第6話 消えたホイップ



「ホイップ~」



 うん?

 サッカーのホシガリーを倒した、翌朝ーー。


 洗面所で歯磨きをしていると、何やら不安そうな顔をしつつホイップの名前を呼びながら、サクラちゃんがソファーの下を見たり、テレビの裏を見たりしている。

 どうかしたのか?



「サクラちゃん、どうかしたの?」

「あっ、遠藤さん。実は、そのーー昨日の夕方から、ホイップの姿が見えなくて……」



 ホイップの姿が?

 はて……帰り道は、一緒にいたはずだったけどな。



「ふーん。まぁ、腹が減れば帰ってくるでしょう」

「そんな。犬じゃないんですから」

「いや、見た目は犬だよサクラちゃん」



 中身も犬っぽいけどな。

 と思いつつ、朝食ーー今日は俺の当番だった為、簡単に作った目玉焼きとベーコンのトーストだーーを食卓へと並べつつ、席へと座る。



「けれど、こっちに来てそれほど日もたっていませんし……もしかしたら、どこかで迷子になっているのかもしれません」


「いやいや。大丈夫だよサクラちゃん。ほら、カスタードだって、時々どこか行って帰ってくるでしょう? それと一緒だよ。あの二人兄妹なんだから」

「そうでしょうか……」



 と言いつつ、心配そうな顔で朝食の席へと座ったサクラちゃんは、トーストを一口食べると、その顔を一気に明るくする。



「あっ、美味しい! すごいですね、遠藤さん!!」

「えっ? そっ、そうかい? 簡単に作った物だから、そこまで美味しくないと思うけどーー」



 本当、ただ塩コショウをふっただけだし。

 でもーーそこまで喜んで貰えると、素直に嬉しいな。うん。



「そうかミケ? ちょっとしょっぱいし、ベーコンも少し焦げているしーーもっと、カリカリになる前に皿に盛りつけるべきミケ。しかも、皿も小さくて収まっていないミケ」


「あぁ? 文句言うなら食うなよ。だいたいキャットフードじゃなくて、人間と同じご飯要求している時点で、生意気なんだよ。毛玉。蹴りとばすぞ?」


「なに~! 誰が毛玉ミケ! それに、蹴りとばすなどと、この世に存在している動物愛護団体という組織に訴えるぞミケ!!」



 フー! 

 と、全身の毛を逆立てつつ、俺を睨みつけてくるカスタード。


 朝から小姑みたいに、ネチネチ言いやがってーーてか、動物愛護団体なんてどこで覚えたんだよ。いらない知識を入れやがって。



「おうおう。訴えてみろ。人語を話す猫なんて、化け猫と変わらねぇだろう。無視されるのがオチだ」

「化けっ!?」


「それより、ホイップがいないんだとよ。兄貴だろうお前? 探してこいよ」



 と、トーストを食べつつ言ってやると、何やら鼻を鳴らして、そっぽを向くカスタード。



「あいつも、一応アース様の眷属ミケ。いつまでも甘やかす訳には、いかないミケ」

「薄情なお兄さんだこと」

「そんなこと言って、本当は、心配なんじゃないの?」



 と、俺とサクラちゃんが、各々言葉をかけると、もう一度大きく鼻を鳴らしたカスタードは、食事に集中し始めてしまうのだった。








「それでは、いってきます」

「いってきまーす」

「はいよ~。二人とも気をつけてな~」


 いつものように花へと水をあげつつ、マイさんが、にこやかに俺らを見送ってくれる。


 時刻的に良い時間もあってかーー道歩く学生達からは、球技大会の話が絶えずとびかう。


 ーーまぁ。もうすぐやるわけだし、当然と言えば当然か。


 ちなみに、この前の一件で井上さんに注意された為、本日は、少し距離をおいてサクラちゃんと登校している。


 ーーのだが。

 すごい不安げな顔で、何度もこちらを見てくるのは、何とかできないのだろうか?


 何というか……あまりにもかわいそうな気がして、つい声をかけたくなってしまう。


 いや。だがしかし! 

 ここで声をかければ「あっ、やっぱり一緒に歩いても大丈夫なんですね!」という結論になりかねない。



「鬼だ。心を鬼にしろーー俺よ」



 そうだ。

 例えかわいそうな気がしても、ここは、心を鬼にーー。


 と、自分自身に小声で暗示をかけていると、何やらサクラちゃんへと走り寄る女子生徒が一人。



「おっす。香林さん、おはよう」

「ふぇ!? おおっ、おはようございます!!」



 バッ! と、その場で勢いよく頭を下げるサクラちゃんに、近づいてきた女子生徒ーーまさかの大海原イルマちゃんだーーが、困ったように笑みをうかべる。



「あははっ。そんな堅苦しくしないしない! あたし達、同い年でしょう?」

「そそそっ、そうですね!」



 うわぁ。完全に、カチカチになっているよ。

 あれでは、ロボットと大差ないぞ。


 右足と右手を、何故か同時に出しているし……。



「そっ、それより香林さん。顔は、平気?」

「顔……ですか? えっとーーあぁ! ボールの件ですね? はい。全然大丈夫です!」


「そっか。それなら、よかった。それでさ、ちょっと相談があるんだけどーー」



 と、サクラちゃんへと言いつつ、何やら一度俺の方を見たイルマちゃんは、慌てたようにサクラちゃんの肩を一度叩く。



「ごめん! やっぱ、後で話すわ! それじゃ、また教室でね!」



 えっ!? なに今の!?

 俺か? 

 俺がいたせいで、話を切り上げたのか!?


 おいおい。だとしたら、何をしているんだよ俺!!


 俺が原因なのは、視線で何となくわかった為

、慌ててどこかに隠れようとしたが、それより早く先に行ってしまうイルマちゃん。


 最悪だ……。

 せっかくの、サクラちゃんのチャンスを、俺が潰してしまった……。



「あら。おはよう遠藤くーーどうしたの? 朝から、すごいネガティブオーラね?」



 あぁ、井上さんかーー。



「おはようございます。ははっ。人生って、うまく行かないもんですね」



 あまりにも、タイミングが悪すぎる。

 と、俺が壊れた声を出しつつ答えると、苦笑いしつつ、背中を優しく叩いてくれる井上さん。



「よっ、よくわからないけれど……まぁ、それが人生よ。ほら。学生もいるんだから、背筋伸ばしなさい!」

「はい。伸ばします……」



 すぐに、立ち直れそうにないけどね……。









 失敗したわ。

 まさか、あの男が近くにいたなんて……。

 というか、香林さんとあいつは、仲が良かったもんな~。

 それは、当然近くにいるわな。


 と、少し自分の行動を反省したあたしは、とりあえず、次の機会を待つことにした。

 できれば、誰の邪魔も入らないのがベストね……。


 授業間の10分休憩ーーは、ちょっと足らないか。

 てことは、やはりあの時間しかない!


 などと、授業を耳で受け流していたのが悪かった。

 突然先生に指名されてしまい、慌てて答えを言うけれどーー。



「残念大海原さん。答えは、13よ。ここはーー」



 と、先生からの公開処刑が始まってしまうと、覚悟した時だった。


 まるで天からの助けとばかりに、授業終了のチャイムが鳴り響いてくれる。

 よし! ラッキー!!



「あら。もう、そんな時間だったのね。それでは、三時間目は球技大会に向けての練習だから、早めに着替えて各々の場所に集合するように」



 と、先生が教材を片付けつつ言った為、あたしは、代表のように手を上げて、元気に答えておく。



「はーい!」



 先生の言葉通り、クラスの男女がそれぞれ体操服を持ちながら教室から出ていく中、あたしは、すぐさま香林さんを探し始める。


 ここよ! 

 この時間しか、話す時間がない!!



「イルマ~。さっさと行こ」

「ごめん! 先に行ってて!!」



 ごめん由美!

 今日のあたしには、やらないといけないことがあるのよ!



「いた! こっ、香林さん!」

「はっ、はい?」



 体操服を持ちつつ、今まさに、教室から出ていこうとしていた香林さんへと追いついたあたしは、口よりも先に、その手を掴みとる。

 

 てか。はっ、早くない!?

 もう少し遅かったら、追いつけなかったんだけど!?



「ごっ、ごめんごめん。あのさ。ちょっと、一緒に更衣室まで行こうよ」

「えっ? えっ……と。はい」



 うわっ。

 完全に、警戒されているじゃん。


 くぅ~。やっぱり、急に手を掴むのは、ヤバかったかな?

 でもでも、別に女の子同士だし、変じゃないわよね?



「あのさ。香林さんって、どこに住んでいるの?」

「えっ? あっ、あの。さっ、サクラサクという花屋ですけど……来たことありますよね?」



 ……うん。

 行ったことあるけど、当たり障りないかな~て思って、話題をふったんだよね~。


 でも、ちょっとアホな発言だったかな?



「まぁ、いいや。色々考えると疲れるし、ぶっちゃけちゃおう」

「……」


「あのさ。香林さんって、あいつと仲良いの?」

「あいつ?」



 と、あたしの言葉に、不思議そうに眼鏡を押し上げた香林さんは、すぐに誰のことかわかったのか「遠藤さんですか?」と、嬉しそうに両手を打ち合わせる。



「そうそう。遠藤って言ったけ? あいつと仲良いの?」

「はい! 遠藤さんとは、友達なんです! ……それが、どうかしましたか?」



 とっ、友達?

 嘘でしょ……仲良しだとは、思っていたけれど、友達って……。


 やっぱり、あいつ。変態ロリコン野郎なのかしら?



「そっ、そうなんだーーそれでさ。あいつって、どんな奴なの?」

「どんな?」

「そうそう。ほら、よくわからないっていうか。なんていうか……」



 うーん。

 いまいち、ピンときてない顔だけど、そう言うしかできいないのよね~。

 あたしから見たらあいつは、よくわからない奴なんだもん。


 だからこそ、仲良しな香林さんならどっちが本当のあいつなのかわかるかな? と、思ったんだけどな……。


 と、あたしがなかなか言葉を伝えられずに唸っていると、にっこりと微笑んだ香林さんはーー。



「遠藤さんは、優しい人ですよ?」



 と、まさかの返答をしてくる。

 ……えっ?



「やっ、優しい?」

「はい。私が一人でいることを知って、話しかけてくれたんです。それに、私の悩み事にも真剣に考えてくださって……何より、離ればなれだった私とお母さんを、しっかりと繋げてくれたんです」



 それからーー。

 と、まるで自慢の友人を伝えるかのように、嬉しそうにスラスラと話し始める香林さん。


 その姿にあたしは……すっかり頭の中が、真っ白になってしまった。


 どうして、そんなに嬉しそうに話すのか。

 どうして、そこまで深くあいつは、香林さんに関わっているのか。


 あの時、あたしのことを一切見ていなかったくせに。

 これでは、まるでーー



「それから、とっても頼りになるんです。この前なんて、えっと……そうです! 攻略が難しかったーー」


「おっ、オッケーオッケー! よーく、わかったよ香林さん!」



 と、やっと頭が正常に戻ったあたしが、慌ててストップをかけると、まばたきを数回した香林さんは、残念そうに「そうですか」と呟く。


 あははっーーそこまで、あいつのことを伝えたかったのね。

 でも……。



「それくらい、頼りになるってことだよね?」

「はい! ……もしかして、何か悩みごとでもあるんですか?」



 うぐっ!?

 いっ、意外と鋭いわね。



「あははっ。まぁ、ちょっとだけね。ほら、あたしの家は、あまり両親がいないからさ。気軽に話せる大人がいなくて」


「そうなんですか……それなら、遠藤さんは、うってつけの人ですよ? きっと、嫌な顔をせずに、話を聞いてくださると思います」



 と、あたしに対してそう言った香林さんはーーまるで花が咲くような微笑みを、その顔に浮かべた。








「はぁ~」

「……今日は、一段とため息が大きいわね」



 昼休みに、用務員室で弁当を広げた俺が今朝の失敗を引き摺っていると、対面に座っていた井上さんが、あからさまなジト目を送ってくる。



「うっ。すっ、すいません。ちょっとーーいや。かなり、酷い失敗をしまして」

「そう。まぁ、失敗なんて誰でもするわよ。あまり深く考えると、ドツボにはまるわよ?」



 えっ!?

 まっ、まさか。あの井上さんが、俺を慰めてくれーー。



「それに、今朝からずっとその顔を見せつけられるのは、こっちもそれなりにストレスだし」



 るわけがないよな。

 ははっ……そうですか。

 いや、わかっていたけどね。

 井上さんが、俺を慰めてくれる訳なんてないんだよ。


 と、新たな理由で落ち込んだ俺は、とりあえず自分で作った弁当を食べ始めると、何やら用務員室の扉がノックされる。



「? 何でしょうか?」

「さぁ? でも、先生方からの連絡事項かもしれないわね。もうすぐ球技大会も本番なことだし」



 そう言いつつ、俺より先に立ち上がった井上さんが、不思議そうに扉を開けるーーと。

 そこには、まさかの大海原イルマちゃんが立っていた。



「おっ、大海原さん?」

「うっぐ!?」



 やっ、やべぇ!

 あまりに驚きすぎて、喉にご飯が!!


 予想すらもしていない来訪者に、俺が胸を叩きつつお茶を飲んでいると、何やらムスッとした顔でーー



「失礼します」



 と、一言だけ口にしたイルマちゃんは、ズカズカ入ってくるや、何故か俺の対面に座ってくる。

 なっ、なんだ?



「……」

「うっ。うっん!! ふー」 

「……」

「……」



 ……えっ?

 何この空気。

 というか、俺、ものすごく睨まれていません?



「……あのさ。こいつに用があるから、しばらく外で待っていてくれる?」

「えっ? でっ、でも……大海原さん。ここは、用務員室なのよ。だから、生徒を入れることはーー」


「なら、あんた。ここから、移動するわよ」

「えっ?」



 まさか、俺に用があるのか?

 というか、先から訳のわからないことばっかりで、何がなにやらなんだが?


 という思いは、井上さんも同じだったようで、珍しいことなのだがーー少し、困った様子でイルマちゃんの近くへとくると、視線を会わせるように腰をおろす。



「あのね、大海原さん。私達は、用務員なのよ。話したいことがあるなら、先生に一度確認を取ってからでもーー」


「香林さんの相談事には、あんたのったのよね? それなのにあたしの相談事には、のれないわけ?」



 と、イルマちゃんが俺に対してそう言ってくると、すぐさま井上が俺のことを睨みつけてくる。


 ほら、みろ。

 忠告したのに、お前が勝手な行動をしたせいで、こういう子が出てきたじゃないか。

 お前、責任をとれるんだよな?


 ーーなんてことを、まるで言っているかのように、その睨みつけには、一切の慈悲が含まれてない。


 ……てか。確実に、心の中でそう言っていますよね?



「えっとーー悩み事があるって、ことでいいのかな?」

「そうよ。わかったら、移動するわよ」

「わっ、わかった」



 有無を言わさぬ顔で、立ち上がったイルマちゃんに続き、俺も用務員室から出ていこうとする。

 がーー。


「待ちなさい……わかったわ。ここで、話していいわよ」

「えっ? ですけど、井上さーー」


「ただし、五分よ。それ以上は、何がなんでも出ていってもらうわ」

「はぁ!? なんで、あんたに時間を決められないといけないわけ!? それなら、別の場所に行くわよ!」



 と、井上さんからのまさかの許しが出たと思いきや、その条件に対して、イルマちゃんが怒りをあらわにする。


 そんなイルマちゃんの視線を、軽く流した井上さんは、俺の片手を掴みつつーー。



「違う場所に行くと言うのなら、担任の先生を通してから、もう一度ここに来ることね。悪いけれどーー彼をここから、一歩も出す訳にはいかないわ」



 と、まさかの監禁宣言。

 これには、さすがに俺も驚いてしまいーーどういうことかと井上さんの顔を見るが、決して引かないというような目つきをしているだけで、何も言ってくれない。


 井上さん。

 一体、どういうつもりなんだ?



「なっ!? 何でそんなことを、あんたが「当然でしょう? これは、あなたの為でもあるのよ」っ!?」



 井上さんの言い分に、詰め寄ろうとしたイルマちゃんだったがーーその一言によって、その足を止まってしまう。


 ……そういうことか。

 ここまでくれば、さすがに俺とイルマちゃんも、井上さんの言いたいことが理解できた。


 俺らからすれば、既に過ぎたことーーと、俺が言っていい言葉ではないが、イルマちゃんと俺は、言わば加害者と被疑者だ。


 そんな二人が、密室で二人っきりになどなっているところを誰かに見られれば、さらにお互いが嫌な思いをする可能性がある。


 井上さんは、それを危惧して、わざわざ言ってくれているのだ。



「くっ! あぁ、もう! わかったわよ。五分でしょう? はいはい! 五分ね!!」



 と、井上さんの意志に押し負けたかのように、そう吐き捨てたイルマちゃんは、力強く空いているイスへと座る。


 その様子に、一度俺へと視線を向けてきた井上さんは、大きくため息をつくと、すれ違い様にーー。



「わかっているとは、思うけれどーー早めに切り上げなさい」



 と、最後の忠告をして、部屋を出ていくのだった。


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