〈35〉何も知らなかった

 お姉様としーちゃんが、大浴場で裸の付き合いをしていた、ちょうどその時、私、ジーパ・ナデシコは、トイレにこもっていた。

 早い話がお腹を壊していたのだ。


 こうなってしまった一連の流れを説明しよう。


せっかく、お父様の水着とお姉様の水着を届けてあげたのにも関わらず、二人に雑な追い返され方をして、私は少し気が立っていたのだ。

 激おこプンプン丸だったのである。

 そんな私の鼻の中に、とても良い香りが鼻の中に飛び込んできたのだ。


 ジーパ王国が誇る名料理人。

 我がお城の料理長が、今ある数少ない食材を利用してつくった、豪勢な料理の香りである。


 私は、ヨダレを垂らした。


 よくよく思い返せば、獣人たちの襲撃以降、私はろくな物を食べていなかった。

 脱走を謀ってからは、しーちゃんのアドバイスによる草しか食べてこなかった訳で、私の脳内を、凄まじい誘惑が襲ったのだ。


 お腹空いた。

 料理長のご飯が今すぐ食べたい――――と。


 いやいや待って待って待ちなさいナデシコ、と、自分の中の理性がストップをかける。


 この料理は、ジーパ王国を救ってくれたしーちゃんへのおもてなしのために作られた料理だ。

 今、私が食べたら、食べてしまったら、そのおもてなしが台無しになってしまう。


 そう思って、一度は私、踏みとどまったんだよ? 偉くない?


 けど、ふと思ったの。

 さっき私、蔑ろに大浴場から追い出されて、可哀想な思いをしたよね? と。

 させられたよね? と。


 だから私は、抗えなかったの。


 良く言えば、私を蔑ろにした二人への八つ当たり心に。

 悪く言えば、食欲に。

 私は負けた。

 あれ? どちらも良くなくなくない?


 そんな訳で、私は、この国が誇る料理人である料理長のつくった、しーちゃんおもてなしのためにつくられた料理を全てたいらげてしまったのだ。

 美味しかったよ。げっぷ。


 けれど、ここで誤算が発生。


 草ばっかり食べてきた私のお腹は、突然胃袋に入ってきた、美味なる食物達に対応しきれなかったのだ。


 結果――――トイレ籠もりに至る。


 まぁ……こんなのは大した問題じゃない。

 出せば治る。それだけのことだ。


 散々トイレに籠り、出す物を出しきった私は、快感をえて、満面の笑みでルンルンと、食卓へと帰る。

 もうそろそろ、二人もお風呂を出る頃…………はっ!!


 私は気づいた。


 もう…………ディナーなくない?


 食卓へ帰ると、顔を真っ青にし、へのへのもへじみたいな顔した料理長と、その横に、ゴゴゴゴゴゴ……と効果音が聞こえるような威圧感を放っているお姉様の後ろ姿があった。

 怒ってる……怒ってるよぉ!


「あ、あのぉ……お姉様? これは……その……」

「ナデシコ」

「は、はいっ!」


 これは……怒られるっ!!


「今の状況を見て、何か気づきませんか?」

「はいっ! 申し訳ありません! ディナーは全部! このバカな私めが全て食べてしまい! たった今トイレに流れていった所であります!!」

「そうではなく……他に」


 え? 違うの?

 他にって……。

 というより、よくよく見てみると、お姉様……怒ってない。

 むしろ……神妙な表情を、浮かべている。


 あれ? そういえば……。


「お姉様……しーちゃんは?」


 ようやく気づきましたかと、言わんばかりに一息吐いたのち、お姉様は言った。


「しーちゃん様なら、ナーチャ王国へと向かいました」

「ナーチャ王国へ? え……何で?」

「決まっているでしょう……この国を、新たに現れた脅威から、守るためです」

「何で……何でしーちゃんが!」

「ナデシコ」


 お姉様は、私の両肩に手を置き、私の目を、真剣な表情で見つめる。


「しーちゃん様は、あなたがこの国を、今後襲いかかってくるであろう獣人の魔の手から守ってくれると信じて……戦地へと向かいました。恐らく、間もなく【原種】と再び激突することでしょう」

「【原種】と……!?」

「そして、その勝率は恐らく……キング・マウス戦の時と比べると、果てしなく低い……私は、そう思っています」

「低いって……でも、しーちゃんは、あのキング・マウスに勝った人なんだよ!?」

「戦闘力云々の話ではありません……これは――――心の問題なのです」

「心……」

「良いですか? ナデシコ……」


 私は聞いた……。

 つい先程、この国は、新たな【原種】に襲撃を受けていたことを。

 そして……その【原種】が……。


 しーちゃんの、の力を使用していたということを。


「その妹様は……『自分よりも強い』と、しーちゃん様は言っておられました」

「しーちゃんよりも……強い?」


 一連の話を聞いて理解した。

 私は……私は、しーちゃんのことを、何も知らない。


 彼は一体何者なのか。

 どんな人生を歩んできたのか。

 何を背負って生きてきたのか。

 なぜ人間が嫌いなのか。

 彼はなぜ――――この国にいたのか。


 私は何も知らない。


「しーちゃん様が、そう思っている時点で、今回の……いえ、今後戦うであろう【原種】には、絶対に敵わないと思います。だからナデシコ……私は、知って欲しいのです」


 お姉様は言う。


「しーちゃん様は、決して――――独りで戦う訳ではない、ということを」

「……うん……私も、そう思う!」

「しかし、きっとしーちゃん様は、あなたが駆けつけたところで、『早くジーパ王国へ帰れ、国を守れ』の一点張りでしょう。あの方は頑固そうですので……」

「だね……それも、そう思う」

「そんなあの方を変えられるのは、恐らく――――あなただけです」

「……うん」

「ナデシコ、私の言いたいことは、分かっていますね?」

「うん」


 もちろん――――分かってる。


「あなたのその、バカで阿呆でマヌケでドジな心で――――」

「えぇ!? そこまで言う!?」

「あの頑固者のしーちゃん様を――――



 『一緒に闘おう』と口説き落としなさい」



「分かった! 行ってくる!!」


 私は即座に走り出した。

 【魂丿銀盾ソウルシルバーシールド】が戻ってきたことによって、力が漲る足を動かし、全力で城内の床を蹴る。


 瞬く間に、城の外へ。

 私が向かうのは当然――――ナーチャ王国だ。


 しーちゃん……。

 私は、何としても取り戻したかった国を、あなたに取り返してもらったにも関わらず……あなたのことを、何も知らなかった。

 あなたは何も、語らないから。

 聞こうともしなかった。


 あなたは私に、『何もかも背負いすぎだ』と言ってくれた。

 『背負いすぎて潰れてしまう』と。


 今回は、私がその言葉を――――しーちゃんに送るよ。


「何もかも一人で背負うな! バカしーちゃん!!」


 私は走り出した――――――



 ――――と、いうのが、半日も前のことである。


「ハァ……ハァ……あれ? おかしいな……」


 私は既に、ナーチャ王国へと、辿り着いていた。

 しかし、この国に、しーちゃんの姿はない。

 闘いが始まっている様子もない。

 挙げ句の果てには、ナーチャ王国に巣食う獣人たちに、取り囲まれている始末だ。


 ……あれれ?

 ひょっとして私……。


 しーちゃんを追い越して、ナーチャ王国にきちゃった?

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