第4話 永久
おれたちは家の中に隠れていた。恐怖が体中を蝕んで、かたかたと震えてしまっていた。とにかく全てに怯えていた。
「怖かったろう、大丈夫か」
狐霧が優しく声をかけてくれる。いつもの彼と変わらない、あたたかい声だった。
「怖い、嫌だよ、狐霧。また離れ離れになんてなりたくない」
怖かった。また彼と会えなくなってしまうことが。
「我はここに居るぞ」
ぎゅっと抱きしめてくれたそのあたたかさに、涙が溢れて止まらなかった。
「そういえば、さっきの話の続きだが」
何分か立ってから、唐突に狐霧がそう言った。
「さっきの話?」
「結婚の条件について、だ」
「あ……」
どたばたしてすっかり抜け落ちていたが、結婚の話になっていたのだった。
「実はな」
狐霧がいつになく真剣な表情をして、こちらを見ていた。
「神の伴侶となる人間――我々は花嫁と呼んでいるが、その花嫁の、心臓を喰らわなければならないのだ」
「心臓を……喰らう?」
心臓を食べてしまう、ということなのであろうが、それでは死んでしまうではないか。
「大丈夫だ、死んだりはしない」
実際に声に出てしまっていたのか、それとも表情がそう物語っていたからだろうか、狐霧はおれの疑問に答えてくれた。
「じゃあ、どうするの」
「まあ実際には一度死ぬことになるのだが……つまりは、お前の、人間としての器が死ぬ。肉体が時を止める――といった方が分かりやすいか?」
他の者からすれば、この世界にそんな芸当ができる者がいる、とは信じがたい事なのだろうが、そもそも神様に姿が有ることがおれにとって最大の驚きだったために、その事実を直ぐに飲み込んでしまえた。
「じゃあ、おれの心臓が、狐霧の中で生き続けるってこと?」
「そういうことだ。よく分かったな」
偉い偉い、と狐霧はおれの頭を撫でてくれた。こんな状況なのに、顔が綻んでしまう。
「言ってしまえば、儀式みたいなものだ。花嫁の心臓を抉り取って、それを喰らう。そうすることで、花嫁と我々の体に血の繋がりが生まれて、そして伴侶となる――ということらしい。特段、痛みはないそうだよ」
「そうなんだ……」
少しだけ怖かったが、狐霧が言うのなら間違いではないのだろう。しかし、そんな重要な役目を、おれなんかが負ってしまって良いのだろうか。ただのお飾りになってしまうのではないか。だんだん不安が募っていく。
「それで、だ。吹雪」
どのくらい考え込んでしまっていたのかはわからないが、狐霧の言葉ではっと現実に引き戻される。
「お前は、我の伴侶に、成ってくれるだろうか」
静かに、けれど真っ直ぐに、狐霧が問う。確かに、恐怖も不安もあった。だけど、狐霧のことを、信じたかった。あの日、おれを救ってくれた狐霧に、なにか恩返しをしたかった。花嫁になることが、狐霧にとって嬉しいことなのだとしたら、おれはそれに応えたい。
外では雪が更に強くなってきたのだろう、強い風の音がした。彼に名前をもらった夜も、こんな吹雪の夜だった、と懐かしくなる。そんな日に、彼にこの身を全て捧げることになろうとは、想像もしていなかった。
そして、彼にこう告げる。
「いいよ、狐霧。おれ、狐霧の花嫁になる。おれの心臓を、あげる」
「そうか」
では改めて、と言いながら、おれの前に膝をつく。
「吹雪。我の花嫁に、なってくれ。お前の心臓を、我にくれ。永久に、我と生きよう」
微笑みながら、狐霧は手をこちらに差し出してきた。おれは、その手を取る。
「勿論、喜んで!」
ぼろぼろと泣いてしまって、目の前が霞んでいた。しかし、その中で狐霧の顔だけははっきりと見えた。それを、おれは彼と出会ってから初めて見た。美しい涙が、彼の頬に伝っている瞬間だった。
「ありがとう」
今までで一番強く、狐霧はおれを抱きしめた。負けじと彼を抱き返して、二人で抱擁していた。
しかしそうしたのも束の間、雪を踏みしめる足音と怒号が、こちらに迫ってきていた。
「どうしよう、狐霧、見つかっちゃう」
「大丈夫だ。お前のことは、我が守る」
その言葉に安堵を覚え、ほっと息をつく。しかし、どうやってここから逃げ出すのだろう。
「今すぐに、お前の心臓を食っても良いか」
「え?」
思ってもない申し出だった。
「なにか他にやらなければならないこととか、あるんじゃないの?それに、こんなところでもできるの?」
「ああ、他の準備は全て済ませてきた。あとは、お前の心臓を喰らうだけ。場所は、特に決まったところはないからな」
「そうなんだ」
「お前の心臓を食べたら、お前はすぐに意識を失う。心臓がないから当然だが、夕の体は死んだ状態になる」
まさか狐霧に夕と呼ばれるとは思っていなかった。不意を突かれた様で、とっさに反応することが出来なかった。
「そして、お前は我の花嫁の、吹雪になる」
その言葉で、また涙が溢れてきた。ちゃんと、おれは彼の中で吹雪だったんだ。良かった、と心のなかで思った。
「でも、おれが意識を失ったら、おれを連れて逃げなきゃいけないんじゃないの?邪魔になっちゃう」
「大丈夫だ。そっちの方が都合がいいんだよ」
都合、とはなんだろうか。よく分からなかったが、そっちの方が逃げやすいのだろう。
「分かった、今、あげる」
話に夢中で気づかなかったが、さっきよりも更に、村人たちが近づいて来ている。
「あ、あいつの家に逃げ込んだんじゃあないか!?扉が少し開いている!」
村人に気づかれてしまった。
「ど、どうしよう、狐霧」
「落ち着け。我を誰だと思っている。お前に傷一つ付けさせやしないさ」
何があっても守ってやる、約束だ、と軽く小指を絡めた。
「ところで、右でいいんだよな?昔お前が教えてくれた」
「うん。右でいいよ」
「分かった」
そして、その時が来た。
がらっと、玄関の扉が開く。
「いたぞ!」
「夕、こちらに来るんだ、そんな化け物のところに居たら危ないぞ!」
村人たちは口々にそんなことを叫んだようだったが、俺の耳には届かなかった。
「失礼する、吹雪。我を選んでくれて、ありがとう」
狐霧は、おれの右胸に爪を付きたて――そして、俺の心臓を引きずり出した。その瞬間、体がぐらりと揺れた。頭が床に付く寸前、狐霧が抱きかかえてくれた。
「なっ……」
村人たちは絶句している様だった。
おれの霞んでいく視界の中で、狐霧は静かに、おれの心臓を飲み込んだ。そしておれの右頬に一つ口付けを落とす。
「愛している。少しの間、休んでいてくれ」
「おれも、狐霧のことを、愛してる。ずっと、側に居てね」
そして、おれの意識は闇の中に落ちていった。
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