あなたは何故あなたなの

17 下町の恋人たち


 初夏を迎えたアデルモの下町は、人々の活気に満ちていた。

 石も敷かれていない、土がむき出しの小径。子ども達が駆け抜けると乾いた空気に土ぼこりが小さく舞った。間もなく夕方だが、頭上では渡された紐に干したままの洗濯物がハタハタと呑気に揺れている。


「フィルベルト様、今日はまたずいぶん町外れまで来ましたね」

「ああ、ごめん。ベトにはいつも面倒をかけて」

「面倒だなんて。自分は護衛ですから」


 この海辺の町アデルモの領主はリヴィニ伯爵だ。その次男フィルベルトは、共に歩く護衛騎士のベトに向かって申し訳なさそうに微笑んだ。本当に気弱な坊っちゃんだな、とベトは困ってしまう。

 この少年はベトの騎士としての琴線に触れてくる。ベトの剣は伯爵に捧げているのに、息子の彼のためにも戦わなくてはと思わされるのだった。

 だがそれは忠誠というよりは庇護欲だろうか。まもなく十四歳で背も伸びたが、武芸の才はからきしのフィルベルトだった。


「下町の暮らしも、ちゃんと知りたいんだ。この時間なら仕事じゃないところも見られるし」

「はあ、もう片付けにかかってますな」


 明るさの残るうちに仕事は終えなくてはならない。ベトはニヤ、と笑った。


「これから皆、ぶらぶらクダを巻くんですよ」


 一日の終わり。

 そぞろ歩きで行き合う友人と話し込み、軽い食事と酒をいただく。それが人々の楽しみだ。

 だが酔えばもちろん揉め事も増えるので、巡回中の騎士団員が仲裁に入ることもあった。


「じゃあベト達の仕事は終わらないねえ」

「いやあ、大抵は仲間内でどうにかしちまうんで、手出しできずに見てるんですが」


 この場合の「仲間内」とは、はっきりした組織を意味する。

 同じ教会に属する教区民。一つの街区コントラーダに暮らす住民。そして同職組合アルテ

 彼らはその中で助け合い守り合うが――もし不法を行えば排除されてしまい、町で生きていくことはできなくなる。騎士団の警察権は限定的で、日常の治安維持は住民自身が担っているのだった。


「ジュリオ!」


 フィルベルト達の後ろで若い女の声がした。そして軽やかな小走りで追い抜いていく。

 その行く先に立っていたのは地味な青灰色のチュニックコッタと薄茶のズボンの男だった。こちらも若い。恋人同士のささやかな逢い引きだろうか。ジュリオと呼ばれた男は驚いたように女を見た。


「――ロマ? どうしてここに」

「ああジュリオ。あなたに会いたくて来たの」


 ロマはうっとりと言いつのる。だがジュリオの方は困惑気味に周囲を見回した。どことなく暗い影を持つ、それ故か年のわりに色気を感じさせる男だ。


「やめてくれ、こんな所まで押しかけるなんて」

「あら、私だってただの織元の娘だわ。下町にだって慣れてるんだから」

「そういうことじゃないんだ」


 苛立ったように吐き捨てて、ジュリオは踵を返した。ロマがその腕にすがる。通りにいた人々から冷やかすような視線と指笛が飛んだ。だがその中に訳知り顔の連中が幾人かいることにフィルベルトは気づいた。


「ロマ――!!」


 後ろから、今度は中年の男の怒声が響いた。振り向くフィルベルトの横をドスドスと通りすぎる数人の男達。その内の一人がロマの肩をつかみ、荒々しくジュリオから引きはがした。


「父さん、つけて来たの!?」

「おまえが抜け出すからだ」

「だって私、ジュリオが」

「うるさい!!」


 ロマの父という男は娘に怒鳴ると、ジュリオを憎々しげに睨みつけた。


「染物師なんぞに娘はやらん!」


 同行してきた男達がこぶしを握りポキポキと指を鳴らす。殴り合いも辞さない構え。

 ジュリオの脇にもワラワラと人が集まってきた。先ほどの、事情を知る様子の連中だった。

 男達が二組に分かれて睨み合う。息詰まる空気と、それにワクワクする見物人にフィルベルトは呆れた。


「ベト……止める?」

「あー、あれはですねえ」


 歯切れの悪い返答に眉をひそめた時、ジュリオがボソリと言った。


「元々そんなつもりはない。帰って下さい」


 そして自分の傍らにいる男達に小さく頭を下げると、彼らをうながして歩き出す。


「ジュリオ!」


 ロマが悲しげに呼び掛けるのにも振り向かず、ジュリオはそのまま去ってしまった。



 ***



「お姉さまー」

「お姉さまー」


 可愛らしくも元気な男女の双子が、姉のニルダを探して廊下を走ってきた。


「ここよ」


 ニルダは扉からひょいと顔を出す。双子は満面の笑みで姉に抱きついた。部屋の中ではやれやれとエドモンドが微笑んでいる。

 ニルダはペンデンテ商会二階、父ドゥランと父の友人エドモンドの仕事部屋にいた。何かいい儲け話はないかと書簡の類に目を通していたのだ。弟のエリオと妹のジェンマは子ども部屋で計算の勉強中だったはずだが、もう終わったのか。それとも質問か。


「どうしたの」

「あのねえ」


 エリオが言いかけて口ごもる。あら珍しい、とニルダは弟の頭をなでてやった。

 替わってジェンマが口を開く。ニルダにしがみついたままだ。


「ねえ、お嫁に行くのは、いつ?」

「へ?」


 面食らったが、双子は真剣だった。


「おめでとう、だけどー」

「だけどー」

「お姉さまがいないのは」

「いないのは」

「やだよう」

「いやなの」


 口々に訴える。少しずつずれた山びこのような双子がおかしくてニルダはニコニコしてしまった。

 だが今のところニルダに結婚の予定はない。婚約したことがあるにはあるが、その話はお断りした。


「あのね、私まだ結婚なんて決まってないのよ?」

「えー?」


 双子は声を揃えてきょとんとした。


「アレッシオさまとケッコンしないのー?」

「しないのー?」


 当たり前に言われてニルダの方が面食らう。こらえきれずにエドモンドが笑い出した。


 結婚話の相手だったアレッシオ。いつの間に彼に懐いたのかと思ったら、ニルダがダルドへ向かった朝、遊んでもらったそうだ。見送りに来てくれた後そんなことがあったのか。

 こちらがフィルベルトの馬車から海を眺めていた間の出来事というわけだ。あの時はまだアレッシオが婚約者だった。

 そんな頃もありました。なんとまあ、遠い日のことのようだ。


「きし!」

「カッコいい!」


 エリオが剣を振る真似をし、ジェンマが拍手する。二人はニルダにもう一度抱きつくと安心したように駆け出していった。

 騎士団の一員であるアレッシオに憧れるのは子どもらしくて微笑ましい。義兄にしてあげられなくてごめんね、とニルダは苦笑いした。


「まあニルダは今、お嫁に行くより金儲けだからな」


 エドモンドがクックッと肩を震わせる。少女としてその言われようは少し引っ掛かるが、その通りなのだった。


「ねえエドおじさま、私、考えてたんだけど」


 ニルダが言うと、エドモンドはほらね、という顔をした。


「ロクなことじゃないんだろう――とドゥランなら言うだろうな」

「真っ当なことよ?」


 ニヤニヤするエドモンドをニルダは睨んだ。


「儲けるっていってもチマチマ物を売るだけじゃあ――何かの事業を起こすとか、私でもできると思う?」


 真剣な面もちでニルダは問いかけた。


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