26 染めて重ねて
亜麻布に
仕事部屋に行って、ニルダはそう談判してみた。唐突なニルダの提案にドゥランは天井を仰ぎ、エドモンドは笑う。
「おまえなあ……」
「さすが、僕のニルダはひと味違うね」
だからおまえのじゃない、と友人を小突き、ドゥランは問題点を頭で整理した。
亜麻布、これはまあいい。毛織物に美しく捺染するのは難易度が高いし値も張ることだろう。木綿は原料を輸入に頼ることになりほとんど普及していないから論外だ。
だが捺染。その技法をこなす者がアデルモに何人もいるだろうか。技術としては昔からあるが最近あまり見ない気がする。
そして緑。
「緑が受け入れられると思うかい? 農民が着る色だと思われてるよ」
立ったまま仕事机に寄り掛かり、エドモンドは試すような調子で疑問を口にした。町に豚や鶏、野菜を抱えて売りに来る近隣農家がそういう服だ。ニルダはおじさまを論破しに掛かった。
「鮮やかな緑で差別化するわ。それに青だって昔は死者の色だったんでしょ。それが聖母の色になって流行した。緑も有名人が着れば素敵な色ってことになるのよ」
「それはルチェッタが言ってたやり方だろう」
流行はこちらで決めてしまえ、という暴論の時だ。母親の強引なところばかり吸収しやがってとドゥランはため息をつく。だがエドモンドは優しい目でニルダを見ていた。弟子の成長を楽しむようだ。
「庶民に受け入れさせるには、誰に着てもらおうかな?」
「うーん……アレッシオ様とか?」
ニルダは真面目に答えたのだ。だがエドモンドは爆笑した。ドゥランだって盛大に吹き出す。
なるほど、娘達に人気の騎士団員に着て歩いてもらえばアデルモでは絶大な効果があるかもしれない。だがニルダに頼まれて最新の生地を身にまとうアレッシオの困惑顔が目に浮かんだ。エドモンドは笑いながらうなずく。
「そうきたか。じゃあ、鮮やかな緑のあてはあるのかい?」
「ああ、それはこの間、工房で見たのさ」
ドゥランが口を挟んだ。その瞳に浮かぶ不敵な色にエドモンドは気づいた。どうやら、父親の方も何かを思いついたようだった。
「それで、何をどうしたいんだ」
ニルダが出て行くとエドモンドは仕事の顔になって尋ねた。それにドゥランは質問で返す。
「染色をまとめて取り扱っている奴はここらにいないよな」
「ああ。北部の大都市なら違うだろうが」
そっちの地方のことはあまり考慮しなくてもいい。人口がアデルモの五倍、十倍もあろうかという都市がいくつもある商業圏だ。東方貿易と神聖帝国領での金融業、毛織物産業を牛耳る連中に対抗する気はない。
「アデルモは水が豊かだ。染色には有利な環境だろ。そこんとこ、活かすべきじゃないかとね」
「地場産業、てことか」
ドゥランは強くうなずいた。
「アデルモはいい街なんだが、特色がないんだよ。商売にはつまらん」
「そんなこと言って、修行したダルドから帰ってきたくせに」
エドモンドはからかうような顔をする。故郷のアデルモを離れずに堅実な商売をするドゥランは、エドモンドにとってもありがたい相棒だった。ドゥランはしれっと答えた。
「リヴィニ伯爵はまともな人だ」
法と知識を基に、領民を尊重する。それだけの事だが、そうできない貴族も多い。思いつきで税を掛けたり財産を没収されたりしなさそうという安心感は捨てがたかった。
「交渉にも応じてくれるしな」
「何を交渉しようと?」
「――緑色だよ」
ドゥランは説明した。
青の染物師カッペリオの所に、緑の布があった。まだ色は薄く、売れる緑ではない。聞けば染め直しの途中だという。黄色の工房で失敗したり余らせたりした生地を、ジュリオが練習に使わせてもらっているそうだ。
黄と青で、緑。
同様に他の色でも重ねて染めることで別の発色が得られることは染物師の間では常識だそうだ。染料が仕事着にはねることも多いのだから。
「そうなのか」
エドモンドがうめいた。彼ですらそんな知識はない。一般の市民は染料を重ねるなど思いもよらないだろう。そんな悪魔的な事、と怖がるかもしれない。
「染物師も気が進まないんだろうな、わざわざやろうとはしない。工房間で協力しないとできないことだし、染料をどう重ねればこうなる、なんてことも経験則だけだ。だが研究すれば色味を操れると思う」
「それは……すごいんじゃないか?」
「そうなんだよ」
ドゥランはハハ、と力の抜けた笑いをもらした。
「ニルダのやつカッペリオに根掘り葉掘りしたんだ。きれいな色っていいわよね、とかニコニコのたまって親方を籠絡しやがった。おかげでそんな多重染めのこぼれ話が聞けたってわけだ」
エドモンドは再び爆笑した。
「本当に僕のニルダは最高だね」
「俺の娘だぞ」
「はいはい」
軽くいなしてエドモンドは確認した。
「じゃあ染色関係の規制について、伯爵に緩和を働きかけたいんだな」
「ああ。特に捺染師だ。どの染料も使えるようにしないと、たぶん職人が足りん」
その辺を染物師組合に確認しなきゃならんぞ、とドゥランはあごの無精ヒゲを撫でた。
***
そんなわけでドゥランは再び染物師の町を訪れた。ニルダも一緒だ。
カッペリオに気に入られてるから来いと言われたが、ニルダにはそんな自覚がない。でも染色そのものには興味があるし――ジュリオのことも気になった。
ロマとはどうなっているのだろう。駆け落ちも心中もしていないといいな。
「やあカッペリオさん」
工房に顔を出したドゥランに、カッペリオはいつもの無愛想な顔を向けた。ジュリオはいない。他の職人が黙々と働いていた。
「こんにちは」
ここには無口な人しかいないのかと思いながら、ニルダはにっこりと挨拶した。自分は場を和ませるための人員なのだろうと判断したのだ。
「嬢ちゃんもまた来たか」
「はい! だって面白いんだもの」
「ふん。好きにしろ」
やはり反応がよくわからない。だが普段の数割増し可愛く振る舞うことにする。ドゥランは娘の働きに笑いそうになりながら話を振った。
「今日は少し込み入った話なんだが、仕事終わりの方がいいかい。捺染のできる人材がどのくらいいるか把握したいんだ」
「……珍しいことを」
「ニルダが興味を持ってね」
チラリとニルダを見たカッペリオはしかめっ面をした。
「夕方まで待て。手が離せん」
「わかった。じゃあ後で」
え。
さっさと踵を返す父にニルダは慌ててついていった。帰るのか。これだから事情通っぽく振る舞うのは難しい、とニルダは内心で文句たらたらだった。
「あ」
外に出るとジュリオがいた。用事から戻ってきたところだろう。軽く頭を下げて中に入ろうとするジュリオに、ニルダはつい声を掛けた。
「あの、ロマが会いに来られなくて泣いてたわ。お父様がこっちに外出させてくれないんですって」
それを聞いてジュリオは何故かひどく迷惑そうにした。そして忌々しげに呟く。
「ロマとは、なんでもない」
――どういうこと?
その冷たい声に、ニルダは硬直した。
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