3 カグラザメ(4)

 *


「愚かなカグラザメどもよ。私は何度でも繰り返して言おう。私を喰らうことはできない。悔い改めて、私の楽園の門をくぐり、私を崇め奉るがいい」


 女王はそう吹聴した。この出来事を好機ととらえたラブドールは、海底でカグラザメを挑発し続けた。挑発に乗った哀れなカグラザメがのこのことやって来て、楽園の餌にも目もくれず、仲間の仇と、真っ先にラブドールに噛みつき、飲み込むと、例外なくそれはのたうち回って死んだ。

 死肉は楽園の生き物の餌となった。

 ラブドールは傷だらけになって胃袋から生還し、讃えよ、この死肉は私がもたらした、私の傷に触れるものは幸いである、それは不死のしるし、食物連鎖の頂点を超越することの証であると、声高に唱えるのだった。

 楽園の生き物は訳も分からずに熱狂した。カグラザメが死ぬたびに、その熱狂の数は増えていった。


 事実、死肉は間違いなくラブドールがもたらしていた。楽園の周囲にいるカグラザメは、あるいは他の大型肉食生物は、軒並みラブドールを喰らい、そして殺された。何度も噛みつかれ、喰われたことにより、ラブドールの肌は削り落ち、美しかった髪の毛は抜け落ち、後頭部が露出したが、深海の生き物たちでそれを気に留めるものはいなかった。サメの歯で何度も切り裂かれたシリコンの奥からは、ステンレスの骨格が覗いていた。

 いいこともあった。女王の口から飛び出していた具合のいい器具は、サメに何度も喰われる中で、いつの間にか喉奥へと押し戻されていた。女王は、その方が人間に近いから良いと思った。深海の住人達には、そもそもそこが口なのかもよく分かっていなかった。


「カグラザメこそが楽園の第一の使徒である。その犠牲は計り知れない。その死によって楽園は華やぎ、暗闇の中に生命の火が灯るのである。その肝油は食物連鎖の歯車の潤滑油であり、楽園を照らす燭台の油である。昨日の敵は今日の友と言う。私は許し、感謝するだろう。知るがいい。私の楽園はサメの歯でできている。私の愛はサメの歯として現れているのだ。生きているものの牙は恐ろしいが、死んだものの牙は愛すべきなのだ」


 あまりにもカグラザメが挑発に乗ってくれるため、ラブドールは、遂にはこのようなことを言い出した。

 カグラザメの死は楽園にとって積極的、肯定的なものとなり、カグラザメはラブドールの愛をもっとも理解している、聖なる存在として扱われるようにすらなった。


 楽園はかつてないほど賑やかになっていた。サメの死肉が溢れていたから。そして、食物連鎖の頂点に位置する生き物はそのサメであったから、ヒエラルキーのバランスは狂っていた。楽園に守られ、天敵が少ない魚、例えばソコダラやゲンゲ、タコは、頂点が欠けたピラミッドの中で、その数を増やしていった。

 

 ラブドールは、楽園経営が軌道に乗ったことを素直に喜んでいた。特に、自分の力で楽園を立ち上げたことには言い難い達成感があった。

 ただ、その代償として、カグラザメを殺しすぎたことを後悔していた。増えすぎるべきではない生き物が増えつつあった。ラブドールには、これを減らす手段がない。楽園からの追放を命じることはできただろうが、増え続け、自分を讃え続ける生き物の数をあえて減らすことは、耐えがたいものがあった。それは自らが愛をもって与えたことになっている食物連鎖からの追放と思われた。どのような理屈が、愛からの追放を正当化できるというのか。

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