18 許されない仕事
「事業、かい?」
ソファに腰をおろしたエドモンドは、じっと試すようにニルダを見上げた。ニルダは平然とうなずき返す。
「物を動かすのが商売の基本なんだろうけど、よくある物を扱ってちゃ利益率なんて頭打ちだもの。何か
「うんうん」
「でも貿易に乗り出すような資金は私にはないし、船の相乗りじゃ他と同じ商品しか仕入れられないし」
かといって莫大な利益をもたらす東方の香辛料などは、すでに大商会が利権を握っていて参入することも難しい。
「それで、事業か」
「物がないなら作ればいいじゃない?」
「ふむ。何を作ればいいと思う?」
「それがわからなくて」
ニルダはエドモンドの隣にポス、と並んで座った。
そもそもペンデンテ商会にはたいした資金力がない。出資者はドゥランとエドモンドだけなのだ。
ドゥランは主にダルドに着く貿易船の荷を買い付けて、それを北側のアデルモをはじめとする町々に流通させている。
エドモンドは逆にアデルモ周辺の産品を他所に売り込んでいた。でも何故か遠くの大きな街まで何やら出掛けて行ったりもする。何をしているのかニルダには教えてくれないが、先だって「贋作もどきの絵画を作りたい」と持ちかけた時あっさりダルドの画材屋を紹介してきたことなどを考えるにスレスレな事をしているのだろう。
母のルチェッタは、大人の女性向け贅沢品というところに特化してサロンに出入りして楽しそうだ。そのサロンのあるダルドで修業中の兄ルッカはどんな取り引きを扱っているのだろうか。今度会ったら教えてほしい。
「製造業しかないと思うのよ。金融とか、保険とかは大手にしか無理でしょ?」
「気宇壮大だね」
エドモンドは忍び笑いをしてニルダの頭を抱き寄せた。ポテンと寄り掛かってくる娘のような少女の黒い髪をくるくるともてあそぶ。
ニルダの頭の中で、世界はどう見えているのか。
次に何を言い出すだろうと思うとエドモンドは楽しくて仕方がないのだった。
今日はまた、事業主になりたいときた。物を動かすより、作る。なるほどこの少女は型にはまろうとしない。金儲けになるのなら何でもいいと開き直っているのがエドモンドのお気に入りの点だ。
エドモンドに甘ったれたままニルダが考え込んでいると、ドアがノックされた。遠慮がちな話し方の、聞き慣れた声。
「こんにちは、フィルベルトです。ニルダはこちらにいますか?」
「フィル? いらっしゃい!」
「やあ、どうぞお入り下さい」
歓迎するように言いながら、エドモンドは立ち上がりかけるニルダの肩を押さえた。おずおずと扉を開けたフィルベルトが、ソファで肩を抱かれているニルダを認めて硬直する。それに柔らかい笑顔を向けてから、エドモンドはニルダを解放した。フィルベルトに駆け寄るニルダの後ろから、座ったままのエドモンドはしゃあしゃあと挨拶する。
「誰も案内しなかったんですね。失礼を」
「あ……いえ」
フィルはニルダに引っ張られて向かいに腰を下ろした。今度はフィルベルトの隣にニルダが座る。
「イレーネさんが
フィルベルトはやや強ばった顔で、エドモンドを真っ直ぐ見なかった。
イレーネというのは邸の女中頭だ。他家の使用人にまで気を遣う、貴族らしからぬフィルベルトのことをエドモンドは好意的に見ている。
それでも彼がニルダに寄せる気持ちをからかいたくなるのは別の話だった。ニルダは僕のお気に入りなんだからね、とエドモンドはやや大人げなく考えた。
そんな男二人の心の中などわかっていなさそうに、ニルダはフィルベルトに笑顔を向ける。
「で、どうしたのフィル? 何か面白い話でもあった?」
「ああ、お金になる話じゃないよ。ごめん」
そう答えるフィルベルトもたいがいだ。完全にニルダに毒されているのだが、付き合いが長いのだから仕方ないのか。もう七年ほど一緒にいる、ということは少年少女にとって人生の半分にも当たるのだった。
「この間、町を歩いていたんだけどね――」
フィルベルトは夕刻の下町で出くわした出来事を語った。
染物師だというジュリオと、織元の娘らしいロマ。一触即発の雰囲気を漂わせていたそれぞれの連れ。
「ロマなら知ってるわよ」
「そうなの?」
眉をひそめたニルダに言われてフィルベルトは驚いた。
「亜麻織りの織元、モンテッキさんの所の娘ね。ロマは商会や職人さん達との取り次ぎをやってるの。それで染物師の男の人と恋仲になったってことか」
織元は布を作る工程すべてを管理している。亜麻を仕入れ、糸を紡ぎ、織り、染め、そして仕立屋や商会に卸すのだ。
他の繊維――たとえば毛織物ならまた別の作業があり用途も違う。だから
「染物師には嫁がせない、か。まあ言うだろうね、モンテッキは
「エドおじさまも知ってるの?」
「もちろん。彼の父親はアデルモの参事を務めたこともある、手工業者の地位向上のために働いた名士だったよ」
僕もその頃は子どもだったけどね、とエドモンドは笑った。
市の参事会は、領主をはじめ貴族と有力市民、聖職者、法律家などで構成される議会だ。そこでアデルモ内のことはすべてが決定される。リヴィニ伯爵といえども参事会を無視することはできない。
そこで手工業者のために働いたなら、とフィルベルトが怪訝な顔になった。
「染物師だって身内のはずです。毛嫌いしなくても」
「いや――伝統的に嫌われる仕事だから」
歯切れの悪いエドモンドに、ため息で同意するニルダ。フィルベルトだってそういう感覚を町の皆が持っていることは知っていた。だが差別を目の当たりにしたのは初めてで、ついニルダと話したくなったのだった。
真っ当な家の子どもは染物師にはならない。聖職者は染め物をしてはならない。それぐらいに考えられている仕事だ。
常にグルグルと鍋をかき回し、臭くて怪しい染料と媒染材を使って物の色を変える。つまり魔術の類に近いと思われているのだった。
悪魔への恐れ、神にすがる心、そういうものは人々の暮らしに深く根付いている。
「報酬はきちんと支払うし職能は尊重する、だが親族にはならない、と。そういう線引きが頑固なのさ」
「馬鹿馬鹿しいと思うわよ、私は」
「まあニルダは、神をも恐れないよね」
そう笑うフィルベルトだって、あるいはエドモンドだって敬虔な信者とはいえなかった。領主の統治に対して何かと口を出すのが教会だったし、商人の金儲けを罪深いと規定するのが教会だから。ここにいるのは微妙に神と折り合いの悪い立場の三人なのだ。
しかしまあ、とエドモンドがあごに手を当てて考え込んだ。
「そんなことがあったとなると、少し揉めそうだな」
揉める。その言葉にニルダが瞳をチカリと輝かせた。
揉め事のある所には儲けの種もまた、存在するものだから。
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