31 手を打つのなら


 せっかく、といっては何だが、事件が起こったのにニルダはやることがない。まずはドゥランとエドモンドが動くから大人しく待てと言われたのだ。

 それで拗ねていたところにフィルベルトが来てくれた。なんだかんだを把握して、ニルダがどうしているか気にしてくれたのだった。


「ロマには僕も会ったしさ。ジュリオの方はその気がなかったなんて、信じられないよ」

「ほんとよねえ」


 二人しみじみとうなずき合ってしまった。

 ロマは深く反省するべきだと思う。ニルダの仕事にまで支障が出ているのだから。一方的な恋の妄想から組合アルテ間の争いになるなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。


「この件の報告が上がって父上が心配してる。仕事がなくなる人が出るんじゃないかって」

「ああ、その辺はお父様が工作中よ」

「……どうやって?」


 染物アルテは仕事はしない、と宣言したのだ。ならば間にペンデンテ商会を挟めばいいとドゥランは交渉している。迂回取引だ。

 製造が止まってはどちらも困るのでその線でまとまるだろう。もちろん仲介料は、いさかいの原因を作った亜麻アルテ側負担で。

 ちょうど事業を目論んでいたペンデンテ商会が扱うのが適任と主張したらしいが、他の商会はどう思っているのか。しかしドゥランが染物アルテの信頼を取りつけているのは確かなのだった。


「短い間のことだから、たいした利益もないの。恨まれるほどにはならないでしょ」

「どうして短いってわかるのさ?」

「私が親方を懐柔するからよ」


 ニルダはつまらなそうに言った。



 ***



 ドゥランはロレンツォの行動を騎士団に報告しておいた。賭場へ摘発が入った日の件だ。暗がりをこそこそと、逃亡中と言わんばかりの振る舞いをしたのだから、申し開きがあれば尋問中にやってくれ。


「こいつの亜麻アルテでの立場も調べると面白いぞ」


 ジュリオ襲撃事件の主犯はロレンツォではないかとドゥランは睨んでいる。モンテッキが疑われるのを狙って、日雇いの誰かにでもやらせたのだろう。

 そんな入れ知恵をするのは相手がアレッシオだからだ。まあアレッシオは義理の息子になる可能性がなくはないのだし、手柄を立ててくれれば嬉しい。


 染物アルテとの仲立ちをするにあたって亜麻アルテにも厳しく要求した。最近の品質管理が悪い点、そして組合員の素行の問題についてだ。違法賭博はいただけない。

 摘発の直後でもあり、組合側も厳しく対処すると約束した。


 そんなわけで多方面からジワリと締め上げられ、今ロレンツォは身動きが取れなくなっている。

 もう彼は、染物アルテを納得させるための生け贄になるしかないのだ。自業自得だった。




 ロレンツォのそんな末路が見えてきたある日、ニルダはカッペリオの元に送り込まれることになった。この辺りで亜麻アルテとは手打ちにして下さいな、とお願いするためだ。


「何で私はそんな役回りなの?」

「適材適所だよ」


 ふくれっ面のニルダの頬をつつき、エドモンドは言った。

 そりゃオジサンが行くよりは効果的だろうけど、いいのか、それで。ドゥランもニヤニヤする。


「可愛い子ぶらなくてもいいぞ。カッペリオは染色に興味を持たれたことが嬉しいだけなんだからな。ガンガン話してこい」

ないわよ」

「ニルダはそのままで可愛いよ」


 脇から一生懸命主張したのはフィルベルトだった。

 染物師のことも知りたいからと同行を願い出たのだ。そうなるとベトも行くことになるので、ドゥランとしても手が空いてありがたい。ドゥランやエドモンドがいなくてもニルダならちゃんと話をまとめるだろうと思っている。それが親の欲目ではないと、信じたい。




 そして工房を訪ねると、カッペリオはポカンと口を開けた。ニルダの付き添いの少年がフィルベルト・ディ・リヴィニと名乗ったからだ。


「てことはなんだ、おまえさん伯爵家の子か」

「はい。町のことを勉強したくてついてきただけなんです。お邪魔してすみません」

「……丁寧な坊ちゃんだな」


 染物師の所に好んで来る貴族などいない。嫌悪の目で見られることも多いというのに、この少年は恐縮した表情で控えめだ。カッペリオは肩をすくめた。


「こんな所、臭くて驚いただろう」

「あ……はい、ちょっとびっくりしています」


 正直に言うフィルベルトに、ニルダは笑った。


「私も最初はびっくりした! でも親方の仕事が面白くって、すぐに気にならなくなったわよ」

「僕もこういう工房の中を見るのは初めてだよ。すごく興味深いです」


 素直な少年少女の後ろで、ベトは鼻をつまみたいのを我慢しているのだった。付き添いの付き添いとしては、早く話を済ませてくれと願ってしまう。それに応えるわけではないが、ニルダは用件を切り出した。


「あのね、親方。もうそろそろ亜麻織物アルテと仲直りしません?」

「ああ? まだ何の区切りもついてないんだぞ、向こうからガッツリ詫びでも入れに来るってのか」

「ううん、それはまだだけど。あっちもね、犯人が捕まったらって思ってるみたいなの」


 モンテッキは自分が疑われかねないのがわかっている。だから誇りにかけて解決に奔走しているのだ。目撃情報を集め、日雇い人足の溜まり場で聞き込みし、騎士団にもその内容を報告しているらしい。


「たぶんですけど……もう目星はついているので、近々捕まります」


 フィルベルトが小声で言った。あまりそういう事を漏らすのはよくないのだろうけど、と言いつつベトを振り向く。騎士団員であるベトは、仕方なし小さくうなずいた。


「ほう、どこのどいつだ」


 眉根を寄せたカッペリオをニルダはさえぎった。


「教えてあげたら、もう喧嘩はやめてくれますか? 私、早く親方の作る捺染の生地を見てみたいんです」

「……嬢ちゃんよ、おまえさんのとこは仲介してる方が儲かっていいだろう」

「そんなこともないですよ」


 ニルダは唇を尖らせた。商会は商会。一業種に絞って営業する織元とは違い効率が悪いのだった。仲介料なんてたいした金額でもないのに手間が増えているだけで、しかも他商会から睨まれかねないなんて割に合わない。


「モンテッキさんは、犯人じゃないです。ロマは家に閉じ込められててさすがに反省してると思うし、もうこちらには近づきません。亜麻アルテは紡ぎや織りの段階から質を上げるよう基準を作ると言ってました」

「……いいことだ」


 工房にいた弟子達がそっとうなずく。それに勢いを得てニルダはお願いした。


「だから、もう怒らないで仕事をじゃんじゃん回して下さいよ。いい物を作って、皆でガッチリ稼ぎましょ?」


 口調は愛らしいが言っていることはちょっと、とフィルベルトは隣でがっくりした。だがカッペリオの口の端は緩む。


「――仕方ねえ。まあ嬢ちゃんが言うなら手打ちにしてやらんこともないぞ」


 珍しい親方の苦笑いに、ニルダはパアッと笑顔になった。しかし。


「だからその、犯人を教えてもらおうか」


 苦笑を引っ込めたカッペリオの声は、低かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る