第9話

 体はじゅうぶんに疲れているはずなのに、眠れない。数回寝返りを打って入眠を試みるも、一向に襲ってこない眠気にしびれをきらして雪丸は体を起こした。

 そしてなんとなく手に取ったスマホに表示されている時間は午前二時で、雪丸は深いため息をついた。


「んー……」


 こんな時間になっても眠くならないとは。自身が思うよりまったく血の繋がっていない人との共同生活に緊張しているのかなと疑問に思いながら、雪丸は布団から抜け出し、部屋を出た。

 静まり返った廊下を歩く。夜中ではあるが、昼間見たような妖怪たちが出歩いている様子はない。


 気分転換に、と思い雪丸がやってきたのは信幸邸の庭を一望できる縁側。そこに腰を下ろし、ただぼぅっと誰もいない庭を見遣る。

 まだ少し肌寒い月明かりの下で、雪丸はひとり、どこからか聞こえてくる虫の音に耳を澄ました。


「こら、風邪をひいても知らないぞ?」

「信幸」


 虫の声しか聞こえなかった世界に、突如響いた別の音。雪丸がパッと横を見れば、いつの間にか信幸が隣に立ってこちらを見下ろしていた。


「眠れないのか?」

「ああ、うん。まぁ」


 信幸の問いに雪丸は歯切れの悪い返事をして俯いた。


「隣、いいか?」

「ここはあんたの家だろ」

「それもそうだ」


 雪丸の返事に頷いて、信幸は雪丸の隣に腰掛けた。


「雪丸は枕が変わると眠れないタイプか」

「いいや、そんなことはないはずだけど……なんでだろうな、なんか寝れなくて」

「俺はその原因に心当たりがあるな」

「マジで?」


 雪丸は隣に座る信幸の顔を不思議そうに見つめる。どうして雪丸自身がわからないことを、信幸がわかるのだろうか。疑問に思って雪丸は首を傾げた。


「寂しいんだろう?」


 そっと、信幸は優しい目で雪丸を見つめ返した。信幸が纏う雰囲気も普段より柔らかく感じる。


「寂しいって……べつに。ばあちゃんには一ヶ月もしたら会えるし」

「そっちじゃない。彼女じゃなくて、べつに会いたい人がいるんじゃないか?」

「べつって……いや、俺には」


 信幸の言葉に首を横に振りながらも、雪丸にはその人物たちに心当たりがあった。しかし。


「……うちの両親は共働きだったし、夜勤とかも多くて家族全員が集まる時間とかたいしてなかったから。だから、べつに寂しくはないよ。だって、家に帰っても誰もいないのが当たり前だったんだから」

「そうか」


 信幸が優しく頷く。

 雪丸と両親の関係は、とくに悪いものではなかった。しかし、こんなことがあったなとか、ここに連れて行ってもらったなとか、そんなすぐに思い出せるような立派な思い出は少ない。だから、あの二人がいなくなったって、雪丸に特別変わった心境をもたらすなんてことは。


「……ごめん、嘘ついた。本当はちょっとだけ、寂しい」

「そうか」


 縁側にぶら下げていた足を上げ、ダンゴムシのように体を丸めて雪丸は小さな、考えないようにしていた本音を吐き出した。それを信幸は優しく拾う。


「だって……ろくに顔を合わせる時間がなくても、家族だったんだ。仕事ばっかりで俺にかまってくれなかったけど、それでも俺たちは家族だったんだよ」


 疼くめた頭を出すことなく、そう話す雪丸の声は少し震えていた。


「雪丸。お前には松子という祖母がいる。けれど彼女は祖母であって、両親ではない……愛していた人を亡くして悲しくなるのは当然のことなんだよ」

「……俺」

「悲しみに言葉なんていらない」


 昼間見せた軽やかな笑みを浮かべる信幸と、今の信幸は随分と雰囲気が違う。

 雪丸を慰めているはずなのに、なぜか信幸の方が悲しそうな声をしている気がする。


「……うっ」


 必死でなにかの言い訳をしようとしていた雪丸は信幸に言われて言葉を捨て、小さく嗚咽を漏らす。

 ずっと、考えないようにしていた両親の死。それを現実だと受け入れたくなくて、ずっと、ただずっと、雪丸はその事実から目を逸らし続けていた。


「うっ、うぇ」


 悲しい。寂しい。大切な人を亡くすのは、こんなにつらいことなのか。受け止められない、受け止めきれない。雪丸の瞳から大粒の涙が溢れて頬を伝う。


「雪丸、こういうときは好きなだけ泣けばいい」

「……泣いてない」


 そっと背中に添えられた信幸の優しさを感じながら、雪丸はいつもみたいに生意気に言い返して、グズグズと気が済むまで泣いた。

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