「きょうりゅうのたおしかた」

@syu___

第1話

うっすらとオレンジ色に灯った灯りがベッドを包む。どこか消えそうで消えないその灯りは、明日へ繋がる希望の源のような気がして好きだった。狂いなく十二へ向かう秒針と、お父さんが階段を上ってくる音が重なり合う。ガチャ、とドアノブが動く音と共に、時針が九、分針が十二を指した。

「今日もいい子にしてたか」低く優しいその声は、布団と同じ暖かさを持っていた。

「うん、幼稚園でも先生のお手伝い、いっぱいしたよ」

「そうか」優しい声のまま、ベッドへ寄り添ってくる。

「あとね、お母さんの言うこともいっぱい聞いたよ」

「そうか、それは偉いぞ」大きく、暖かい掌が、僕の頭をゆっくり撫でる。

「お母さんが困ってる時は、男のケントがちゃんと助けてやるんだぞ」

「うん!」

お父さんは警察官でとても正義感が強い。だから何か悪いことをしたり、お母さんを困らせたらたくさん怒られるけど、反省してきちんと謝れば、嘘のように優しくなった。

「よし、今日は何読んで欲しい」仕事の帰りが遅いお父さんと一緒にいれるこの時間は、決まって本を読んでもらった。

「これ!」そう言って枕元に置いていた図鑑を両手で差し出した。

「恐竜図鑑か、ケントは本当に恐竜が好きだなぁ」

「うん、だってね、大きくて、強くて、かっこいいんだもん」かっこいいんだ、お父さんみたいに。

「でもケント、これ前にも読んだぞ」

「ここ、まだ読んでないよ」予め折り目をつけていたページをお父さんの手を使って開く。

「恐竜の倒し方か」

そのページには原始人がどんな武器を使って、どのように恐竜と戦っていたのかが書かれていたが、他のページ同様、漢字が多くて読めなかった。

「ゆみや、やり、こんぼう・・・」

「そうだ、先が尖ったり、重たいもので叩いて恐竜と戦ってたんだ」

「え、恐竜さんたち、かわいそうだよ」

「そうだな、でも恐竜の中でも戦うのは、人を食べる悪い恐竜だ」

「でも、こんなおっきな恐竜、どうやって倒すの」そう言って、写真にあったティラノサウルスの写真に指を指した。

「尖ったもので心臓を狙って刺すんだ」

「心臓・・・」首から下についている身体をなぞるように見ていると、父が僕の手を取り、いつも名札を付けている辺りに手を当てた。

「動いてるのわかるか」僕はじっと重なり合っている手を見つめながら、無言で頷く。

「ここを刺されると、死ぬんだ、人も恐竜も」自分は今、友達も、もしかしたら先生も知らないような、すごいことを教えてもらっているのかもしれない。そう感じた途端、心臓の動くスピードがとても早くなっていく。

「死んだら、どうなるの・・・」細い体から出た、その細い声は口から出た瞬間、ばらばらになる。

「もう、ずっと会えなくなる」

「お母さんにも、お父さんにも?」心臓を抑えていない逆側の左手でお父さんの親指を強く握る。

「そうだ、だけどそれは恐竜も同じだ、命を奪うということは、それだけ大っきなことなんだ」自分の言葉とは対照的に、太く尖ったその言葉は、重なり合った手を貫き、僕の心臓に深く刺さり、心臓のスピードを徐々に下げていった。

「じゃぁ、倒さないで追い払っちゃえば、恐竜も、人も悲しまないよね」

心の奥底から無限に湧き出てくる悲壮感をありったけ吐き出す。

「でも、また食べにやってくるかもしれない」だけど、という反論の声は体の中でしか響かない。だけど、いやだ。そんなの。

「守ることは時に、相手から何かを奪うことでもあるんだ」

うそだよ、そんなの、じゃぁ。

「お父さんは」言い慣れただからか、やっと言葉になった。

「奪ったこと、あるの」

「ある」

ある。頭の中ですぐに認識できるように準備していた「ない」という言葉の引き出しの中に、危うく入ってきそうになる。あるんだ、お父さんは。

「奪うことでしか、守れないこともあるんだ」どこか過去を肯定し、自分に言い聞かせているように聞こえた。

「将来、ケントに大事な人ができて、それを奪おうとする相手が出てきたら、それから家族を守るのが男の役目だ」図鑑がゆっくりと閉じられ、また分厚い手が頭を包む。

「ケントなら強くなれる、お父さんの子だからな」

僕は深く頷き、布団へ潜った。奪ってでも守らなきゃならないもの。それができてたとして、その時僕は相手から奪えるのだろうか。

そんな疑問と心に刺さったままの父の言葉が、洗濯機の様に頭の中をぐるぐると回った。



「あなた、ケントが小学生になりました、これからもずっと上で見守ってあげてね」目をつぶり、手合わせなが言った母の言葉は、四月にしては少し暖かすぎる春風に乗って飛んで行く。このツルツルした石の中にお父さんがいる。殉職した去年の冬の寒さは、僕を嘲笑うかの様に、常に体に纏わりついていたような気がした。死んだという知らせを聞いた時、お母さんは顔と体を同時に崩し、号泣していた。警察官が二人家に来て母にだけ死んだ経緯を話した。その後お母さんに聞いても、事故としか話してくれなかった。お父さんはなんで死んだんだろう。僕は死んだ悲しみよりも、なぜかその理由についてずっと考えていた。お父さんは何かを奪おうとする人と戦って死んだんだろうか。だとしたら、それは命をかけてまで守るべきものだったのだろうか。お父さんの死んでも守るべきものって何だったんだろう。僕たちはそうだったんだろうか。でも死んじゃったら、僕たちのことはもう守れないよ、お父さん。


父が殉職して一年が経った頃、新しいお父さんが出来た。細い目とぺしゃんこな鼻、今にも取れそうな分厚い唇。特徴的なパーツが散りばめられた顔は、前にどこかで見たことがある様な気がした。

「よろしくね、ケント君」そう言いながら僕のつむじを覆ったその掌は、お父さんより薄く、冷たかった。それでも僕は好きになろうと頑張った。帰って来たら、カバンを取りに行ったし、靴も並べた。ご飯もお茶碗一杯に盛ってあげたし、食べ終わった食器も運んだ。お風呂でも一人でシャンプーしたし、熱いお風呂にもちゃんと三十秒浸かった。とにかくお父さんが喜んでくれたことは、新しいお父さんの前でも全部やった。お父さんはその一つ一つをちゃんと目を見て褒めてくれた。新しいお父さんも褒めてはくれた。でも、黒目に僕が写っていることは一度もなかった。

数ヶ月後、新しいお父さんはすっかり優しくなくなった。そう感じた理由は色々あるけれど、一番は本を読んでくれなくなったことだ。仕事から帰ってくると、ビールを飲みながら野球を見てるだけなのに、忙しいとか疲れてるとか、適当なことを言って読んでくれなくなった。お父さんが買ってくれた本はどれも高学年にならないと読めない漢字ばかりだった。だから、一度お父さんに読んでもらった本をもう一度昔の記憶を頼りに読むことにした。読んでもらった日の天気、その日あったこと、着ていたパジャマの色、お父さんの服の色や匂い、そして毎晩変わらず僕のつむじを包んでくれたあの手。一所懸命思い出して、一つずつベッドの上に並べて本を開いた。すると、オルゴールのように、頭の中で父の言葉が再生されていった。

「きょうりゅうのたおしかた」

「きょうりゅうの弱点は心ぞうです・・・むかしの人たちは・・・」涙で文字が歪む。

「そうだ、先が尖ったり、重たいもので・・・・」お父さんとの記憶が薄っすらと蘇ってくる。

「にくしょく、きょうりゅうに、食べられた、人も、たくさん・・・」青色に染まった涙が一滴ずつ本に滴り落ちる。

「そうだな、でも恐竜の中でも戦うのは、人を食べる悪い恐竜だ」また、お父さんの声。

「にくしょくきょうりゅうは・・・」

「よろしくね、ケント君」

「みんなを・・・」


「きゃーっ!」

「えっ」

一階から鳴った高く鋭いその声は、ケントとお父さんを一瞬で切り離した。慌ててベッドから飛び降り部屋を出る。

「いやっ、やめてっ」階段の下から断続的に聞こえる奇声に、足の感覚がどんどん奪われていく。

「いやっ、痛い、ま、まさ」声が途中でぴたっと止まった。いや、止まったといいうより、誰かに止められた。そして、僕の名前を呼ぼうとしていた。

「お母さん・・・」嘘のように静まり返った空間に、僕の声は階段から転がり落ちていく。リビングに繋がるドアから、うっすらと漏れる光に照らされた廊下はいつにも増して奇妙で、より一層、ケントの悲観的想像に輪をかけた。

怖い。でも、お母さんが、大変だ。

「あああ・・・」さっきとは違う、透明な涙がと一緒に、両手で抱えていた恐竜図鑑が開きながら足元に落ちる。

「お父さん・・・」またオルゴールのように頭の中でお父さんの声が再生される。

『それを奪おうとする相手が出てきたら』今度は初めから鮮明に聞こえた。

『それから家族を守るのが男の役目だ』


階段を降りた記憶は全くない。だけど気づけばリビングに繋がるドアノブに手を掛けていた。

「男の役目・・・」図鑑を片腕に抱えそう呟き、氷のように冷たいドアノブを引き、ドアを開ける。

すると真っ赤な顔をした新しいお父さんらしき人が、お母さんの口を抑えながら馬乗りになっていた。

何が起きているのか、全く理解できない。ただ、涙を流しながらこっちを見つめるお母さんの目は、何かを訴えようとしている。

「なーに見へんだぁ」お酒を飲み過ぎて舌がうまく回っていない。

「人殺しの息子さんよぉ〜」

ひとごろし。

なぜか夢を見ている感覚になった。目に見えるものも、聞こる言葉も全部、正常に作動してるはずの器官に入ってこない


「あの人はそんなことっ」こっちに気を取られていた隙を狙って、抑えられていた手を両手でどかしそう言った。あの人。

「人をぉ、殺したんだよ、あいつはよぉ」声が一段と大きくなる。

殺した。あいつは。

「警官のぉ、特権を使ってよぉ」

警官の、特権。

目をつぶり頭の中で単語を整理する。

「お父さんは」またあの記憶だ。

「奪ったこと、あるの」

「ある」

お父さんのことだ。

そしてどこかで見たことがあったこの人は、お父さんが殉職した日に来た人だ。

「正当防衛だった・・・いやっ」お母さんの首を男の両手が締め付けていく。

「あっ、あうっ・・・」

「人殺しには変わりねぇってんだ」男の頬を伝った涙はお母さんの顔に落ちた。

「俺の、俺のっ・・・」

「あぅっ・・・」




「尖ったもので心臓を狙って刺すんだ」

「心臓・・・」

「ここを刺されると、死ぬんだ、人も恐竜も」

「奪うことでしか、守れないこともあるんだ」



「ケントなら強くなれる、お父さんの子だからな」


リビング一面に広がった血は、床に落ちていた図鑑を真っ赤に染めた。

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