32 ……大好きなんじゃないの?
縄を掛けられた貧相な男が一人、職人町の通りを歩かされていた。ジュリオ襲撃の下手人だ。
この男を捕縛したのはアレッシオ。縄の先を持って同道している。彼は真面目な顔をひきつらせて隣にささやいた。
「――ものすごく、人目が気になる」
「悪い」
答えたのはベトだった。騎士団員の彼らは注目を浴びることもよくある。だが今日配られる視線はいつもと違った。彼らの後ろには、染物師達が足音荒くついてきているのだ。
「ふんじばる瞬間に立ち会わせないと、こっそり向こうにカチコんでやるって言われてさあ」
あはは、とベトは誤魔化し笑いをした。
「善良な職人さん達をむげにできないよな」
「脅迫するのは善良じゃないし、カチコミを宣言したらこっそりじゃないと思うんだが」
言い返してアレッシオはため息をついた。こうなったのにはニルダも関わっているし、あまり強く言えない。のびのびと振る舞う彼女だから好ましいのだ。
これから、面通しに行く。
下手人の方は犯行を自白した。軽く脅すぐらいにジュリオを殴れと依頼されたそうだ。それは誰なのか、容疑者に直接会って指し示してもらおうと思う。その証言以外に証拠はあがらないだろうから重要な局面だった。
なのにこの状況。何の喜劇だろう。
ドスのきいた面々を引き連れて、アレッシオとベトは自分達の方が冷や汗をかきそうになっていた。
「あ、来たわね!」
ニルダがウキウキと声を上げた。
「こら、はみ出るんじゃない」
娘を押さえたのはドゥランだ。ロレンツォの家が見える、少し離れた曲がり角から二人で覗いている。
一人の罪人と二人の騎士、そして染物師がぞろぞろ。妙な一行が来た。
ニルダとドゥランは捕り物を待ちかまえているのだが、悪目立ちしたくなくて隠れていた。裏で糸を引いたみたいに思われては評判が悪くなるじゃないか。こちとら真心で商売しているのだ。
「ちゃんと見届けたいのよ」
「もう少し人が増えてからにしろ、この馬鹿娘」
別にここに来なくても結果は分かっているし、アレッシオから報告もしてもらえる。ニルダだってそれはわかっているが、いいじゃないか、見たかったのだ。
ドゥランもついてきたのは、一人で行かせて何か余計な事をされてはかなわないからだった。こんな討ち入りもどきを引き起こしやがって、とドゥランはおかんむりだ。
「私のせいじゃないわ。親方が言い出したことに何か言える? 怖くてムリ」
「そこを抑えてこその交渉だろうが」
確かに。示威行動は亜麻アルテに対して心証を悪くするから控えてくれとか、言いようはあった。
それを言わなかったのはニルダの気持ちがカッペリオ寄りだったから。だってこのまま引っ込んでしまったらジュリオだって殴られ損じゃないか。
「おまえに任せた俺が間違ってたな」
「……仕事の方は、ちゃんと再開するって約束したもの」
ニルダは少しショボンと言い返した。その娘の頭をドゥランはワシワシ撫でる。
「おまえが彼らに共感したから、あっちもおまえの為になりたいと思ってくれたんだ。それはわかってる」
呼び出されたロレンツォが家から出てきた。連行されている男を見てサッと顔色が変わる。下手人の方もロレンツォを指差して何か言っているようだった。それを聞いて、染物師達がザッとロレンツォを取り囲んだ。
「手は出さないって約束よ、親方……!」
心配そうにニルダは呟いた。ロレンツォの行く末じゃなく、そっちが気掛かりで来たのかとドゥランは微笑んだ。
ニルダは、仲間には優しいのだ。
結局、ジュリオ襲撃事件の犯人はロレンツォだった。古参、新参の住民間の亀裂が垣間見える結果にリヴィニ伯爵は心を痛めたらしい。
それはともかく、法にのっとった裁判の末ロレンツォはアデルモから追放されることになった。その処分はロレンツォ個人だけなのだが、家族が共に行くと申し出たのが一つの救いだ。
ペンデンテ商会はまた少し街の人々から信頼を得た。あまり得にもならない
それをしたのは人助け目的ばかりではない。亜麻アルテ、染物アルテの仕事への優先権を確立し誇示するという、実際的な計算の上だ。
「あーもう仕事って難しい。お父様ばっかり株を上げちゃって、ずるいんだから」
「ドゥランさんは、堅実だよね」
ニルダはフィルベルトに向かって愚痴っていた。フィルベルトの相づちが物売りのざわめきに消える。
今日は市場に来ていた。下町に近い市で、近隣の農民が豆や野菜を積み上げて売っている。そこらの店のおかみさんが食べ物を売り歩いていたりもした。たくましいな、とニルダはそんな人々を眺めた。
「……いずれ、お父様を出し抜いて儲けてやるわ」
少女らしからぬ決意を口にするニルダにフィルベルトは笑った。
それはもう、ドゥランのことが大好きで尊敬しているということなんじゃないかと思った。きっと怒るから、言わないけど。
「でもニルダだって染物師とは関係を作ったんだろう?」
「そうね、
「うんうん」
「ここにいる女の人達が欲しがるような付け袖を、手の届く値段で作ってみせるわ」
ニルダは小声で自分を励ました。グッとこぶしを握るのを見てフィルベルトは悲しくなる。いつだって商売のことしか考えてくれないのだ。
「付け袖か……出来上がったらニルダも付けるんだよね」
「もちろん。宣伝しなきゃ」
「それ――」
フィルベルトは周りをチラ、とした。その辺に護衛のベトがいるだろうから。聞こえないように声をひそめる。
「僕に、くれないかな」
付け袖を乞う、その意味をニルダは知っているはずだ。
軽く耳元に近づいてささやかれたその言葉に、ニルダは小首を傾げた。
「フィル……男が着ける物じゃないわよ?」
「しっ……知ってるよ!」
恋の告白、その一つの形式だとわかっているのに、ニルダの頭の中でそれとフィルベルトが結びつかない。だってフィルベルトはフィルベルトだから。
てんから無視されたと気づいたフィルベルトは傷心のあまり早足に数歩先に出た。
「フィルには袖じゃなくて別の物を仕立てましょうよ。お揃いの生地にするの――」
後ろから無邪気に言われて、フィルベルトは深呼吸した。
傷つくな、これはニルダだ。
お揃いで何かを身に着けようという提案だけでも御の字じゃないか。
「――ああうん、そうだね」
振り向いたフィルベルトの力ない微笑みに、さすがのニルダもあれ、となった。この微妙な空気。何か間違えたかな――。
首をひねったニルダは一つの可能性に気がついた。というか普通に受け取れば、そういう言葉なのだった。
――でもまさか。フィルベルトなのよ?
少し離れて歩くフィルベルトの背中を見つめながら、ニルダはほんのり顔が火照るのを感じた。あれ。
うーん……まあいいか。私とフィルなんだし。
心に浮かびかけた疑惑をまるまる先送りして、ニルダはぴょこんとフィルベルトの隣に並ぶ。フィルベルトもニルダに微笑んでくれた。少し苦い笑顔だったけど。
アデルモの街の喧騒の中を少年少女は歩いて行った。
この先の人生、お互いの隣にいるのは誰なのか――ニルダにもフィルベルトにも、そんなことはまだ、わからなかった。
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