3 カグラザメ(3)

 水圧で潰れていたとはいえ、女王も小さい塊になっていたわけではない。ステンレス製の骨格は健在であり、その存在感から、易々と捕食されることはないと思われた。

 しかし女王は飲み込まれ、噛まれ、流し込まれた。サメの口から女王の腕が垂れ下がる。サメの鋭い歯が女王のシリコンの肌に深い傷を刻み、ステンレスの骨格に強く当たる音がした。


 周囲の泥の中に潜んでいた生き物たちは、女王を讃える言葉も忘れ、泥の中からサメの様子を覗っていた。


 カグラザメは食事を終えると、体を反転して泳ぎ始めた。

 そして、それはすぐに起こった。

 楽園を出る前に、みんなの前で、悶え苦しみ始めた。のたうち回り、先ほどしたように尾を海底へと叩きつけた。それは何度も行われた。恐ろしい牙が並ぶ口を大きく開けて、艶やかな体を千切らんばかりに捩じり、顔を上に向け、下に向け、駆けだしたかと思えば凍ったように立ち止まり、闇の中で緑の瞳を白黒させた。泥に潜り、たまたまそこにいた何かを飲み込んで、それでも苦しみは解けることがなかった。


 やがて、楽園からそう遠くないところで、このカグラザメは息絶えた。


 息を潜めていた生き物たちは、安全が確保されると、のそのそと泥から姿を現わし、闇に紛れてサメに近付いた。仰向けになったそれは、身震いするような牙を覗かせていたが、転がっているだけの剣を恐れるものはいない。

 カグラザメは、ゴカイやヒトデやナマコ、プランクトンの餌となった。楽園に残り続けた信心深いものたちは多くなく、危機的だった飢えを満たすには十分な量の死肉だった。


 やがて、どこからか死肉の臭いを嗅ぎつけて、生き物たちが集うようになった。


「万歳!女王の賜物である!万歳!」


 そして誰かがそう叫んだ。かつて、一瞬だけそこにあった楽園が甦ったようだった。


 そして、事実、生き物の楽園は再び海底に現れる。


 カグラザメは長い時間をかけてむさぼり尽くされた。

 肉を削ぎ軟骨を吸う間に、その腹の中から女王が現れた。女王を知るものも、知らない新参も、これには大いに驚いた。何故なら女王はサメに喰われても死んでいなかったからである。鋭い牙が食い込んだ個所は傷になっていたが、その塊は健在であった。ただ、美しい髪の毛だけは、ひどく傷んでしまっていたが。


「知れ。私が言ったとおりとなった。私は死ぬことはなく、喰われることはない。私は何度でも現れる。私は復活した。私の言葉を聞いたことがあるものは思い出せ。サメは楽園の礎となった。私たちはその死肉、骨の上に楽園を築こう。そして私を讃えよ。この肉は疑いなく、私がもたらしたものである」


 死肉に集まっていた生き物たちはこれに大いに歓喜して応えた。サメは喰い尽くされたが、女王が生還したその胃袋は、ほんの少しの間だけ大事に取っておかれた。ほんの少しだけというのは、飢えた生き物に、結局は喰われてしまったからである。

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