22 毒を食らわば


 いきなり部屋に飛び込んできたロマは有無を言わさずニルダの手を取った。


「ニルダ、助けてほしいの」


 大げさに首を振って嘆くのに巻き込まれ、ニルダまで揺れる。


「どうしたのよ」


 相変わらず言う事為す事突拍子もない。いきなり何を助ければいいのやら。


「父さんがどうしてもジュリオのことを許してくれないのよ」

「それは前からでしょ?」


 少しばかりおざなりな返答になったのは仕方ないと思う。だがロマは先ほどより強くニルダを振り回しながら言った。


「違うの。もう私を染物アルテに取り次ぎに行かせないって」

「あらあ……」


 そうなると会うことがほぼできなくなるわけだ。


「ひどいわ父さんたら。仕事で関わるすべての人を知っておかなきゃならん、とか言ってあんな所にまで私を行かせたくせに」

「あ、私もカッペリオさんの工房に連れて行ってもらったの。興味深かったわね」

「あら、ジュリオに興味を持っちゃダメよ?」


 ロマは上目遣いに睨んでみせる。ニルダとしてはそんなつもりは欠片もないが、親方の娘ティバルタの内気な顔が脳裏をよぎった。彼女のこと、ジュリオはどうするんだろう。尊敬する親方に言われたら、その話を断れるのだろうか。


「私はジュリオのこと何とも思わないけど。それで、助けて、てどういうこと?」

「そうなのよ」


 ロマは重大な秘密を明かすように声をひそめた。


「あんまり父さんが頑固だから、ジュリオと二人で心中しようかと思って」

「はあ!?」


 ニルダは頓狂な声を上げた。

 何を言うのか、この人は。私に人死にの片棒を担げと?

 だがロマはうっとりと目を細めた。


「こんなことになるのなら認めてやればよかった、て父さんも泣くんじゃないかしら。すると二人が愛の力でよみがえるのよ。息を吹き返した私達に感動して、父さんも祝福するの。素敵な筋書きだと思わない?」


 お芝居でも上演するつもりだろうか。否、つまり心中と見せかけて父親を脅す魂胆なのだった。ロマはにっこりした。


「それで死んだように気を失う薬が必要なのだけど、こちらの商会では手に入るかしら」


 えーと、死んだように?

 気を失うだけならば以前かがされた睡眠海綿すいみんかいめんなんて物はある。だが医療用の薬は許可無しに売ることはできないのだ。もちろん蛇の道は蛇、不法に作る者も買う者もいて、ニルダが食らったのもそうして流通したものだった。


「お医者様の使う、痛みを感じさせなくする眠り薬のことでしょ? それ、うちでは扱えないのよ」

「ううん、それだと生きてることがバレバレじゃないの。私が欲しいのは息も止まるような薬よ」

「ちょっと何それ?」


 それはもう、死んだ状態じゃないのか。ニルダはゾゾッと背すじが震えるのを感じた。そこから、生き返る? 気持ち悪い。

 ニルダは自身を信心深いと思ったことはなかった。でもそんな薬は悪魔の仕業だと考えてしまう。墓から這い出すロマとジュリオの姿を想像しておぞ気立つとは、意外に神の存在は生活を浸食しているようだ。


「あら……ニルダは知らないのね」


 反応を見て、ロマは残念そうにした。


「じゃあ薬のこともロレンツォさんに訊いてみようかしら。そういうのがあると教えてくれたけど、買ったことはない、て入手は断られたのよ」

「ロレンツォさん? 亜麻組合アルテの人だっけ」

「そう。父さんと違ってジュリオの事に理解があるの。父親なんて出し抜いてやれ、て応援してくれてね」

「でも心中のフリをするのは、やりすぎだと思うわあ……」


 恋がわからないニルダにはそこまで思い込む気持ちが理解できない。引いた様子のニルダに、ロマは不満そうだった。


「さもなきゃ駆け落ちするしかないのよ? ああ、なんにしてもジュリオに別の仕事を探さなきゃならないわね」

「どこでも染物師はできるでしょ?」

「嫌よ、あんな仕事ジュリオに似合わない」


 言下に否定して、ロマはツンと顔をそむけた。

 ジュリオ本人はカッペリオの元で修行を続けたいと考えているだろうに、そこは話していないのだろうかとニルダは不思議だった。



 ***



「――ということをロマが言っていたんだけど。息を止める薬って何?」


 怪しいことならエドおじさまに、という短絡でニルダはエドモンドをつかまえた。仕事部屋で二人になり話を聞いたエドモンドは、目を丸くしておかしそうに微笑む。


「おやニルダ、そんな都合のいい薬なんて――高いよ?」

「あるの?」


 ニルダは仰天した。世の中の恋人達は、そんなに心中をよそおう必要に迫られているのだろうか。


「んー、ニルダには教えたくないなあ」


 エドモンドはわざと困ってみせた。

 死んだフリをしたいのは別に心中もどきに限らない。死んだことにしておかないと殺される、あるいは処刑したことにして誤魔化したいなどという状況はままあるものだ。

 だがそんな裏の薬が安全なはずはない。そのまま死んだり、目覚めても身体を害するのは当たり前。毒と同等のものを若い女に勧めるとは馬鹿なことだと思った。


「おじさまも私を子ども扱いするのね」


 ニルダがつまらなそうにする。エドモンドは椅子を立って、机の向こうのニルダに歩み寄った。


「違うよ、守りたいだけだ。醜いものからね。ニルダは僕の大切な女性なんだよ?」


 エドモンドの指がニルダの頬をそうっとなぞる。その手つきは本当に愛おしそうだったが、ニルダがエドモンドを見上げる目は少し寂しい。エドモンドの視線は、こんな時遠く感じるから。


「でも、そんなこと言って私にあやしげな芸術家の元締めを紹介してくれたじゃない。あれは世の中の裏側じゃないの?」


 ニルダが明るく言ってみせるとエドモンドは笑った。


「まあね。だけどニルダはそういうものには節度を持って接することができるから。違法になる事とは距離を置く。儲け過ぎては恨みを買う。ギリギリを攻めても、それを越えては駄目だ」

「わかってるわ」

「いい子だ」


 エドモンドはニルダの額に軽く口づけた。そしてすぐ近くからニルダを見つめる。ニルダも視線を返し、そして小首を傾げた。


「うん――ロマご所望の薬は、駄目な方だよ」

「そうなのね」


 ニルダはそれ以上食い下がらずに出ていった。見送ってエドモンドは苦笑いをもらす。

 すると一拍おいて、奥の続き部屋からドゥランが姿を見せた。父親として、娘のなんやかやはちゃんと聞いていたりするわけだ。だがまずは仕事に関係しそうな事柄を口にする。


「そのロレンツォってのは亜麻織元のか」

「だろうね」


 それだけで了解し合い、むっつりと考え込んだ。

 モンテッキとロレンツォは亜麻アルテの仲間だが、競合相手でもある。その娘に危ない薬をそそのかすなど悪意からかもしれないのだった。


「アルテ間がギクシャクするかと心配してたが、原因はアルテの中にあったかな」


 そう言ってため息をついたドゥランは、ふとエドモンドに目をやった。

 この昔からの友人の本心は、今どこにあるのだろうか。


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