第3話 一人ではない
「ただいま帰りました」
「おかえりって、その顔一体どうしたの!?」
そう言うと、帰宅してそうそう店番をしていたマイさんは、慌てたように二階へと向かってしまった。
「あっ! マイさん! 気にしないでください!」
「なに言ってんのよ! 気にするしないの問題じゃないわよ!!」
えっ?
そんなに今の俺の顔って、ヤバイのか?
「カスタード。あんなに慌てる程、俺の顔は、腫れているのか?」
「腫れている所もあるミケ。まぁ、ほとんど青くなっているけれどな。ミケケ!」
いや、笑うなや。
確かに、終始あり得ないくらい殴られたりしたけれども。
まさかーーそれ程とは、思いもしなかった。
帰宅する最中、自分の顔を確かめる余裕なんて、なかったからな。
いけない。次からは、気をつけないと。
「ほら! 遠藤くん、こっちにきなさい」
「いや、本当に平気ですよ。これくらい」
「平気な怪我じゃないわよ! 黙ってくる!!」
うっ。
早速救急セットと思われる物を持ってきたマイさんに、強めにそう言われてしまうと、渋々と指示に従ってしまう。
頭では、拒否しているのに、身体が勝手に動くとは、これ如何に?
やはり、他人とはいえ、母親の言葉だからか?
などと考えつつ、マイさんの近くに座ると、ちょうどサクラちゃんも帰ってきたらしく、またもマイさんが驚いたような声をあげる。
「サクラ!? 何処で遊んできたのよ!! 泥だらけじゃない!!」
「あははっ。ただいま、お母ーー」
「とっ、とりあえずお風呂入りなさい! もしかして、あんたも怪我しているんじゃないでしょうね!?」
と、慌てた様子でサクラちゃんに駆け寄るマイさんと違い、一度不思議そうに小首を傾げたサクラちゃんは、やっと俺のことに気がついたのか、マイさんの事を押し退けつつ、俺の近くへと駆け寄ってくる。
て、こらこら。お母さんを大切にしなさい。
「遠藤さん!? どどどっ、どうしたんですか!? そのお顔!!」
「ちょっと、コラ! サクラ!」
「まっ、まぁ。ちょっとね」
「ちょっとの怪我じゃないですよ!! もぉー! カスタード!」
「ミケ!?」
あっ。カスタードのせいだと勘違いしているな?
後で、きちんと説明しないと。
「いくらなんでも、やりすぎです!」
「あっ、サクラちゃん。実は、これはカスタードのせいじゃなくて」
「サクラ!! 他人に注意できる立場じゃないでしょう!! 遠藤くんも、そこから動かない!!」
「「ひっ!?」」
こっ、こわ!?
マイさんってーー怒ると、こんなに怖かったのか?
その後、二人してマイさんから怪我の手当てをしてもらった俺達は、とりあえず何があったのかを、情報共有しておいた。
俺は、井上さんからの訓練が増えたことと、カスタードの修業が続いていることを。
そして、サクラちゃんの方はーー。
「私達は、とりあえず模擬戦闘を一時間ほどして、その後は、山登りをしました」
「……山登り?」
模擬戦闘は、何となくわかるがーー何故に山登り?
「はい。ホイップ曰く、足腰と体力を鍛えるのに、向いているみたいです」
「いや。でも、学校帰りだよね? 山登りと模擬戦闘をしていたら、時間が足りないんじゃないのかい?」
どう考えても、時間的に無理だと思うのだが?
と、不思議に思った俺がきけば、真剣に頷くサクラちゃん。
「はい。私もそう思って、ホイップに言ったんです。そうしたらーーね。カスタード」
「アース様の力ミケ。さすがに、何時間もというのは、難しいがーー一時間を三十分に縮めるくらいは、できるミケ!」
……えっ?
どういうこと?
「それって、時間を操作しているってことか?」
「元々楽園境と、此方の世界では、時間の流れが違うミケ。というより、時間などというのは、人間がつくった概念ミケ。それを速めることや遅らせることなど、簡単ミケ」
いや、簡単ってーー。
うん?
待てよ……。
「おい! それなら、俺にもそれをしてくれよ! そうすれば、わざわざ一日嫌な気分にならなくても済むだろうが!」
「何を言っているミケ! アース様は、弱っているんだぞ!? サクラ達の訓練だけでも、負担が大きいというのにーー六道にもそれをしたら、回復することなど、できないミケ!!」
甘えるな!
と言いつつ、俺の顔へと引っ掻いてくるカスタード。
いっで~!!
「この、くそ野郎!! 怪我した顔に、追い討ちかけてんじゃねぇよ!! 口で言えよ口で!!」
「お前の訓練など、本来なら一日でマスターしていてもおかしくない内容ミケ!! それを、何日かけてやっていると思っているミケ!! 甘えたことを言うな!!」
「ちょっ、二人とも落ち着いてくださーー」
「はぁ!? 一日でできる!? お前、本当に時代錯誤してんなジジイ! 現代人のーーしかも平和な世界に生きている普通の人間が、あんなうつ状態に毎日晒されてみろ!! 何もかもやる気がなくなるに決まっているだろうが!!」
「ジジイ!? そういえば、朝もそんなことを言っていたなミケ! 何が時代錯誤ミケ! お前が特別貧弱なだけだミケ!! 少しは、サクラを見習えミケ! こんな小さな身体で、多くの危険を乗り越えているんだぞ? なのにお前は、レディ・マダムに打たれただけで、縮こまってーー恥ずかしいと思わないのかミケ!!」
「カスタード!!」
と、さすがに俺らが興奮しすぎだと思ったのかーーサクラちゃんが止めに入ってくれるが、もう遅い。
こっ!
こいつーー俺が気にしていることを!!
お互いヒートアップしてしまったからか、普段なら聞き流せるはずだったその言葉が、俺の心に深く突き刺さる。
「あぁーーそうだよ。あんな攻撃だけで、動けなくなるほど俺は弱い奴だ! そんなこと、お前みたいな猫に言われなくたって、わかっているっての!」
そんなこと、俺が一番わかっている!
マンガやアニメなら、俺のように異世界転移した主人公ってのは、大概強いってのが常識だ。
強い奴にだって、立ち向かう程の力がある。
でも。現実は、どうだ?
重力操作というそれなりの力を持っては、いてもーー俺の身体は、特別頑丈じゃない。
ホシガリーの拳にあたるだけで、簡単に骨は折れるだろうし、ワルビーのダークブロウを頭にくらえば、何もできずに死ぬーー。
それほど、この世界ではーー人間の身体というのは、脆いのだ。
人を殴ったこともなければ、殴られたこともない俺が、どうやって激しい痛みに耐えろというのだ。
「遠藤さん……」
「……お前に言われなくたって、俺なりに頑張っている……」
サクラちゃんが、驚いたように俺を見上げてくる。
……くそ。
一体、何をやってんだ。
少し……冷静になった方がいいな。
「ごめん。ちょっと、頭を冷やしてくるよ」
「あっ……遠藤さん」
と、サクラちゃんが声をかけてくれるが、それに答えることをせず、扉を閉める。
本当……何をしてんだよ俺。
年下のーー子どもの前で、みっともない……。
次の日ーー。
あれから、一時間程外を歩いて帰った俺に、カスタードは、特に何も言わなかった。
サクラちゃんも、チラチラと何か言いたげな雰囲気を出していたがーーとてもではないが、此方から声をかける気にはなれず、そのまま寝てしまった。
だからか、この日は、カスタードも近くにおらず、久しぶりの清々しい朝をむかえることができた。
ーーいや。昨日のことがあって、清々しくはない……な。
土曜日という用務員が休みの日であっても、サクラサクは、通常営業をしている。
その為、今日は、店番をしないといけない。
などと、朝早く目覚めた俺が、開店準備をしているとーー。
「あっ。おはようございます」
という、透き通るような声がきこえてくる。
この声ーー。
俺の記憶が間違いでなければ、海原病院で、一度聞いた声だ。
「アイリスさんーーこんな朝早く、どうしたんですか?」
というより、何故ここに?
という俺の疑問に答えるかのように、今日は、髪の毛をポニーテールへと結わいていたアイリスさんが、微笑みつつ答えてくれる。
「実は、これから部活動なんです」
「そうなんですか。朝から、大変ですね」
不幸な事故に遭ったことで、一度は、サッカーというスポーツを諦めていたアイリスさんだったけどーー。
もう一度、きちんと立ち上がったんだな。
「いえ。遠藤さんのように二つもお仕事をしている訳では、ありませんから。そこまで、大変ではないですよ」
「あははっーーあれ? 俺、この店で働いているってこと、教えたことありましたっけ?」
いや、ないよな?
というより、球技大会以来アイリスさんとは、一度も会っていないし……。
と、俺が疑問に思いつつきくと、嬉しそうに「実はーー」と、説明してくれるアイリスさん。
「イルマが、教えてくれたんです。最近のあの子ったら、すぐに遠藤さんのことや、サクラちゃんのことを話したがってーーそれも、今までにないくらい、嬉しそうに」
「イルマちゃんが? そうだったんですか」
アイリスさんの表情から察するに、イルマちゃんが嬉しそうに話をしているというのは、本当の事なのだろう。
こういう話を身近な人から聞くとーーサクラちゃんと引き合わせた事は、間違いではなかったと、確信が持てるな。
と、アイリスさんの話を聞きつつ思っていたのだがーー同時に、申し訳なさが沸き上がってくる。
イルマちゃんが、ミルキーマリンとして戦っていることを、アイリスさんは知らない。
ただでさえ危険なことをしているというのに、そんな彼女は、今や本来なら守るべき人達とも、争うことになってしまっている。
そして……それをさせてしまったのは、俺の判断ミスが原因の一つでもある。
そう思うと、心が締めつけられそうだ。
それに加えて、二人の力にすら及ばない俺は、足手まといもいいところ……。
「遠藤さん?」
「何ですか?」
つい、アイリスさんが近くにいるというのに、落ちこみそうになっていた俺が、何とか笑顔で答えるとーー。
首を傾げたまま、数秒俺を見ていたアイリスさんは、急に微笑むと、俺の手をいきなり掴んでくる。
「遠藤さん、この後お暇ですか?」
「へっ? いや、これから店番があるので」
「ついてきてくださいます? ぜひ、見てほしいモノがあるんです」
店番があると言ったのに、強制的に連行された俺は、今現在、とある高校の客席へと座っている。
どうやら、アイリスさんの通っている高校らしいのだがーー正直、居心地は、あまり良くない。
というのも、客席に座っているのは、俺一人であり、目立ってしまっているのだ。
しかも、一番居心地が悪い理由はーー。
「ねぇ。あの男の人、誰?」
「あー。あの人? なんか、大海原さんが連れてきたらしいよ。彼氏じゃない?」
「マジ!? 大学生? それとも社会人!? てか、連れてくるのってありなの!?」
「知らないわよ。でも、さすがは、元強化選手って感じ? 恋人も、同学年では、満足できないってことじゃない?」
ーーあれである。
きっと、アイリスさんと同じチームメンバーなのだろうが、俺のせいで、彼女にまで変な飛び火をしてしまっている。
誤解を解こうにも、既に広まりつつあるし……どうしたものか。
などと、本気で頭を抱えていると、ユニホームへと着替えてきたらしいアイリスさんが、何やら小さく手を振りながら、近づいてくる。
「すいません。強引に連れてきてしまって」
「あっ、うん。それは、全然良いけどーーその、ごめんね? なんか、変な噂が広まっちゃって」
本当に、ごめんなさい。
せっかくの、高校生活という青春を、俺みたいな
「ふふっ。そちらは、後でどうとでもなりますから、気にしないでください。それよりもーー私の事を、よく見ていてください」
「へっ?」
よく見る?
と、不思議なことを言い残したアイリスさんは、すぐにサッカーコートへと戻っていく。
どういうことだ?
と、不思議に思いつつ頭を傾げている間に、練習が始まり、コート上を走り出すアリスさん達。
校庭が大きいせいで、一周回るだけでも大変だと思うが、短距離ダッシュなどもする様子を見ていると、なにもしていない此方まで、息苦しくなってくる。
俺も全然若い方だと思っていたが、高校生って、こんなにエネルギッシュだったけか?
今やれと言われても、絶対に無理だな。
なんてことを思っていると、先程から一人だけ、やけに他の人から離されている人がいる。
……アイリスさんだ。
退院したからといって、今までベット生活をしていた彼女が、この練習量についていけるわけがない。
他の部員が次々ボールを手にする中、彼女だけは、膝に手をつきながらも、短距離ダッシュを続ける。
アイリスさん……。
正直、見ていて辛い。
一体彼女は、何を見ていろといったのだろうか?
監督と思われる人物が、一度アイリスさんへと話しかけたが、何やら首を横に振った彼女は、またも短距離ダッシュを再開する。
彼女の言葉の意味は、わからないがーーそれでも、必死に走るその姿を俺は、とりあえず見続けた。
しばらくしてホイッスルが一度鳴ると、部員達が、各々コートの端へと向かっていく。
どうやら、休憩時間らしい。
「すいません、遠藤さん。わざわざ来ていただいたのに、放置するようなことをして」
と、そう言いつつ首にかけたタオルで、汗を拭きつつアイリスさんが言う。
「そんなことないよ。それよりもーー大丈夫だった? 見ているだけでも、大変そうな練習メニューだったけど」
疲れているだろうに、俺の所へ来てくれたアイリスさんへとそう聞けば、ふわりと微笑んだ彼女はーー。
「どうでしたか? 私の姿」
と、答えにくいことを質問してくる。
どうってーー。
それは、もちろん大変そうだったし、頑張っていると思った。
何よりーー辛そうだった。
などという言葉が出てくるが、どれも彼女に対する言葉としては、違う気がしてしまい、どうしてもすぐに答えられない。
すると、まるでその事がわかっていたかのように、彼女がーー。
「惨め。でしたよね?」
と、自身でそう答える。
なっ!?
「惨めなんて! そんなこと!」
「いいんです。自分自身で、わかっていますから。スポーツは、休めば休むだけ、元に戻すことが難しい……私は、理解していたというのに、起きた悲劇に落ちこみ、勝手に今の状況を作ったんです」
だからこれは、自分自身が招いたことだ。
と、彼女は、真っ直ぐ俺の目を見つつ、告げてくる。
「それでもーーこんな私でもイルマは、憧れだと言ってくれました。国際強化選手を外され、練習にすらまともについていけないこんな私を、憧れだ。と、言ってくれたんです。なら、どんなに惨めでも頑張らないと……私は、イルマのお姉ちゃんですから」
「アイリスさん……」
なんてーー強い人なんだ。
活発なイルマちゃんとは違い、静かな印象のあるアイリスさんだが、その中身は、やっぱり姉妹ーー。
ブレない芯のような物が、しっかりある気がする。
「っ!!」
今の俺には、彼女の強さが眩しすぎる。
仮に、俺が彼女の立場だったら、間違いなくこの場から逃げているだろう。
練習についていけない。
一人だけ、違うことをしている。
みんなの、足を引っ張っている。
「アイリスさんは……強いですね」
「えっ?」
気がつけば、そんな言葉が口から出てしまったが、何故か彼女は、タオルで口元を隠しつつ笑いだす。
「ごめんなさい。まさか、遠藤さんからそんなことを言われるとは、思わなかったので」
「あははっ。いや、本当に強いですよ」
「いいえ。弱いですよ」
と、乾いた笑い声を出しつつ彼女へとそう告げれば、間髪入れずに否定してくるアイリスさん。
「遠藤さん。今こうして私が立っているのは、遠藤さんのおかげでもあるんです。病院で、何もかもやる気を失くしていた私を、イルマと一緒に立ち上がらせてくれた……もし、私が強く見えているのでしたら、それは、遠藤さんが、やはり弱っているからですね」
俺がーー弱っている?
「朝、遠藤さんとお話している時に、気がついたんです。何かーー思い詰めているのではないですか?」
「あっーーえっと」
「無理に答えようとなさらずに。経験がありますからーー私だからこそ、わかったのかもしれません」
そうか……。
朝の段階で、アイリスさんには、見抜かれていたのか。
「ですから、遠藤さん。私のように足掻いてみてください」
「えっ?」
「私も頑張ります。色々と言われたり、部員にも迷惑をかけていますがーーそれでも、イルマの憧れであり続けます。なので、遠藤さんも、諦めないでください」
アイリスさん……。
年下のーーしかも、一度は立ち上がらせる為に手を差し伸べた奴が、酷い姿を見せてしまった。
ーーそうだ。
例え、サクラちゃん達みたいな力がなくたって、助けると決めて、この
それなら、どんなに無様で頼りない姿を見せたとしてもーー最後までやりきるべきだ。
そう決めると、先ほどまで、グルグルと頭の中を回っていた泥のような物が、急に消えてなくなる。
心なしか、視界もクリアになった気さえしてくる。
今なら、何でもできそうだ!!
「アイリスさん!」
「えっ!?」
「ありがとう!! 俺も、頑張ってみるよ!」
彼女に会えて、本当によかった。
でなければきっとーー何もかも捨てて、最悪な選択をしていたかもしれない。
だからこそ、彼女の手を握りつつ、精一杯の感謝を伝えた俺は、すぐさまその場で別れを告げる。
やることは、既に決まっているからだ。
「途中だけど、やることができたから。またね、アイリスさん!」
「あっ! あっ、あの遠藤さん!」
「うん?」
「こっ、今度の週末なのですが、もしよろしかったらお食事でもどうですか!?」
食事?
そうだな。その時に、きちんと感謝を伝えよう。
「もちろん! それじゃ!!」
と、急いで答えた俺は、その場から走り去るのだった。
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