24 花ひらけ青少年


 ある日、アレッシオがふらりとペンデンテ商会にやってきた。友達というよりは求婚者の立場であるアレッシオは、フィルベルトのように子ども部屋に通すわけにもいかない。空いていた応接室にどうぞ、となった。


「ドゥランさんは、賭け事をたしなみますか?」


 挨拶だけと顔を見せたドゥランに、アレッシオはそっと尋ねた。訊かれた方は一瞬考えて吹き出す。


「いいや。仕事そのものが博打みたいなものだし、緊張感はそれだけで十分だ――心配してくれてありがとう。だが内部情報をもらすのは感心しないな」

「いえ、何があるとか言ってませんからね」


 二人で苦笑し合う。明言せずとも近々手入れがあるということだろうとドゥランにも伝わった。あんな町外れでひっそりと調査するのなら賭場か娼館が目標だろうとわかってはいたのだから。

 摘発に巻き込まれたら商売に差し障るし、下手をするとアデルモにいられなくなるかもしれない。今日のアレッシオはその注意喚起ついでにニルダの顔を見に来たのだった。


「ドゥランさんが追放されたりするのは困ります」

「それだとニルダもいなくなるしな」


 娘に想いを寄せてくれる青年をからかっていると、その当人もやってきた。


「なあに、私がどこに行くのよ?」

「どこにも行かんさ」


 ドゥランは笑いながら出て行った。アレッシオのことは娘と二人にしても問題ないと信用している。色男と評してはいるが、誠実な青年だと思う。ニルダが彼を選ぶのなら祝福するぐらいには。


「なんのお話だったの、アレッシオ様?」

「ああ――ニルダは、賭博なんてやらないね?」


 つい確認してしまったアレッシオに、ニルダは目を丸くした。こんな少女に何を訊いてしまったのかとアレッシオは恥ずかしくなる。ニルダならば一山当ててみたくて手を出してもおかしくないなと考えたのだ。大変失礼だったと反省した。


「いやだ、アレッシオ様。賭け事なんて、胴元しか儲からないようにできてるのよ? 私がやるなら賭場の経営の方がいいけれど……」

「ちょっと待ってくれニルダ」


 真面目に言うニルダの肩に手を置いて、アレッシオは落ち着こうと深呼吸した。しまった、まだまだ自分はニルダを甘く見ていたらしい。


「賭場を開くのは違法だからね? そんなことをされたら私は君を捕縛しなくてはならない」

「やりませんって」


 ニルダはおかしそうに笑い、目の前で困っている求婚者を見上げた。


「何かの事業を起こせたらなとは考えてるけど、いちおう合法な線でなんとかします」

「事業」


 今度はアレッシオの目が丸くなる。ニルダのことを年端もいかぬ女の子と認識しがちなアレッシオには不意打ちな単語だ。おかげで「いちおう合法」の部分が頭から抜けていく。


「経営を、したいのか」

「んー、まだ具体的にはわからないですけど。商人っていっても私は結局お母様みたいなやり方しかできないんだろうし」


 それはサロンに通って華やかな商いを、という方法論ではない。商人の妻として、夫の下でという在り方のことだ。ルチェッタはアデルモの法で「商人」とはされず、一従業員にすぎない。

 アデルモに限らず、この国で女性は「親方」にはなれなかった。実態がどうあれ、名目上は男性の親方に庇護される存在なのだ。唯一例外なのは、夫が亡くなった時にその事業を継承する「寡婦かふ親方」制度。それは従業員を守るためのもので、商人でも職人でも同じだ。


「事業主だってそれは変わらないけど――商人は、旅に出るにも交渉するにも女だってだけで危ないし舐められてしまうんだもの」


 ダルドの画材屋でも最初、鼻であしらうような態度をされた。商会の中では大事にされているニルダだが、外に出ればそんなものなのだ。

 しかし商人ならば物を見て歩き顧客の所に足を運び、というのは欠かせない。それは女性には難しかった。母ルチェッタだって稼ぎはいいが、その活躍する世界は限定的なのだと最近わかってきた。ならば元からひと所にいるのが当たり前の事業経営でもいいのではないか。


「それは――女性だからね。私だってニルダのことを守るべき人として見てしまう」

「だってアレッシオ様は騎士でしょ」


 ふふ、とニルダは笑う。忠誠を捧げた人のため、そして女性や子どもを守るために戦う。そんな立場にあるアレッシオからすれば、女性で子どもなニルダが大切に包み守りたい相手なのは知っている。


「騎士だから、だけではないよ?」


 アレッシオは念のため、ニルダだから特別なのだと示した。背中に垂れる黒髪をひと房取り、ツイと軽く口元に当てる。ニルダは真っ赤になってうつむいてしまった。


「ニルダがよければ、私に少し時間をくれないか。夕刻のそぞろ歩きパッセジャータには早いけど、外を歩こう」


 ニルダはおずおずとうなずいた。礼儀正しくそんな申し込みをされて断れるほど悪女にはなれないのだ。これがルチェッタならば何かしら交換条件をつけるかもしれない。

 こういうところが小娘なんだよなあ、と自分自身をもどかしく思うニルダなのだった。


 

 きちんと両親の承諾も得て、ニルダとアレッシオは出掛けた。

 だけどニルダとしては人通りの多い所は嫌だ。明日何を噂されるかわからない。アレッシオはアデルモの娘達の間で有名人なのだから。


「あまり人のいない方に行きましょう」

「……そう言われると」


 ニルダは真剣に考えて言ったのだが、照れたアレッシオが顔をそむけて隠す。それはそうだろう、言い方が悪い。


「あ、運河沿いの倉庫とか? 私あまり見たことないわ」

「いや、人足はたくさんいるよ?」

「そういう人達ならいいの!」


 とたんにウキウキと駆け出さんばかりのニルダだが、それではただの社会見学だ。あまりの色気のなさにアレッシオは呆れ笑いをもらした。

 これでも街を歩けば憧れの視線を浴びることもあるんだが、とアレッシオは思った。

 ニルダは手ごわいのだ。



 運河へは門を通らないと出られない。その門を守るのは騎士団の役目でもあるのでアレッシオには慣れた場所だった。そして休日のアレッシオがニルダを連れて現れたことで、仲間が口笛を吹いた。

 この辺りの河岸は市壁に沿っていて、倉庫自体も壁の一部を成している。だが街と反対側の岸には木立もあった。

 水の流れと緑の木陰。植物といえば街区の中庭にしか植わっていない都市に暮らすニルダは、そんなものを目にするだけで心が浮き立つ。


「綺麗――アレッシオ様はあの門に詰めることもあるのよね。いいなあ」

「別にのんびりできるわけではないよ」


 市壁側に作られた荷揚げ場の隅でニルダははしゃぐ。その視線の先で木々が風に揺れていた。

 そんなに気に入ったなら近隣の農村にでも連れて行ってやりたい。なんなら実家のアルベロアまでだって、とアレッシオは夢想した。

 そこに、彼を現実に引き戻す声が掛かった。


「ニルダ? ――とアレッシオも」


 それはニルダ同様あちこち視察に歩いている、フィルベルトだった。

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