〈7〉奇跡を起こすための努力

 ジーパ・ナデシコの尾行を開始してから、一時間が過ぎた。

 その頃の彼女はというと……。


 靴擦れに苦しめられていた。


 各指の先からはじまり、かかと、そして最終的に足の甲に傷ができたところで……彼女の心は折れたようだ。

 泣きそうな顔をして、近くの木に力なく寄りかかり、腰をおろしたのだ。


 あーあ……そんなヒールの高い、歩きにくそうな靴履いてるからそんなことになるんだぞ。

 そりゃ靴擦れにもなるさ。

 ま、その靴を履きたくて履いてる訳ではないだろうけれど……逃走をはかった際、たまたま着用していたのが、その靴だったってだけなのだろうけれども……。


「足いったぁーい……泣きそー……」


 泣きそう、ではなく、もう泣いてるよ? 君。


「こんなことなら、普段からランニングシューズ履いてたらよかったなぁ、私のバカ」


 薄ピンクドレスにランニングシューズは似合わないと思う。

 普段はそれでいいんだよ? それで。

 ただ、草木溢れる緑の道を、ヒールの高い靴で歩くのは難しいってだけの話で。


「私のバカ、私のバカ、おたんこなす」


 ふむ……しかし、こうやって自分の過ちを素直に認め、卑しめるところは良いなと思う。

 それが出来るのは、素晴らしい。

 人間は……いや、人間どころか、ボクらみたいなアンドロイドでさえ、失敗した責任を他者になすり付けがちだからな。

 簡単なようで、簡単ではない心の持ちようだ。

 それができている、この女……やはり興味深い。


「あの執事さんも悪いのよ! 私にこんな靴渡して! あんぽんたん!」


 …………前言撤回。

 ちゃんと執事に責任をなすり付ける方へとシフトチェンジしやがった。

 素晴らしくも何ともなかった。


 ま……最初から、他人の責任にしないところは、素直に褒めるべきだろう……。


 お、靴を脱ぎはじめた。

 痛々しい靴擦れをした両足があらわになる。

 うわぁ……酷いな、それは痛いだろうに……。

 ん? 裸足のまま立ち上がったぞ?

 そして、木の枝を折って……何をするつもりだ? 杖にでもするつもりか? いや、それにしては小さく折ったな。


「こんな木の枝でも、武器になるかな?」


 なるほど……獣人と会った時の武器にするつもりなのか。

 ふむ……危険な状況への対策を思考しているのは、大したものだ。

 確実に、役には立たないと思うけれども。


 …………獣人――――


 ボクはアンドロイドだから、楽々と撃退できたけれど……もしボクが普通の人間だったなら、そうはいかなかっただろう。

 シンプルに堅くて……力が強い。

 例え、鍛えられた兵士が銃を持っていても、勝利するのは難しい。

 戦ってみて、ボクはそう思った。


 そんな獣人を相手に、お嬢様が木の枝一本持っただけで太刀打ちできるとは、到底…………ん?


「木の枝一本だけじゃ、心許ないもんね。武器はたくさん持ってないと」


 え?


「ふぅー、これだけあれば充分かな?」


 ボキボキと、木の枝を折りまくっていた。

 彼女の足下には、五十本以上はあるであろう木の枝が無造作に転がっている。

 それ全部持ち運ぶの?

 え、怖っ……。

 てゆーか、木が可哀想。

 緑溢れる自然の中で、ナデシコの傍にある木だけぽっかりと緑がなくなってるじゃん。

 その木が泣いてるよ? シクシクと……。


「さて、いざという時に戦えるように、少し練習しとこーっと」


 お? 木の枝を一本持ったぞ?

 そして……。


「そりゃっ!」


 …………ほぉ……。


「えいっ! たぁっ! ほりゃっ!」


 なかなかどうして。

 木の枝を振るう仕草が、とても素人とは思えない。

 王女として、護身術として剣術の心得でもあるのだろうか?

 これは先の発言を訂正しなくてはならない。

 もしも彼女が、木の枝ではなく本物の刃を握りしめていたら、獣人相手でも善戦できるかもしれない。

 歯が立たないは言い過ぎだった。


 しかしまぁ……善戦は善戦なのだが……。

 勝利することは、よほどの奇跡が起きない限りは不可能だ。

 奇跡が……。


 …………そういえば彼女は、その奇跡を起こそうとしているのだったか……。


 奇跡を起こすための努力を怠らない……。

 何もしない、何も行動を起こさない人間に比べたら、彼女が奇跡を起こす可能性は、高い。

 ……ふん……。


 やっぱり面白いな――――この人間は。


 そしてそれから、約二十分が経過した頃。


「よしっ! これでオッケー、準備万端!」


 ナデシコは、足下に無限に生えている草を有効活用していた。

 五十本以上の木の枝をちぎった草で縛りあげ、その上で、リュックサックのように両肩に掛けて背負えるように造ってしまったのだ。

 器用だなぁ……。

 そして、靴擦れ痛々しい両足には、患部周辺を草で巻き、接触を緩和させる方法を取っていた。

 この草まみれの道を、裸足で歩くことの方がリスクがあることを把握しているからこその行動だ。

 その通り……例えこの場に相応しくない、ヒールの高い靴であろうと、素足よりはマシだろう。

 それに靴は、いざという時に武器にもなる。


 ヒールで突けば、局部破壊に。

 投げれば、遠距離武器に。


 威力こそないが、ひょっとすれば、撹乱や視線誘導にも使える。


 流石は一国の王女……といったところか。

 何手か先を読んでいる。


 …………そしてナデシコは、五十本の木の枝を背負い、再び歩きにくい高いヒールの靴に足を入れ、歩き出した。


「いざ、しゅっぱぁーつ!」


 ここまでの彼女の動きを見て、ボクは思う。


 確かに……彼女ならば、何かを起こせそうな予感がする。

 何か――――すなわち、奇跡を。

 本当に……興味深く、そして面白い人間だ。


 しかし――――



「気付いているのか? ナデシコ……」


 四、五……いや、六か……。

 殺意のこもった視線の数は。


「囲まれてるぞ? お前」

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