30 事件の行方


 もう暗くなりかける頃、ペンデンテ商会に訪問者があった。


「遅くに申し訳ありません。少しだけ、ニルダの顔を見たくなって」

「どうした、アレッシオ?」


 応対に出たドゥランは怪訝な顔になった。いつも清々しい青年が、げっそりしている。


「少々精神的にきつい事件があったんです」

「う、うん?」


 内容を聞いていいものかドゥランは迷った。するとアレッシオが声をひそめる。


「織元の娘と染物師の件はご存知ですか?」

「ああ、ロマとジュリオか」


 名前を聞いてアレッシオはがっくり項垂れた。


「やっぱり顔が広いですね……」

「いやまあ、取引先だからな。あそこはご破算になったはずだが……?」


 ドゥランの心臓が跳ねた。事件、とアレッシオは言ったのだ。


「誰か、死んだか」

「いえ」


 アレッシオは慌てて否定した。


「女同士の喧嘩になって仲裁に入ったんですが――どうしてこうなるんでしょう」


 口ごもる顔がうっすら照れている。ドゥランはピンときた。


「――ロマに、惚れられたな?」


 ぐっ、とアレッシオは言葉に詰まった。



 ロマとティバルタを引き離したものの、元々の事情を知らないアレッシオは双方から話を聞こうとした。ところがロマは薄幸な微笑みを浮かべ、力なく首を振るのだ。


「――もう、いいんです。私が馬鹿だったの。あなた、ジュリオとお幸せにね」


 その言葉でどうやら痴情のもつれだと判断したのだが、そのまま立ち去らせるわけにはいかない。「もういい」と繰り返すロマを町の女達が押さえつけ、その間に大まかな流れを聴取したアレッシオは「どちらも拘束するほどではない」と判断した。


「お宅までお送りします」


 礼儀正しく申し出たアレッシオに大人しく並び、ロマは帰路についたのだ。

 だが。

 どうにも芝居掛かった仕草と言葉でつかみ所がない。曰く、


「こんなに悲しい結末を迎えるなんて」「でも前を向いて生きなくてはいけませんわね」「アレッシオ様とお話できるなんて光栄ですわ」


 名乗っていないのに名を呼ばれ、アレッシオは驚いた。


「私をご存知ですか」

「騎士団の皆さまは、街の娘の憧れなんですよ? 友人がアレッシオ様のことを噂していて――私もアレッシオ様は素敵な方だと思います。ニルダには申し訳ないけど、こうして抜け駆けできて嬉しいわ」

「ニルダ?」


 想いを掛ける少女の名が出てアレッシオはドキンとした。


「ええと、商会のお嬢さんのことかな」

「あらアレッシオ様、今は私のことだけを考えて下さらなきゃ、嫌」

「は?」


 うっとりと見つめられてアレッシオは血の気が引いた。

 町の人々が言っていたのだ。ロマはジュリオから愛されていると妄想していたと。

 これはまさか。



 そこまで一気に話したアレッシオに、ドゥランはひきつった笑いしか返せなかった。


「――そりゃまた災難だったな」

「本当ですよ! 何なんですか、彼女は!」

「まあまあ。思い込みが激しいとニルダも言ってたよ」


 珍しく取り乱すアレッシオの声に、ニルダが顔を出した。


「あらアレッシオ様、どうしたの?」

「ああニルダ――」


 フラリとニルダに手を伸ばし、アレッシオはそっと少女の肩に頭を乗せた。ニルダは仰天する。いったい何が、と父を振り向いたが、ドゥランは肩をすくめて引っ込んでしまった。アレッシオがこうなっても仕方ない出来事があったのだろう。


「……大丈夫ですか?」


 ニルダはアレッシオの背中に手を回し、ポンポンとなだめた。まさかアレッシオがロマの次なる標的にされたとは思いもよらない。しばらくしてアレッシオは深呼吸した。


「――ありがとう落ち着いた。すまない、みっともないところを見せて」

「ううん。何があったんです?」


 アレッシオの初めての姿がおかしくてニルダは笑った。大人だと思っていたのに意外と可愛い。


「……ニルダには言いたくないな、ごめん」

「ええ? お父様には話したんでしょ?」

「そうだけどね。もう解決したし、心配しないでくれよ」


 そうなのだ。ロマを送って家人に引き渡す時、アレッシオはきっぱり宣言してきた。


「私には、以前から結婚を申し込んでいる女性がいます。こちらのお嬢さんとは一切関係ありませんから!」

「そんな! じゃあ何故私を助けたの!?」


 助けた? 喧嘩を止めただけだし、職務だ。

 無口なばかりに誤解が深まったジュリオ。アレッシオは、その轍を踏むことをよしとしなかった。



 ***



 だが後日、下町でもうひと悶着あった。こちらは完全に事件だ。ジュリオが襲われたのだった。

 工房から使いに出されて戻ってきた時だった。物陰から飛び出してきた男に鈍器で頭を殴られてジュリオは昏倒した。下手人はそのまま走り去ったという。

 幸いにも大怪我ではなかった。すぐに目覚めたし、予後も一日様子をみるだけで済んで皆が胸を撫で下ろす。殺すつもりなら刃物で来るだろうから、脅しなのかもしれない。だが親方カッペリオは激怒した。


「ウチのモンに何してくれるんじゃ」


 言い方が怖い。

 弟子を完全に身内として扱うその姿勢にジュリオは感激した。染物アルテの面々も賛同する。

 だが今ジュリオが狙われる理由を考えるとロマとのいざこざしか思い当たらなかった。となると娘を傷つけられたモンテッキの差しがねか。それには組合アルテも関わっているのか。


 染物師達は、亜麻織物組合に対して職務停止ストライキを宣言した。



 ***



「親方達が困ったことを始めたぞ」


 事の成り行きを知らされてドゥランはソファに沈み込んだ。こちらは亜麻布に捺染をしたいと言っているのに。その両者で戦争勃発とは。

 エドモンドも眉間を押さえて苦笑いだった。伯爵への陳情を分担させられ書類を何枚も作ったのにこれだ。


「血気盛んだね。僕の書いた羊皮紙が無駄にならなきゃいいけど」

「ねえねえ、殴り込みとかするのかしら?」


 微妙にワクワク顔のニルダにドゥランは渋い顔をした。


「どこに殴り込むんだ? 事を荒立てようとするんじゃない。モンテッキはジュリオを襲ってないぞ。カッペリオの所に謝罪に行くはずだったんだしな」


 そうなのだ。ロマの非を認めたモンテッキはきちんと詫びを入れるつもりだった。その前にロマが家を抜け出してティバルタと対決してしまい、娘を軟禁しておくことが最優先になっていただけなのだ。きっと今頃、亜麻アルテに迷惑をかけたと自責の念に駆られているだろう。


「じゃあ誰がやったのよ」

「さあ誰かな? 考えてごらんニルダ」


 ニルダに質問するエドモンドはいつも楽しそうだ。ニルダとしても期待に応えたいので、ふむ、と考えてみる。


「……モンテッキさんの仕業にしたい人がいるってことね? てことは商売敵。それとも単に恨みがある。あるいは、ロマに横恋慕していた」


 最後の推理でエドモンドもドゥランも笑い出した。これだからニルダは、とエドモンドはご満悦だ。


「ま、つまり亜麻アルテの中の問題なのさ。ここで膿を出させよう。こっちの邪魔になるのなら、俺も容赦なくいくぞ」


 言葉は勇ましいが、面倒くさそうにドゥランは宣言した。




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