25 恋の小道具
荷揚げ場から門を振り向いたニルダとアレッシオのことを見つめていたのは、思い詰めた顔のフィルベルトだった。その後ろでベトが空を見ている。あーあ、という表情だ。
「フィル!」
ニルダは驚いたが、ためらうことなくフィルベルトに駆け寄った。硬い表情が気になる。
「……具合悪いの?」
心配そうに眉をひそめられて、フィルベルトは半泣き半笑いで首を振った。
「そんなことないよ。ニルダがこんな所にいてびっくりはしたけど」
「うん、アレッシオ様に誘われて……」
そういえばデートみたいなものだったっけと思い出してニルダは振り返った。アレッシオは困った顔で歩み寄り、フィルベルトに目礼する。
「また視察ですか。ニルダも同じで……街中ではなく、と言うので、こちらに」
年下の少年に傷ついた顔をされて、アレッシオは自分が悪人のような気分になった。つい抜けがけの言い訳をしてしまう。
「いや、アレッシオはたまの休みなんだから自由にしていいんだよ。にぎやかな場所は……そうだね、ニルダが困っちゃうだろうなあ」
推し騎士の話題で生き生きとしていたロマを思い出してフィルベルトは苦笑した。
何故ニルダが困るのかわからないアレッシオは、今度は自分が傷つく。フィルベルトとニルダの間には、共に過ごした蓄積があるのだ。後発のアレッシオが遠慮することなど何もないのではなかろうか。
「ここは景色がいいって話してたの。水の音とか木の枝が揺れる音も、私好きだわ」
青少年の想いには無頓着にニルダは向こう岸を眺める。フィルベルトは小さく笑った。
「海も、馬車の窓にかじりついて見てたもんね」
「子どもみたいに言わないでよ」
「ニルダは自然が好きなんだな。いずれ、アルベロアにも連れて行ってあげたいが」
軽く鞘を当てる二人を後ろから見て、ベトは笑顔を引きつらせていた。たぶんニルダ嬢には通じていないぞ、と心に念じる。
どちらも応援するしかないベトにとっては非常に不毛な時間だった。
「そう、街中に緑が少なすぎるのよね」
ふと思いついたようにニルダは呟いた。木も少ないし――緑色の服すらあまり着られていない。ニルダはグルグルと考え始めた。
「綺麗に染めればいい色なのに、染めの手間がかかるから……」
「そうなんだ?」
「そうなのか」
男二人は染色のことなどわからなかった。フィルベルトは自分の襟元の刺繍をチラリと見る。緑の糸でつづられた蔦と葉。ニルダはにっこりうなずいた。
「その緑は鮮やかだわ。葉の模様も素敵――でもたぶん、この糸はいいお値段するし刺繍も手間がかかってる」
フィルベルトはなるべく普通の格好をしているつもりなのだ。ひと目で貴族とわかるような仰々しい服は好きではない。それでも薄地で張りのある毛織物は生地からして上質だし、細かいところまで見れば身分は隠せていなかった。
いい物を着ているのはアレッシオも同じだ。ボタンをいくつも使い細身に仕立てたコタルディ。さすが流行の元を作る騎士団員だとニルダも思う。
「おしゃれな物を、ちょっと頑張れば買える値段で売れないかしらね……」
ぶつぶつと何やら考えに沈むニルダに、アレッシオは困惑気味だ。その袖を引いてフィルベルトは首を振った。諦めなよ、という顔だった。
ニルダは昔から、遊んでいる最中にプイと考え事を始める癖があった。まあつまり、お金に関してなのだが。
こうなるともう大人しく商会まで送っていくしかない。さすがにフィルベルトも、そのエスコートはアレッシオに任せることにした。
いくばくかの同情と共感をこめて、彼らは別れた。
***
「お母様、
帰るなりニルダは母ルチェッタをつかまえて尋ねた。ちょっと参考までに見てみたい。
捺染。つまり模様を染める技法だ。刺繍や刺し子よりも手軽に柄のある衣服を楽しめないかと思ったのだ。
「手元にはないわ。また変なことを考えてるのね」
ルチェッタがコロコロと笑う。ニルダはふくれっ面になった。
「変じゃないの、合理的なの。フィルの服の刺繍が綺麗だったんだもの」
「なあに、アレッシオ君とお出掛けだったのに」
「途中で会ったのよ」
あらあらどっちも可哀想、とルチェッタは笑いをかみ殺した。
しかも頭が金儲けに切り替わって帰ってきてしまっただなんて。送り届けてくれたアレッシオが苦笑いだったわけだ。
「捺染なんて手間なことしたら亜麻布でも高くなるわよ?」
「そうだけど」
亜麻は肌着やシーツにも使う日用品だ。服として上等な物を作るなら毛織物の方が受けがいい。高価な亜麻布など誰が使うのか。
「夏は亜麻ばかり着るじゃない。薄い毛織物なんて、それこそ高いし。亜麻布でおしゃれできたら、ちょっと裕福な家の女性が食いつかないかなあ。ロマなんて、とってもおしゃれに敏感なの」
「なるほどね――でもちょっと需要が少なすぎるんじゃない? 庶民も手にできる物でないと、たいした売り上げにはならないわ」
「そうか……」
どうせ作るなら、量をこなせないと意味がないのだ。企画して試作して、経費だけかかって売れないのは一番困る。そこでニルダは思いついた。
「小物も作れば? 生地が少ないからひとつひとつはあまり高くならないでしょ」
「まあ、そうね。でも庶民でも使う小物って……頭巾とか?」
「ううん。それじゃ仕事着のうちだもん。やっぱりおしゃれのための物がいいと思う」
ニルダは自信たっぷりに断言した。
「付け袖よ」
ルチェッタの目が楽しそうに光った。うふふ、と獲物を見つけたような微笑みが唇に浮かぶ。母がこうなるということは、目の付け所は間違っていないだろう。
付け袖はその名の通り、普段着の肩に留めて使う飾り袖だ。安息日の教会通いなどで身に着ける。これならば下町の女でも少し綺麗な物を欲しがるのではないかとニルダは読んだのだ。
なんといっても、この付け袖を男から乞われるというのが恋の告白の定番なのだから。
想いに応えるなら袖を取って与え、お断りなら袖を振る。そんな恋愛の小道具だから、年頃の女なら美しい物を持ちたがるに違いない。
「ニルダにしては女っぽい、いい思いつきだわ。なら流行りを仕立屋と相談しなくちゃ。あとは染物師とも。模様とか、色とか」
「そう、色よ」
乗り気になった母に、ニルダは宣言する。
「私ね、緑が欲しい」
いきなりそんなことを言う娘にルチェッタは小首を傾げた。
「あのね、今日運河で見た木立が綺麗だったの。緑を鮮やかに染められればきっと流行ると思うわ」
「――田舎っぽくない?」
ルチェッタは懐疑的だった。
緑色を簡単に作るなら、素朴な草木染めでできる。だから凝った染料の手に入らない農村では緑を着る者が多いのだ。
だが草木染めだと暗いくすんだ緑か、反対に薄く白ちゃけた色しか出ない。色落ちも早い。それで都市の住民は緑を馬鹿にするのだった。
「だから鮮やかな緑にしなきゃ。きっとできると思うの」
ニルダはニヤリと断言した。
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