〈8〉一瞬の隙を見逃さない

 ナデシコも、さすがにそこまで無警戒ではなかったようだ。

 迫りくる六体の獣人による視線。

 殺気のこもった、視線。


 隠す気のない殺意の込められた視線に、彼女は気づいた。


 よくよく考えてみると、先に見せた木の枝の素振りから見ても、彼女はある程度、武術か剣術の技術を会得している。

 戦闘――というものに対する心得は習得済みということだ。

 となると、殺気に気づくのも当然の話。


 しかし、気づいた時には既に時すでに遅しだが。


 囲まれている。

 四方を……いや、六方を。

 万に一つも逃がさないという意志を感じる包囲網だ。


 どうするんだ? ナデシコ……。

 この包囲網を脱するためには、少なくとも一体……獣人を仕留めなくてはならないぞ。


 ナデシコが取った行動は――


 気付かないフリをして、直進している。


 なるほど、このまま直進した先にいる獣人と交戦するつもりか。

 いい考えだ。

 ここで下手に動くと、テキに察知され、残り方向にいる獣人達に応援に回られる可能性がある。

 ナデシコが直進している以上、他の道を囲んでいる獣人達は下手に動くことができない。


 つまり、このまま直進して敵が動かないようであれば、この直進ルートで待ち構える獣人と一対一の交戦をし。

 もしも、他の獣人達が動いたら、その隙をついて、穴の空いた包囲網から逃げ出す――――という戦法か。


 なるほどなるほど……。


「バカみたいな喋りをするくせに……なかなか回る頭をしてるじゃないか……」


 少なくとも、生き残る可能性が最もある作戦ではある。

 だが……そう上手くいくかな?


 ナデシコが直進を続ける。

 間もなく相対することになるだろう獣人――――牛顔の獣人も、それを察知し、より殺気が濃くなる。

 周囲の獣人達には、動く気配がない、ということは――


 戦闘開始だ。


 ナデシコは、奇襲と言わんばかりに走り出した。

 突如、急接近された牛顔の獣人は面食らう。

 戦闘までの時間を、突然短縮されたことで、ほんの少し、反応がにぶる。


 人間は、獣人自分達から逃げこそはしても、よもや――――立ち向かってくるはずはない、と、たかを括っていたのだろう。


 その『よもや』が発生したのが、今。


 一瞬の隙を見逃さないナデシコ。

 相対するや否や、ジャンプして、木の枝の一本を獣人の右目に刺した。


「も……ごぁあぁあーっ!!」


 瞬く間に、獣人の右目の視界を奪ったナデシコが、次にとった行動とは?

 逃走である。

 身軽な動きで牛顔の獣人の横を走り抜けた。


 これで包囲網を突破――などと、簡単にはいかない。


「……も、モォオオォオー!! こ、のぉ……ふ……ざけ、ないでよねぇぇえーーっ!!」

「っ!!」


 眼球ごと、木の枝を引っこ抜いた牛顔の獣人が、即座に追い掛ける体勢に入る。

 全力疾走で、ナデシコを追い掛けはじめた。


 こうなると、追いつかれるのは時間の問題。


 さぁ……どうする?


「モォー! 怒った! 捕まえて、両目をえぐり取ってやるんだからぁ!!」


 口調がめちゃくちゃ人間の女っぽい。

 どうやら、牛顔の獣人はメスだったようだ。

 メス? 女性? 相応しい呼び名は分からないが、まぁ、メスで統一しよう。

 だって顔、牛だし。


 徐々に距離が詰められていく。

 これでは到底逃げきれない。


「つーかまえた!」


 牛顔の獣人の手がナデシコへ伸びる。

 彼女の薄ピンクドレスを掴もうとした……その時――


 ナデシコがしゃがんだ。


 空を切る牛顔の獣人の手。


「え?」


 そして、奪った右目の視界を利用。

 巧みな足さばきで、牛顔の獣人からみて右側へ移動、見えない所からの一撃。


「も……ごぉあぁああーっ!!」


 木の枝を、全体重をかけるかのように、牛顔の獣人の右脇腹へと押し込んだのだった。

 悶絶し、膝をつく牛顔の獣人。

 ここぞといわんばかりに、ナデシコがたたみかける。

 蹴りなどの足技、木の枝を使った剣術。

 ふむ……やはり、彼女の武術剣術はなかなかのものだ。

 だが――――


 その追撃は悪手だぞ、ナデシコ。


「っ!?」

「モォー、いったぁーい……なによなによ、刺したり、蹴ったり、殴ったりしてくれちゃってぇー……」


 ボクの予想通り、蹴りを放った右足を掴まれてしまった。


 獣人の奴らはタフだ。

 何せボクの蹴りをくらって立ち上がってくるほどなのだ、ナデシコの蹴りなど、痛くも痒くもなかったはず。

 牛顔の獣人はずっと……この時を待っていたのだ。


 一度掴まったが最後……もう、ナデシコに逃げるすべはない。


 こうなると当然――


「許さないんモォー!!」

「――――っ!!」


 機動力を潰しにくる。

 ちょこまかと逃げ回り、撹乱してくる相手には当然の攻撃だ。


「きゃああぁぁああーっ!!」

「モォォオーっ!!」


 彼女の右足が、牛顔の獣人の馬鹿力によって、握り潰されてしまった。

 悶絶するナデシコ。

 そのまま牛顔の獣人は、その握り潰した彼女の足を振り回し、近くの木目掛けてぶん投げた。


「がはっ!」


 ナデシコの小さな身体が、木に叩きつけられる。

 木なのか、彼女の身体なのかは分からないが、メキメキッと音がした。


 力なく、地面に座り込むナデシコ。


 形勢逆転。

 牛顔の獣人が手を離したのも、もう逃がすことはないという意志の現れなのだろう。


「モォー……手こずらせてくれるわねぇ……元、人間達のお姫様」

「ぐ……」


 不敵な笑みを浮かべながら近寄っていく、牛顔の獣人。


 …………ここまでか……。


 この女なら……ボクを動かすきっかけをくれると思ったんだがな……。

 人間嫌いのボクを動かす……何かを……。


 残念だよ……ナデシコ。

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