1 深海の女王(3)

 *


「あなた様は、その、どのようなお方なのでしょう?」


 ソコダラはそう尋ねた。これに答えて女王は言った。そのあんぐりと開けた口を動かすこともなく。


「私の名はラブドール。この世界を作った神に似るものであり、この世界を支配する人に似るものである。その名は愛の形を意味している。この地は私が祝福を与えた。繁栄せよ。祝福に包まれてただ繁栄せよ。何故、祝福は与えられたのか。私が降り立ったからだ。事実、見よ、何もなかったこの地に生命が生まれ、え、あふれている。知り、後世に伝えるがいい。汝らは私を讃えるためにここにあるのだ」


「女王、万歳!」


 そう言って、女王の股間からカイアシが湧いて出た。それは、股間に空いた穴に残っていた人間の精子に群がっていたのだった。その声は、その体長のように小さくか細かったが、静かな深海では、耳をすませば辛うじて聞こえただろう。


「万歳!万歳!」


 泥の中からゴカイと、針金のような手足を持つヒトデが現れてそう言った。

 これらは股間に群がって増えたカイアシにつられ、どこからかやって来たものたちである。

 

「至高至大なる女王、万歳!」


 闇の中から足の長いクラゲが現れて、その体を大きく広げると、女王の頭上を覆う天蓋のようになった。その触手は星のように光り、女王を飾り立てていた。

 このクラゲも、ここに集まったカイアシを目当てにやってきたものであった。


「不毛の土地は豊かになった!ここには何もなかったというのに!」


 紫色のエボシナマコが女王のもとに集まってきた。

 このものも餌であり捕食者である。


 実は、カイアシよりも小さな微生物、細菌もそこにおり、女王を讃えていた。それらも食物連鎖の一部、いや、もっとも大事な最底辺を築いていた。しかしその声は、誰の耳にも届いていなかった。細菌の存在を知っている女王を除いては。数でいうと、これらの声が最も多かった。

 女王は、その無数の声なき声を、輝いて湧き上がり、体を通り過ぎる幾億のあぶくのようだと思った。それは海の底から、炭酸水の泡のように湧き上がり、女王を包み、恍惚とさせた。

 

 ソコダラの目の前で、あっと言う間に女王は生き物たちに囲まれ、讃えられていた。発光できるものは女王のためにその身を深海に光らせていた。静かなはずの海底に、喧しいくらいに生き物の声が涌いて出ていた。それはまさにこの場に生まれ、育まれたものたちの歓喜の波であった。この地の餌を食んだのであれば、それはつまり、このものたちと同族であるに違いなかった。


 確かに餌は与えられた!誰に?ラブドールに!

 確かに餌は与えられた!どこからか?ショクモツレンサから!

 確かに餌は与えられた!何ゆえに?女王の子供であるがゆえに! 


 そして哀れなソコダラは、深海の不気味な熱狂にてられ、目をむいて、訳も分からずに目の前の塊を讃えた。


「万歳!万歳!女王!万歳!」


 次の瞬間、ソコダラは、頭上から現れた大きな影に丸のみにされて消えた。あとには舞い上がった泥が漂うだけであった。


 影の正体は成体のフクロウナギであった。このものは、食事を終え、はずした顎を元に戻すと、未練の一つもなく狩場を離れた。餌が多いことはいいことだ。泳ぎつつプランクトンを食み、たまにしっかりしたものが食べたくなればここに戻ってこよう。覚えていれば。次の機会までにこの地があれば。長い尾をくねらせてそう思うのだった。


「万歳!万歳!」


 ソコダラのことなどお構いなしに、後に残ったものたちは女王を讃え続けた。

 まるで自分たちが最初から言葉を持っていたかのように。


 女王は海底に響くその声にうっとりとして、また、自分に関心を示さなかったフクロウナギを不敬であると憤りつつ、一つの塊として水中に漂うのだった。

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