、雪丸がぶつかった衝撃で崩れてしまった。


「やべ」


 家主のいないところで物の配置を変えるのはまずいだろうと思って、雪丸は崩れた本を元の状態に戻すべく埃の被った本を手に取った。


「……? 相変わらず読めないな」


 それは雪丸が掃除で綺麗にしたものと同じように筆で描かれており、達筆で読めない。


「安……明?」


 雪丸がなんとか読めたのは安という字と明という字。随分と崩れた字で、安と明の間に書かれている漢字は潰れていて読めない。端に書かれているところも見るにこの本を書いた作者の名前だろうか。


「おお?」


 読めない本を元に戻していると一番上にあったであろう本を見て雪丸は首を傾げた。相変わらず崩れ気味の字は読めないが、これはまだ比較的読めそうだ。

 本の題名らしきところには日記と書かれている。


「誰のだろう?」


 人のものを勝手に覗くのは悪いことだ。しかし、好奇心が勝ってしまった雪丸は紙が破れないように慎重にページを捲った。


「これは……」


 誰かの日記というよりも、どちらかというと交換日記のようだ。ページ一枚一枚に書かれている文字の筆跡が交互に違う。


「信……幸?」


 交互に別の人が書いたであろうページの下には名前らしきものが書かれている。読めないくらい崩れた字も多いが、読める字を組み合わせて見ると、交換日記のうちの一人の名前がという名前になることに気がついた。


「信幸の交換日記? いやでも、これは昔の物って感じがするぞ……」


 勢いよく引っ張ってしまえば、簡単に破けそうな本。日焼けしたのか元からそうだったのか、少し黄ばんだ紙。文字のどれもがボールペンや鉛筆で書かれた物ではなく、墨で書かれている。なにより何十年も放置され、埃がかぶっていることが、これが新しい物ではないと証明していた。


「もう一人の名前は……」


 これに書かれている名前が信幸だったとして、俺の知っている、今のこの家の持ち主の信幸とは限らない。同じ名前の別人という可能性だってなくはない。

 雪丸は信幸なる人物と交換日記をしていたもう一人の人物の名前を必死で解読しようとした。


「明……その前の字はなんだ?」


 書かれているのは漢字二つ分。後半が明だということはすぐに分かったが、前半の字が潰れていてなかなか読めない。

 ページをぱらぱらと捲っていると、少し読めそうな文字を見かけた。しかしそれは交換日記のもう一人の人物名ではなく、日記内の内容に書かれたという字。


「安倍……西……白……だめだ。これ以上は読めない」


 昔の文字というものはなんとも読みにくい。雪丸は諦めて本を置いた。そろそろ信幸が戻ってくるだろうと思ったからだ。


「懐中電灯の電池が切れてて電池探しをしていたよ。待たせたね」

「ああ、いや、大丈夫」


 しばらくすると雪丸の想像通り、信幸が懐中電灯を片手に戻ってきた。


「鍋、鍋……たしかどこかの上にぽんと置いたような」

「あれじゃないか?」

「ああ、ほんとだ」


 雪丸が指さす先に鍋らしきものがある。腰くらいの高さの棚の上に無造作に置かれていた。


「うーん、まだ使えるかな?」

「使えそうだな。意外と綺麗だ。埃は被ってるけど」


 信幸が手に取った鍋は埃はかぶっているものの、使った痕跡はあまりない。綺麗に洗えばまた使えそうだ。


「ああ、このときの俺、全然料理をしてなかったからなぁ」


 鍋を持って蔵を出る。

 今度こそ数日前に晴暁にリクエストされたロールキャベツを作ろう。

 交換日記のことは勝手に触ったことがバレるのが怖くて、なぜか触れてはいけない気がして、見なかったふりをした。

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