27 妄執
表情を凍らせたジュリオに、ドゥランは柔らかく話しかけた。
「喧嘩でもしたのかい」
「違います」
ジュリオは追い詰められたように声を絞った。
「最初からロマとは何もない。つきまとわれて困っているんだ」
「――へ?」
ニルダはぽかんと口を開けた。
いや待って。ロマは相思相愛であるかのように恋を語っていたのだけれど。
「――どういうことだ」
ドゥランもわけがわからない、という顔になった。
「どうもこうも、向こうが勝手に――愛してると言って会いに来たり、待ち伏せしたり。俺がロマの恋人みたいに言いふらされて大迷惑なんだ!」
大声ではないが語気荒く言うジュリオの息は震えていた。たぶん、怒りで。
「ロマは……あなたのことを恋人だと思い込んでいただけなの?」
ニルダは呆然とした。だってあんなに嬉しそうだったのに。
「そんなことある?」
「俺は思わせぶりなことなど何も言ってないし、してない」
ジュリオはなるべく冷静に話そうと努力しているようだ。それがわかってドゥランは軽く青ざめた。
なんてこったい。すべてロマの妄想?
自分達もすっかり恋愛関係にあると信じてしまっていた――これはジュリオにしたら何というかその、恐怖体験の類だろう。
「いくら否定してもロマは聞く耳を持たないし。染物師のみんなは庇ってくれるけど他所の人は俺の言う事よりモンテッキさんの言い分を信じるし。俺はもう――」
珍しくたくさんしゃべり、ハア、と疲れ果てたようにジュリオはうつむいた。
「――もう、嫌だ」
ボソリと呟いた青年の肩が落ちた。
***
「ロマは――夢見がちで思い込みが激しくて人の話を聞かないところがあるな、とは思ってたの」
「おまえ、ひどいね」
「だって」
それ以外どう表現すればいいのか。ニルダは口をつぐんだ。
並んで歩くドゥランも言葉が出なかった。あまりロマのことは知らないが、たぶん妥当な評価なのだろう。でなきゃこんな事になってない。
二人はモンテッキのところに向かっていた。ジュリオから見た、ロマとの関係について証言するためだ。ジュリオ本人も行くと言ったのだが止めた。
「ロマは駆け落ちしてでもお父さんに認めさせるって言ってたの。心中するふりをしてもいいって」
そうニルダが教えると、ジュリオの血の気が引いた。
「そんな――俺は彼女とろくに話してもいないのに」
「そうだな。照れて愛をささやくこともできないんだ、とか都合よく解釈してるんだよ、きっと」
ドゥランはこれまでの経験と知識を総動員してなんとか解説する。自分の妻はそういう傾向にないので、想像ではあるが。
そんな妄想を否定されたロマが刃傷沙汰におよんでもいけないのでジュリオ本人は工房に置いてきたのだった。無理心中は目撃したくない。
わざわざ仲介に入るのは染物師と織元の関係が悪くなっては困るからだった。ちょうどそんな事業を企んだ矢先のこと、いたし方ない。でもこれって仕事の内かしらん、とニルダは納得できずにいるし、ドゥランは貧乏くじに泣きたくなっていた。
「おっと」
ごちゃごちゃした裏路地からやや広い通りに出たところで、逆に路地へ入る男とニルダがぶつかりそうになった。娘をひょいと庇ったドゥランは、相手が亜麻織物組合のロレンツォだと気づく。確かこいつ、この件に絡んでいたのでは。
「ロレンツォさん、染物町へ仕事ですかな」
「ああペンデンテさん、これはお嬢さんに失礼を。大丈夫でしたか」
「……はい」
これがロレンツォか、とニルダは中年の男をじっと見た。ロマを応援し、妙な薬を勧めたりしたという男。
物腰柔らかく、人当たりの良さそうな男だとニルダは思った。でもなんとなく信用ならない。ロマへの対応を知っているからかもしれないが、それだけだろうか。どこか崩れた雰囲気があるような気がする。
「ロレンツォさんは、染物師とはよく話しますか」
ドゥランは静かに言った。探るような視線だった。
こいつはどこまで事態を把握しているのだろうか。染物師達の言い分を周囲が聞かないというジュリオの話はその通りだろう。たいていの者はあの臭気の中で世間話をしたり、まして恋愛談義などしないのだ。
「仕事の話ぐらいですな」
今日は仕事ではなく、もっと先にある賭場へ向かうとはロレンツォも言わなかった。ドゥランは穏やかに続けた。
「実は今、カッペリオ親方のところに行ってきましてね。あそこの若いのとモンテッキさんの娘の話はご存じでしょう」
「ああ」
ロレンツォの声が小さくなった。
「いや……モンテッキは怒っているが、当人達の気持ちを思うとね」
「そうですなあ。だがあの二人、何でもないらしいんですよ。今からその件でモンテッキさんと話そうと思って」
「え」
ロレンツォの動きが止まって、ドゥランとニルダは理解した。この男も、ロマの話をうのみにしていたクチか。
「何でもない……って、いやロマは」
「勝手に
今までさんざん焚きつけただろう、という非難は言わずにドゥランは会釈し歩き出した。ロレンツォは呆然と立ち尽くしたままだった。
気に食わない男だけどその気持ちはわかるわ、とニルダは思った。うっとりと夢見るロマの様子を知っていれば、勘違いだったなんて思えない。その場を離れながらニルダはおそるおそる父に尋ねた。
「……ねえ、本当のジュリオの気持ちを聞いたら、ロマはどうなっちゃうかしら」
「……さあな」
そんなこと、怖くて考えたくなかった。仕方がないから話をしに行くが、身の危険を感じたらすぐにニルダを抱えて逃げようとドゥランは算段していた。
***
いや嘘だ嘘だ嘘だ。
ロレンツォはずんずん歩きながら心で繰り返していた。もしかしたら声に出ていたかもしれない。それぐらい信じられなかった。すべてロマの妄想だと?
だがドゥランが信用第一の堅実な商人だとロレンツォは知っていた。こんな冗談を言うはずもない。言われたことは真実で、これからジュリオの主張をモンテッキにとりなしに行くのだろう。たぶん円滑に仕事をするために。
そうなればモンテッキのこと、これまでの非礼を詫びにジュリオの所へ駆けつけるかもしれない。そういう男だ。
はた、とロレンツォは立ち止まった。
「――面白くないな」
真っ直ぐに非を認めるモンテッキと染物組合の関係が強固になってしまう。それにロマを煽っていたことや伝言を握りつぶしていたことがバレれば、自分とモンテッキが揉めるだろう。染物師の反感はこちらに向くかもしれない。
「それはまずい……」
どうにかしなくては、と思った。
新興勢力であるロレンツォは組合の重鎮モンテッキが気に入らない。だからロマを苦境に追いやるような嫌がらせをしていたのだ。それが裏目に出るというのなら、いっそ完全にモンテッキを陥れるしかないのではないか。
「ならばどうするか――」
ロレンツォはふむ、と考え込んだ。
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