21 青の工房


 アレッシオが何をしに来たのか、教えてもらえずにニルダはちょっと拗ねた。

 男同士で結託して、感じが悪い。男同士だからこその話もあるのだとは、ニルダにはまだわからなかった。

 唇を尖らせるニルダに微笑みかけ、アレッシオは姿を消してしまう。仕方なくドゥランと二人、カッペリオの工房に向かった。まあこちらが当初の目的なのだし。

 ニルダだってジュリオには会ってみたい。ロマが惚れ込んでしまうなんて、どれほどの男前なんだろう。


「お邪魔するよ、カッペリオさん」

「おう」


 顔を出した商人に対して、親方は不愛想だった。

 すがめた目、しわを寄せた鼻。その原因は匂いなんじゃないかとニルダは思った。作業部屋がというより、染物町一帯が臭い。

 それも仕方ないだろう。染料は植物性も動物性もあるが、腐らせて使うことも多い。媒染材だって酢のようにツンとするものや――ぶっちゃければ屎尿しにょうを使うこともある。しかもそれを火にかけて煮込んでいたりするのだ。

 染物師を訪ねるのが初めてのニルダは笑顔がひきつるのを我慢していた。

 どうしてあんなに染物師が嫌われるのかと不思議だったのだが、理由の一端がわかった気がする。これは実際に経験しないと理解できないものだろう。ドゥランが娘を連れてきたのも、それを教えたかったからなのだ。


「若い弟子が入ってると聞いてね、様子を見に来たよ」

「……ジュリオのことか」


 工房には四人いたが、カッペリオは床にしゃがみこんで鍋の中身をかき回している男をチラリと見た。一番若いその男が顔を上げる。

 深い夜のような目だとドゥランは思った。どことなく色気を感じる、影のある若者。なるほど少女がポーッとなるのもわからなくはない。

 ウチの娘はどう思っただろうとドゥランがニルダを窺うと、ニルダはジュリオではなく鍋の中身を凝視していた。


「あれが染色剤なの?」

「ああ、そうだ」


 チラチラと作業場の中も確認している。男より商売、と。ドゥランはなんだか安心し――いや、でもそれでいいのか。いつまでも子どもなのも困るのだが。

 ニルダも一応、ジュリオを見て「へえ」とは思った。なかなか格好いい。だが色気に当てられはしなかった。ニルダも顔の造作なら評価できるが、男の雰囲気を観賞する境地には至っていないのだ。

 ニルダは初めての工房の方に気持ちを奪われていた。発酵させた藍玉あいだまも見てみたかったが、そこらに置いてはいないようだ。カッペリオは工房内を厳しく管理している。だからこそ信用が置けるのだが。


「これから青の需要が伸びるかもしれないんだが、どうだろう、仕事は増やせるかな」

「ふん。かまわんぞ。ジュリオがそろそろ使い物になってきた」


 親方のその言葉にジュリオがハッと頭を上げた。そして黙ったまま一礼する。どうやら師匠に心酔しているようだった。


「そりゃあ助かる」


 ならば不安は亜麻織物組合のことだけか。若者の恋路に口を出すのは野暮というものだが、と考えていると作業場に一人の女が入ってきた。これも若い。ドゥランとニルダに驚いたように立ち止まってしまった。


「なんだティバルタ」

「あ……荷が届いたんだけど、重くて」

「ああ、ジュリオ行ってやれ」

「はい」


 ティバルタと呼ばれた女はカッペリオの娘だそうだ。少しのそばかすが愛嬌を出しているのに、表情は少ない。内気でな、とカッペリオは苦々しく言った。


「あいつとジュリオは年も釣り合う。一緒になりゃあ、そのうち独立させてやるんだが」

「え」


 ニルダはぎょっとした。そうしたらロマは?


「彼はそんなにいい腕なのかい」


 素知らぬ顔でドゥランは言った。ジュリオは親方に恋愛事情を伝えていないのかもしれない。勝手にバラしてしまうわけにはいかないだろう。


「本人には言わんが、よく覚える」

「彼も無口だね」

「親を亡くしてな。村で邪魔者扱いされて町に流れ着いた奴だ。そんなもんだろう」


 そこはかとない影はそういう理由か。ドゥランは納得してうなずいた。そんな青年が打ち込める仕事を得たのなら、幸せになってもらいたいものだが。

 するとカッペリオはニルダに視線を移した。


「あんたの娘はまた、好奇心の塊だな。キョロキョロと、工房が珍しいか」


 カッペリオに睨まれて、ニルダはひょんと背を伸ばした。自然とそうしてしまったのは、おそらく職人の凄みなのだろう。腕一本で暮らしている者の持つ力だ。


「おもしろいです。商品を作る過程にも、興味があります」

「ふん。知ろうとするのはいいこった」


 ムスッとされたが、それは好意的な反応だったらしい。いろいろ話してから工房を出ると、ドゥランがささやいた。


「気に入られたじゃないか」


 今ので? ずーっと仏頂面だったけど?


「――わかりにくいわよ!」


 これだから頑固な職人ってやつは。ニルダは察しの悪い自分に腹を立てた。



 ***



 珍しい場所を視察させてもらったニルダは、家に帰って思いにふけった。

 物を商うには、物を見ているだけでは駄目だ。作る人、使う人のことも知らなければいけない。もっと世の中を感じたい。そういえばフィルベルトもあちこち回って勉強中だと言っていなかったか。


「フィルも、同じなのね……」


 机に頬杖をつき、ニルダは窓から空を見上げた。

 勉強部屋はペンデンテ商会の三階。それでも窓からは港も海も見えない。周囲は同じような高さの建物に囲まれていた。でも海風の吹く時には、ほんのりと潮が香ることがある。


 青く光る海は、ニルダの心を躍らせた。先日のダルドへの旅で高台から見遥かした海。あの大きな帆船は東の国からの品々を運んでいたのかもしれない。

 宝石や絹、香辛料。そんな物を産する不思議の国とつながっている大海原。

 私は、遠くへ行ってみたいのだろうか。


 東の遠い国々。肌の色も、信じる神も違う人々。

 遥かな砂漠を行く見知らぬ動物。

 強い雨に煙る鬱蒼とした森。

 それとも北の、雪を戴く山脈の向こう側。冬はとても寒いとか。

 そしてその西に浮かぶ島。湿った風と霧に閉ざされた国だと聞いた。


 どこに行ったとしても、良い物を商って儲けられればそれでいい。というか実際に行かなくても書簡のやり取りで事が済むようになってきている。

 一昔前には「旅する商人」と言われていたものが、今は「商人の指は常にインクで汚れているべき」となった。時代は変わるものだ。


「でも、それじゃロマンがないわ」


 何の力も持たないニルダが旅に出ることなどできないのだが、商いにはやはり、心を蕩けさせる何かしらが欲しい。

 それは夢、希望、あるいは恋。

 人が欲望を抱く原動力となるものは、いったい何なのだろう。


 ニルダが遠くを思っていると、穏やかだが律動的な足音が近づいてきた。これは女中頭のイレーネだ。扉が叩かれる。


「お嬢様、お友達がおいでですよ」

「だあれ?」


 立ち上がって扉に手を伸ばすと、それは向こうから開いた。


「ああ、ニルダ!」


 絶妙に芝居っぽい嘆息と共にニルダに歩み寄ったのは、織元の娘、ロマだった。


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