第2話

「雪丸はこの部屋を使うといいよ。布団とか、新調しておいたからね」

「わかった」


 祖母に案内されたのは二階の角部屋だ。部屋に入ると荷物を置き、中を見渡す。

 この家は木造建築でだいぶ年季も入っており、廊下を歩くと床がギィギィと軋む。が、さすがに部屋の床は軋まなくて雪丸はホッと胸を撫で下ろした。もし部屋の床まで軋んだら寝返りを打つたびに物音が立ってしまい、寝つきづらくなるところだった。


 フローリングの敷かれたおよそ八畳程度の広さの部屋にあるのは昔父親が使っていたという学習机に、昔流行っていた漫画の詰め込まれた本棚。布団を入れられる押し入れと、壁際に寄せられた新品の布団。


「これ、置いてある物とか移動させてもいいの?」

「ああ、かまわないよ。あっちの奥の部屋を物置代わりにしてるから邪魔なものはそこに置いていいから」

「ん」


 祖母の言葉に短く返事をして本棚を漁る。父親の幼い頃のものだから当然ではあるが、絵柄が古い。雪丸の好みのものはなさそうだ。


「この漫画とかは物置部屋に置いてー、この棚には教科書でも仕舞っとくか」


 雪丸は自分の部屋になった元父親の部屋のレイアウトを変えようと軽く頭の中で想像して、行動に移す。


「今日は疲れてるだろう? 明日でもいいんじゃないかい?」

「んー。やる気あるうちにやっときたいんだよね」

「そう。じゃあ、ばあちゃんもなにか手伝おうか?」

「いや、大丈夫! 気にしないで!」


 世話を焼きたそうに雪丸を見つめる祖母を部屋から追い出し、雪丸は部屋のレイアウトを変える。と、いってもいらない雑誌や漫画を物置部屋に移動させ、自身の待ってきた服などの荷物を押入れに仕舞った程度なので割とすぐに終わった。


「んー! 疲れたー!」


 どすっと、音を立てて雪丸は敷いた布団に寝転がった。


「床かてぇ……」


 いままでベッド派だった雪丸は床の硬さに苦笑いしつつ、ごろりと横を向いた。

 この部屋には窓が二つある。一つは枕元、もう一つは雪丸が今向いている方角だ。窓の外に見えるのは大きな木。何十年も前から隣の家と祖母の家の真ん中に堂々と聳え立っている。


「ゆきまるー。晩ご飯はどうするー?」


 横になって窓から覗く風で揺れ動く木の葉をぼぅっと見つめていると、一階から祖母に呼びかけられて体を起こした雪丸は階段を軋ませながらくだり、台所の祖母の元に向かう。


「せっかくだから雪丸の好きなものを作ってあげようと思ってね。なにがいい?」

「んー。うまいもんならなんでも好きだからなー、俺。ああ、でも久しぶりにばあちゃんの作ったハンバーグが食いたいかも」


 雪丸の顔を見て祖母は問いかける。今日は雪丸が越してきて初めての夕食なので、袖まで捲って随分と気合が入っているようだ。

 雪丸は美味しいものは好きだが、これ、といった好物があるわけではないので少し悩んでそう答える。

 祖母の作るハンバーグは肉厚で中に肉汁が閉じ込められていて、普段両親の代わりに料理をする雪丸でさえ、祖母のハンバーグの味は真似できなかった。


「ハンバーグか。じゃあ、材料買ってくるから雪丸は休んでなさい」

「あっ、いや、俺もついて行くよ。荷物持ち、必要でしょ?」

「今日の晩ご飯の材料を買うだけだから大丈夫」


 雪丸の提案を拒否して祖母は車に乗って買い物に向かってしまった。


「随分と気を遣われてるなぁ、俺……」


 一人きりになった家で雪丸はぼそりとつぶやいた。

 祖母は優しい人だ。いつも雪丸の話をうんうんと頷きながら聞いてくれる。気遣いができる人だからこそ、先程も雪丸が長旅で肉体的に、両親の死で精神的に疲れていると察して気を遣ってくれたのだろう。


「べつに、気にしなくていいのに」


 どちらかというと、気を遣われる方がつらい。そう思った雪丸は困ったように眉を下げた。

 祖母が心配しているのは引っ越しによる長い旅路のことだけではない。両親が亡くなったことによって雪丸が精神的なダメージを負っている、それを気にして気遣っていることくらい容易に想像がつく。雪丸がこの家に着いてからあえて両親の話をしないのも祖母なりの気遣いからだろう。

 優しさからくる気遣い。そうわかるからこそ気を遣われているこの状況の方が、雪丸にはよっぽど堪えた。


「大丈夫だって」


 雪丸は自分に言い聞かせるような声色でそうつぶやいた。

 雪丸の両親は共働きで、医師と看護師だった。看護師で夜勤が多かった母親が家にいた時間は少ない。医師だった父親はたまに顔を合わせることはあっても、すぐに急患が入ったと言って食事中でも家を飛び出していく。だから共に、とくに家族全員が集まって過ごした時間は短い。だから、そこまで愛情とか、絆とか、そういうものは――


「……あー、仮眠でも取ろうっと」


 雪丸は目を擦って自室に戻る。

 先程敷いた布団の上に寝転がり、そっと瞼を閉じた。まるで、考えごとから気を逸らすように。

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