19 亜麻織りの服の娘


 アデルモは水に恵まれた街だ。わりと大きな川が少し南側を流れている。

 この川から引かれた運河がアデルモを取り巻いているのだった。その舟運は街の支えの一つで、河岸には倉庫が建ち並んでいた。


 今日のニルダはフィルベルトと一緒に運河に近い職人町を目指していた。乾いた風に乗り、倉庫で働く人足のたくましい声と水の匂いがかすかに届く。


「ロマの所にフィルまで行きたがるなんて」


 おかしそうにニルダに言われてフィルベルトは困った顔になった。


「……アデルモの市民のことだし。何でも知っておきたいんだ」


 最近のフィルベルトは街のあちこちに出掛けるようにしている。ベトを伴って下町に向かったのもその流れだった。

 自分は何も知らない。経験も足りない。そう思うから、いろいろなものを見てみたい。

 アデルモ伯を継ぐのは兄だと思うのだが、ならば自分に何ができるのか、それを考えたかった。

 だけど今日、織元モンテッキの娘を訪ねるというニルダについてきたのはニルダと過ごす時間が欲しかっただけなのかもしれない。フィルベルトはそんな下心を押し隠した。


「あの組合アルテ同士の関係は微妙だとベトに言われてさ。対立になると産業への打撃だし」

「そ。生産の遅れは、損害に直結するわ」


 「損」という言葉を嫌うニルダが言うと説得力があるが、今回はその対立のどこかに付け込んで稼ぎたいのが本音だったりする。

 そしてまた、モンテッキの様子も見てみたかった。織元という事業者を視察することで経営の実際に触れようという魂胆だ。ロマを心配して訪問するという体裁を取りながら、実に自分勝手なのだった。



 モンテッキの家で二人が名乗ると泡を食って応対された。それはそう、これでフィルベルトは領主の息子だ。


「あの、僕のことはお気になさらず」

「そうです、子ども同士の付き合いですので気安くしてほしいと言われていて。ちょっとロマとおしゃべりしたいなと思っただけなので、おかまいなくお願いします」


 慌てて恐縮する本人と可愛らしく常識ぶるニルダに言われてモンテッキは汗を拭く。


「では申し訳ありませんが、今ちょうど来客中ですので娘とどうぞ。おーい、ロマ! 早く来なさい!」

「なあに、父さん? あら、ニルダなの」


 父親には冷たい声だったロマは、ニルダ達を見て嬉しそうにした。そんな娘にモンテッキは命じる。


「こちらはリヴィニ伯爵家のフィルベルト様だ。町の者らとお話しになりたいそうでな、おまえがお相手しろ。私は今、ロレンツォが来ているから」

「またロレンツォさん? 今日は何の文句かしらね」

「いいから!」


 無駄口を叩く娘を叱りつけ、モンテッキは渋い顔だ。フィルベルトは何も気にしないかのように微笑んで軽く頭を下げた。


「お忙しいところを急に訪ねて、失礼しました」

「とんでもない、少々バタついておりましてお恥ずかしい。では」


 ペコペコとしてモンテッキは行ってしまった。経営者とも話したかったニルダとしてはやや残念だ。


「お邪魔するわ、ロマ。お父様はお忙しそうね、ロレンツォさんていうのは厄介な人なの?」

「んー、そうね」


 ロマは肩をすくめた。あまり気にしていなさそうだ。


「同じ亜麻アルテの人で、何かと父さんとぶつかるのよ。優しいおじさんだと思うのだけど」

「ふうん?」


 組合アルテ内のこととなると細かい力関係があるし、他組合との絡みもある。一言では説明できないのだろう。


「そんなのはいいから、こちらでお話ししましょうよ」


 ロマはニコニコと二人を応接室に招き入れた。ロレンツォとはどこで話しているのだろう。作業場だとしたら確かに雑な扱いだなとニルダは苦笑いになる。

 それぞれに椅子を勧めると、ロマもふわりと腰掛けた。薄茶のコッタに茜色の袖なしワンピーススラコッタが鮮やかだった。自分の所で作った生地なのだろうか。どちらも亜麻織りで、なかなか良い物のように見える。

 ロマはほっそりしているが、それなりに美人だった。もう十五歳というわりに夢見がちにも見える瞳は、恋する女だからなのかとフィルベルトは思った。


「実は僕、町でジュリオとお父上が揉めた所に居合わせていて」

「まあ、あそこに? いやだ、恥ずかしい」


 ロマはうっすらと頬を染めて小さく身もだえし、上目遣いにフィルベルトを見た。


「ジュリオのことをご存知なんですか?」

「いえ、通りかかっただけです。名前は、あなたが呼んでいたので」

「ああ……ジュリオ!」


 突然ロマが芝居掛かった調子で恋人の名を呼び、ニルダとフィルベルトはビクリとした。それにも気づかぬ様子でロマは胸の前で祈るように手を組む。


「ジュリオ。なんて素敵な名前。ジュリオがジュリオでなくてはあんなに素晴らしい人ではなかったと思うわ」

「ええと……そんなもの?」

「そうよ」


 ロマは熱い視線で困惑するニルダを説得した。


「薔薇も、薔薇という名でなければあんなに気高く香らなかったと思わない?」

「いやあ、そうかしらね……」


 タジタジと口ごもるニルダなど珍しくて、フィルベルトは目をしばたたいた。

 気迫のこもる言葉でニルダを黙らせ、さらにロマは言いつのる。


「ああジュリオ、あなたはどうして染物師なの。どうか染物師をお辞めになって。染物師じゃなくっても、ジュリオはジュリオなのだから」

「え、染物師なのはダメなの」


 理解できないニルダだが、その辺りの事を聞きたかったのだった。フィルベルトは落ち着いた声で口を挟んだ。


「それは、お父上の許しが得られないからですか?」

「それはもちろんありますけど」


 ロマが空――ではなく天井を見上げる。恋を語るロマはいちいち演劇じみていた。


「やっぱり染物師なんて格好良くないもの。私のために仕事を投げうって迎えに来てくれたら素敵だわ」


 仕事をやめろ、にニルダは同意できなかった。稼ぎはとても大事。それがニルダの信条だ。なので意見してみる。


「染物師として独立して稼げるようになったら、それでモンテッキさんも納得しない?」

「無理よ。あんな怪しげな仕事の仲間だなんて」


 ということはロマ自身も染色業に対して含むところがあるのだろう。その感情を超えて恋してしまう魅力がジュリオにはあるということか。ニルダは会ったことがないのでよくわからない。


「先日ジュリオと一緒にいた人達は、染物アルテの方々なんでしょうか」


 フィルベルトが確認した。


「ええ。そして父が連れていたのはうちの従業員です」

「すぐにも殴り合いそうな雰囲気でしたが、仕事に影響はないんですか」

「仕事がなくなれば暮らしていけないでしょう? それは皆わかっていますから」


 ロマはなんでもなさそうに言った。仕事を回してやっているのはモンテッキの方なのだ。やはり立場が強いと余裕がある。ニルダはなんだかモヤッとした。


「だけど染物師がいないと困るのよ。ロマだって綺麗な色の服は着たいでしょうに」


 言ってみると、ロマは瞳を輝かせた。


「もちろん。ねえニルダ、あなたももう少し、流行りの服にしてみない?」


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