3 カグラザメ(5)

 *


 カグラザメへの挑発を辞めて久しいある日、ラブドールのもとへ一匹の若いカグラザメがやって来た。

 楽園は広がっていた。斜面に挟まれた高原の広い範囲が楽園と呼ばれるようになっていた。カグラザメがどんなに遠くで死んでいても、そこは楽園の一部であった。女王がそこも楽園だと言い張ったからだ。

 楽園にはすでにサメの死肉が余っていた。次から次へと、どこからともなくクモヒトデが群れをなしてやって来る。海底は白く細長いヒトデで埋め尽くされる。ときどきは、太い十指を持つ別のヒトデが姿を現すこともある。ゴカイは泥から生まれ、ワレカラはこの瞬間にも百匹増える。ナマコは暗闇を飛び交い、チョウチンアンコウすらも列をなし、餌を求めて楽園の門をくぐるほど。

 久しいサメの闖入ちんにゅうに、楽園の住人(人ではないが、このように言おう)は戸惑いつつも隠れることはしなかった。どうせ女王に向かって一直線、口を開けて飲み込んで、しばらくすると新鮮な死肉になるのだから。

 しかし、このときのカグラザメは違った。同胞の死骸やそれに群がる生き物に見向きもせず、女王を名乗る塊にうやうやしく近付き、頭を下げてこう言った。


「楽園の女王とお見受けします。私はここら辺のカグラザメの子孫の一匹でございます。あなた様を食べに来たわけではないとまずはお知りください」


「よくぞいらした。楽園にいるものはみな私の子である」


 若いカグラザメはほっとしたような声で、慎重に話を続けた。


「ありがとうございます。私の親族のご無礼をお許しください。我々は何も知らぬゆえ。暗闇に慣れてしまうと、物事を見る力が失せてしまい、本人もそのことに気が付かないのでございます」


「子を許さない親がいるだろうか。私は生み、育て、そして目の退化したものに光を授けるためにここまでやってきたのだ」


「重ね重ね、ありがとうございます。愛の形の名は偽りではないようで、喜ばしい限りです」そしてカグラザメは複数あるエラを動かして一息つくと、意を決したようにして話を続けた。「本日、私がここに来たのは、女王の楽園の一員になろうとしてのことなのですが」


「許す」


「ありがとうございます。万歳!女王!万歳!」


 サメはそう言って喝采をあげた。


 周囲でこのやり取りをじっと窺っていた生き物たちはこれに動揺した。周囲の泥が一斉に波立ち、生き物のように揺れたほどであった。女王が公認するピラミッドの頂点が現れたことで、特にサメの餌になりそうなソコダラの一部は、サメの喝采を聞く前に、慌てて、いそいそと楽園を後にした。

 残ったソコダラのあるものは、女王にこう訴えた。


「女王!おそれながら私は反対です。このものたちは幾度も女王さまに牙を向け、その柔肌に食らいつき、そしてお姿を台無しにしているのですよ?今更許す必要などありますでしょうか!?」

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