第26話

 壱が入院している病院への移動中、実家の母に今日泊まる事を連絡したら、両親とも曾祖父の家にいるとの事で、勝手にどうぞと言われた。


 実家の近くに曾祖父が95歳で一人暮らしだった。何かあったのか心配になったが、明日ゆっくり聞こうと思い、勝手にしますと返信した。

 まずは壱の事で頭の中が一杯だった。


 病院に着くと、まだ21時前なので面会の人とか入院患者さんとか、けっこう人がいたので心強くなった。

 シンとした薄暗い院内を想像していたが昼間の病院と変わらないくらい明るい。

 お見舞いを持ってきていないので病院の売店でキーホルダーを買った。


 エレベーターに乗りドキドキしながら5階で降りた。

 入院先の4人部屋を覗くと入り口近くのベッドで、壱が目を閉じていたのが見えた。


 2つベッドは空いていた。壱の斜め前の人のベッドは仕切りカーテンで覆われていた。室内灯だけではない枕元のデスクライトの灯りが漏れいるので本でも読んでいるのだろう。


 壱の顔色をじっと観察した。だいぶ顔色が悪いし痩せていた。寝ているのかどうかわからないので、そっと枕元に近づいて立った。


 寝ていなかったようだ。人の気配で壱の瞼が開いた。

「……、ウゥ、成」

 喜んだような驚いたような複雑な顔をした。


「やあ、気分はどう?」

 僕は微笑みながら小さな声で、壱に言った。ここに来るまでの心配を全く出さないよう気をつけた。


「普通だ。和井さんが教えたのか」


「僕が壱の事を、和井さんにきいたんだ」


「俺の事を聞いた?用事?直接、俺に聞けばいいだろ」


「正直に答えないだろう。二週間くらい前に壱のゆチューブ見たら、別人に見えたから心配になった」


「へぇ、なんで見る気になったんだ。なんか嬉しいなぁ」

 珍しく優しい発言だったが、本当の事を言った。


「早先生の指摘だったんだ、半年前とちょっと違うけど最近は大丈夫だろうかと聞かれてね」

 圭さんの事は話がややっこしくなる為省略した。


「そうか、…」

 壱は、言いながら瞼を閉じた。


「これ、お見舞い」

 話題を変えて、先程買ったキーホルダーをベッド脇のテーブルの上に置いた。


 壱は瞼を開いて起き上がって、テーブルに置かれたキーホルダーを手に取って苦笑いした。


「A病院は全国から患者が来るから、A病院って名称入った物を売ってんだ」

壱が、感心したように言った。


「お菓子とか、ボールペンとかタオル他にも色々にA病院って入ったのがあったよ」


「ありがとうな、大事にするよ。少しその辺を歩くか」

と言ってキーホルダーを置いて立ち上がり、スリッパを履いた。


 廊下に出て、ここは5階だから階段で1階まで降りようと壱が言ったので、


「体調、体力は大丈夫か」

と、僕が聞くと、


「医者が一緒だから大丈夫だ」

と、返ってきた。


 歩きながら、

「もう少しで退院だ」

 前を歩きながら壱が言った。


「退院後は仕事どうするの?暫く休むの?」


「そういう訳にはいかないが、ピアノは体力を使うからな…」


「和井さんの所に帰るの?」


「仕事部屋の事か?そうなる今まで通りだ」


「アパートは引き払ったの」


「ああ、成の物、何もないなら戻ってこないんだろう、全部売ったよ。業者に任せた。全部売って5千円だ、処分するにしても金がかかるから、まあ良かったよ」


「ありがとう、煩わせた」


「寂しい」

 壱が、一言、聞こえないような声で言ったが、階段の密閉空間では小さな声も反響したので聞こえた。


「僕も心の半分がどこかに置き忘れたようにスカスカだ」


「…、いいい返事の意味か?」


「わからない。けど、何かを変えなければ前には進めない」

 僕が真剣に言うと、


「俺の我儘だってわかっている。離れて半年以上経っても、四六時中、俺の頭の中は成だけだ、成が来てくれる前も考えていた」


「この入院も僕のせい?」


「成には関係ない。俺の不摂生だ」

 

「本当にそうなの?言葉のまま受け止めるよ、それでも良い?」


「成は、早先生が好きなのか?それとも他に好きな奴いるのか?」

壱は、話題を変えた。


「僕も和井さんに同じ事を聞いた。壱と和井さんは付き合っているのかって」


「和井さん、何と答えた?」


「付き合っているって、いつも一緒に寝てるって」

僕は、半分の嘘を壱に言った。


「そうか…」


「壱は優しいね」


「何がだ。成の事を思っていると言って、他の男と寝てるんだ。最低だな」


「いつからなの」


「忘れた。二股のつもりじゃない、和井さんにも、心はないと言ったつもりだが勘違いさせたようだ」


「ふぅーん、そうか。

 早先生の事は尊敬している、それだけ、好きな人もいない」

 僕は淡々と答えた。


「ずっと岐阜にいるつもりか?」


「これから先の事はわからないけど、暫くはこのまま働くつもり」


「そうか」


「壱の顔、見れて良かった。… もう会う事もあまりないと思う。

 元気になって仕事は頑張って、…応援しているよ、機会があったらコンサート聴きに行くから」


「成、俺が悪いのか?和井さんの事ずっと気づいていたのか?」


「もう、その話は良いよ。幸せにね」

僕の言い方は皮肉だろうか、自分では本心のつもりだ。

 和井さんには幸せになってもらいたい。僕が独り占めしていたと思ってたよな、違うから。


「成、お前がいないと俺ダメなんだ。和井さんには悪いことした」


「ありがとう、って返事であっているのかな、僕は壱には感謝している、次は人生のオプションを選んだ僕を期待して、頑張るから」


「オプションを選ばなければならないくらい俺から離れてたいのか」

 ボソボソと小さい声で壱が嘆いた。


「運命だよ」


「違う」


「じゃあ、何?」


「俺が成に甘え過ぎた。和井さんの俺への好意に自惚れていた、上手く行っていると思っていた」


「それも運命だよ」


「俺から成が離れて行くのが運命なのか?

違う俺の全てが浮かれていた。努力が足りない。誠実さの欠片もない」


「…僕はまず僕を進める。まだ仕事は半人前だから、一人で出来るようになりたい」


「目標があるって楽しいよな。羨ましいよ」


「壱はプロだよ、沢山稼いでるだろう。凄いよ」


「たぶん、人生、金じゃない、金のかわりに心がなくなる」


「お金で買えないものは、人の命を奪うし、心も無くす…生きづらいね」


「最近やっとわかりかけた」


「壱はやっぱり成功者だよ、まだ20代で人生悟って、これから楽しみだよ」


「茶化さなくていい」


「もう1階につく、僕そろそろ帰るね、

 壱、色々ありがとう」

 僕は隣を歩いている壱を見て言った。


 壱が泣いている。声を出さずにぼろぼろ涙を出して前を見て歩いていた。


 病院の玄関口までお互い無言だった。


 壱は涙を袖口で拭って、僕を見て

「来年の1月1日朝10時、有楽町駅で会ってくれ。お願いだ」


 毎年、1月1日は、銀座をぶらぶら2人で散歩していた。

 中学一年生の時、銀座に興味を持ち人通りの少ない1月1日に隅から隅まで2人で探検して遊んでいた。それから毎年の恒例になっていた。


「ああ、楽しみだ。壱、僕達はずっと友達だ、

10時ね、壱こそ忘れるなよ」


「今日は最高に、…良い日だった、成、ありがとう」

また、壱の瞳から溢れる。


 僕なりの最高の笑顔で、両手を広げて壱を一瞬抱きしめて病院を後にした。

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