第2話 孤独

光を感じて、薄っすらと目を開ける。遠くでは、かすかに何かの音が鳴っていた。今となっては遠い昔の、夢だった。いつから彼に会えていないのだろうか。もう、彼はおれの前には現れてはくれないのだろうか。

「……う、お……、ゆう、おい、ゆう!聞こえているのか。起きろ、もう時間だ、早く支度をしろ!」

村人の男が、家の戸を大きな音を鳴らして叩いていた。先程から聞こえていた音は、これだったのだろう。相当怒っている様で、それもその筈、いつもの起床時刻よりも外が明るい。起きてこないおれを起こしに来たのだろう。慌てて布団を剥ぎ取り、立ち上がった。少し肌寒い。いつの間にか、涙は乾いていた。

「すみません、すぐ行きます」

「早くしろ、お前は仕事をするしか能がないんだから」

息をするように悪態をついて去っていく。


急いで服を着替え、少しだけ朝食を摂り、外へ出る。

「随分と遅かったなあ、夕」

「すみません、起きられなくて」

本音を言えば、ずっとあの夢の中に居たかった。

「明日からはさっさと起きろよ、しっかり反省しろ」

「気をつけます」

その後も、村人の長ったらしい悪態は続いた。そして、いつもは朝に必ず確認する畑を通り過ぎた。

「畑、今日はいいんですか」

「ん?ああ、お前の分はやっておいた。それよりもやってほしいことがあってだな」

そう言いながら、普段は通らない道を歩いていく。この先には、使われていない蔵があった筈だ。普段はほとんど立入禁止とされている筈だが、そこに用があるのだろうか。


「ここだ」

蔵は大きく、見上げるほどの大きさであった。村に伝わる書物などが保管されている場所らしいが、おれは見たこともない。

「ここで、何をするんですか」

「所要で今度この蔵を使うんだ、だからお前に整理を頼もうと思ってな」

「この場所を、一人で、ですか」

「そうだ」

この村の人間が全員入っても余裕がある様な蔵を、一人で?無茶が過ぎるだろう。

「まあ二・三日もあれば終わるだろう。よろしくな。普段の仕事は、俺らでやっておくから」

ここで反論しても自分の分が悪くなるだけなので、大人しく従うことにした。蔵の中に入ると、よほど使われていなかったのだろう、綿埃にまみれた書物や道具が、半ば散乱するような形でおれを出迎えた。果たして数日で終わるのだろうか。

「掃除用具はここに置いておくからな、さっさと終わらせろよ、期限が迫っているからな」

そう言い残して踵を返して出ていく。


改めて蔵の中を振り返ってみる。殺伐とした不気味な雰囲気が漂っていた。奥には何があるのかも分からないほどであった。さてどこから、と思った矢先、『ぎいい、がちゃん』というなんとも不穏な音がした。バッと振り返ると蔵の扉が閉まっていた。窓があるので真っ暗ではないが、扉を開いていないとなんとも暗く、風邪の通りも悪いので、扉を開けることにした。が、引いても押してもびくともしない。

「まさか、鍵がかかっているのか?」

おそらく出ていった後に閉めたのだろう、つまりおれはこの蔵の中に閉じ込められてしまった訳だ。

「逃げ出さないように……か。まあ、夜になったら開けてくれるだろう」

うだうだしていても無駄な時間を過ごすだけで何も変わりはしない。そうして、おれは掃除用具を手に取った。


もうすっかり冬なので、窓から光が差す昼下がりでも寒さを感じた。蔵の中はひんやりと冷たく、廃墟のような異様さがあった。埃を払って、床や棚を拭いていく。棚には、色褪せた書物が沢山あった。村の伝統から、畑の作り方まで、様々な種類の書物を見た。

「これは……」

その中に、神にまつわるものがあり、少し気になって開いてみると、何故神様を祀っているのかや村の外れの祠のことなど、彼にまつわることが沢山書かれていた。

「いつかまた、会えるかな」

それを見てまた少し寂しくなった。


陽がすっかり落ちて、外が暗くなってきても、蔵の扉は開かなかった。どれだけ引っ張っても叩いても叫んでも。流石に寒くなってきて、手がかじかんできた。畑仕事をするものだとばかり思っていたから、そこまで厚手のものを着て来ていない。ふと窓に目を向けると、雪が降っていた。

「雪、か……」

雪を見ると、どうしてもあの夜を思い出してしまう。少しの間ぼうっとしていたら、雪はだんだん強くなってきて、いよいよ吹雪になってしまった。それも、本当に稀に見る位の。それに伴って寒さも増してきて、脳味噌が働かなくなってきた。思考回路が今にも切れてしまいそうだ。一日中何も摂らずに動いてきた体には、この寒さは少々堪える。

「吹雪の夜だ」

気づいたら、そう呟いていた。なんだか急に眠くなってきて、その場に膝をついて、倒れ込む。目の前が黒に塗りつぶされていく。その端で、美しい銀色を、捉えた気がした。

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