第3話 邂逅

はっと、目が醒めた。誰かに呼ばれたような気がして。どの位眠ってしまっていたのかは分からないが、まだ外は暗く、吹雪は止まずじまいだった。凍えるような寒さの中に、ふと、炎などではないあたたかさを感じた。その時、視界の奥に、白銀が揺れた。

「狐霧」

おれが見間違える筈なんかない。あれは、あの背中は、あの美しい白銀の長髪は、間違いなく__。


「久しぶりであるのう、


神様に見えた。実際には本物の神様であるのだが。救われたと思った。着物の裾をきゅっと掴む。その手に雫が落ちるまで、自分の目から涙が溢れていることに気付けなかった。

「狐霧、ほんとに……狐霧なの」

「そうだ。本物の、我よ」

足が震え、上手く立てない。逢いたくて逢いたくて、堪らなかった相手。なんとか己を奮い立たせて立ち上がり、覚束ない足取りで狐霧の元へと向かう。そのまま、胸に飛び込んで、泣いた。このささやかな人生で、一番。狐霧は何も言わずに、ただただ抱き締めてくれていた。その静寂が、心地よかった。


「会いたかった、大好き」

暫く泣いてから、初めて伝えたのはそれだった。

「我もだ、吹雪」

そう言われて安心したのか、突然がくん、と膝から崩れ落ちた。

「ご、めん……力、抜けちゃったみたい」

「よいよい。それよりも、よく耐えてきたのう、吹雪。辛いときに、側に居てやれなくて申し訳なかった」

「なんで、会いに来てくれなくなったの」

「準備をしていてな、色々と」

準備、とは。何かの儀式であろうか、それとも生活の変化?何にしろ、およそ見当がつかない。

「何の準備?」

純粋に気になったから、聞いた、それだけ。しかし狐霧は衝撃の言葉を言い放った。


「お前との、結婚の準備だ」


「……え?」

脳が追いつくわけがなかった。言っている意味がわからない。そんなおれのことを察したのか、狐霧が続ける。

「人ならざる、所謂お前たち人間の言う“神”という存在は、人間を伴侶として迎え入れる事ができる。神同士で結婚するよりも、ずっと強い力になる。言ってしまえば権力だな」

「でも、おれ、男……」

「人間とは違って、性別や年齢は関係なく、気に入った人間を伴侶として選べる。但し、一つだけ条件があって、人間は……」

と、狐霧がそこまで言いかけたとき、大きな怒号が聞こえた。


「おい、蔵の扉が開いてるぞ!かんぬきが抜けている」

それからすぐにばたばたと大人数の足音が聞こえてきた。

「狐霧、扉開けたの」

「うむ。開けたぞ。お前に会うために」

しょうがないだろう、と笑った。だけど、もし彼らに狐霧が見られてしまったら、どうするつもりだったのだろうか。それよりも、今はこの状況をなんとかしないといけない。

「どこかに隠れよう、急いで」

「うーむ……それは、無駄かもしれんの」

「え……?」

気づいたら、足音はすぐそこまで来ていた。

「居たぞ……!?お前は、誰だ!」

「耳があるぞ、それに尾も!およそ人間ではない!迂闊に近づくな!」

「夕、お前が入れたんだな、何をしようとしていたんだ、そんな化け物と」

朝にこの蔵に連れてきた男だった。こちらの話を聞こうともせず、挙句の果てには狐霧のことを化け物だと罵った。おれの怒りが爆発するには、十分な量の油だった。

「吹雪、失礼」

その時、ふと狐霧が小さな声で呟く。何が、と聞く間もなく、ひょいとおれのことを抱き上げた。

「ちと揺れるぞ、舌を噛まないように」

困惑するおれの体は狐霧の長い腕の中にすっぽりと収まっていた。そこには、先程と変わらぬあたたかさがあって、おれを優しく包んでいた。

「わっ、狐霧、何」

「場所を変えるだけであるよ。我にしっかりと掴まっていてくれ」


そうして、こちらを窺う村人たちを尻目に、一目散と走り出す。

「待て!」

「逃げるぞ。追え!」

などと焦りや怒りと言った様々な声が聞こえてくるが、狐霧は一向に振り返る様子はない。そればかりか、蔵からどんどん遠ざかっていく。村人たちは追いつけない。狐霧は足が速かった。これも、神様だからなのだろうか。

「どこか隠れられる所はないか」

狐霧がおれに問う。その目は、いつもおれに向けてくれるようなあたたかい目ではなく、ぎらぎらと光っていた。本物の、獣のように。こんな狐霧を見るのは初めてだった。少しだけ、ほんの少しだけ、彼のことが怖かった。

「俺の家なら、多分。蔵から一番遠いから」

「分かった」

そして、狐霧は更に加速して、おれの家へと疾走した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る