第26話 映画の上映会

 八月の暑い中、まだ夏休み中だというのに僕は、葛城さんと一緒に学校の寮へ戻って来た。

 夏休み中には登校日という、嬉しくないイベントがある。それに出席するためだが、もう一つ別の目的もある。酒巻君の自宅で映画の上映会をやる予定なのだ。

 ついでと言っては申し訳ないが、夏休み中で僕も葛城さんも実家へ帰省している。そこから直接行くよりは、一日早く寮に戻って先に上映会をやってしまった方が都合が良いという判断だ。

 事前に寮長に連絡して鍵を開けておいてもらおうかと思ったのだが、その必要はなかったようだ。


「藤堂さんは、ずっと寮に居たんですか?」


 夏休み中は大した仕事もないようで、寮長は事務所の奥にある居住スペースから、ラフな服装のまま出て来た。藤堂さん以外の生徒と久々に会ったのが嬉しかったのか、お茶菓子まで出してくれる。


「夏休みに入ってから、一度も家に帰ってないわね」

「そうなんですか」


 声優同好会が部活動へ昇格する時に、藤堂さんは大学の推薦が欲しいようなことを言っていた。進学したら大学の寮へ入って、就職したら一人暮らしというコースだろうか。


「あの…キッチンを使わせてもらっていいですか?」


 葛城さんが持っているレジ袋には、ここへ来る途中にスーパーで買った食材が入っている。

 寮には寮母さんという人が居て、いつも朝食や夕食を作ってくれている。ただし、寮長と違って住み込みではないから、連休や夏休みのような長期の休みには休暇になる。だから、帰省しないで寮に残っている藤堂さんは、外食するか自分で作るしかなかっただろう。

 明日は登校日のために他の生徒も寮へ戻って来るから、食事の心配は要らない。取り敢えず僕らは、今日の分だけ外食でもすれば良かった。しかし、藤堂さんのことだから、どうせろくな物は食べていないだろうと話していたら、葛城さんが作ると言い出したのだ。

 彼女が買い物をする様子を見ていても、決して料理が得意だとは言い難い。スマホで検索したレシピで、そのままの材料を買っていた。それでも作りたいと思ったのは、藤堂さんが実家へ帰らない理由を本人から直接聞いたからだろうか。


「自由に使っていいわよ。藤堂さんも、お湯を沸かすのに使ってるから」

「インスタントですか…」


 やっぱり、ろくな物は食べていないようだ。

 僕と葛城さんは事務所を出ると、食堂へ行って食材の入った荷物を置いてから、二階にある自分達の部屋へと向かう。

 部屋の鍵を開けて荷物を置いた後に、すぐにまた部屋を出て行く。葛城さんは食堂へ向かい、僕は藤堂さんの部屋へと向かった。

 藤堂さんの部屋のドアをノックすると、誰も居ないのかと思うほど間を空けてから、彼女が顔を出した。


「あ…天使が迎えに来たかと思った」


 昼夜逆転の生活でもしているのか、まるで寝起きのような顔でそう言った。誉め言葉のつもりなんだろうけど、藤堂さんに言われると人生を悲観しているように聞こえなくもない。内心、僕は縁起でもないなと思っていた。


「幸ちゃんが夕食を作ってくれるから、食堂へ行こうよ」

「へえ、幸ちゃんって、料理が得意なんだ」

「いや…あんまり期待しない方がいいかも」

「そうなんだ。好き嫌いはないから、別に何でもいいよ」


 藤堂さんは部屋でゴロゴロしていた様子だが、一応人前に出られるような服装はしている。そのまま部屋から出て来て、僕と一緒に階段を下りて行った。


 食堂の隣りにはキッチンがあり、料理を運びやすいよう大きく壁が空いている。さながら、パブリック・キッチンのようだ。

 既に葛城さんは調理を初めていて、シャカシャカと野菜を切る音が聞こえて来る。本物のパブリック・キッチンのようにこちらを向いていないので、僕らが来たことには気付いていないようだ。

 ガランとした食堂で二人しか居ないのに、隅っこへ座る必要もない。僕と藤堂さんは、食堂のど真ん中の席へ着いた。


「登校日に合わせて、寮に戻ったんでしょう?一日早いけど、何か予定でもあるの?」


 話し声に気付いて葛城さんがこちらを見たが、そのまま調理を続けている。


「同級生の家で映画の上映会をやるんだけど、最終に間に合わないから朝まで居るつもり」

「それって、女子?」

「男子だけど」

「女子なら莉音ちゃんに色目を使わないように私も付いて行こうと思ったけど、男子ならやめとくわ」

「普通に聞いちゃったけど、何か間違ってるよね?」

「幸ちゃんも一緒なんでしょう?それが分かってて莉音ちゃんを呼ぶような男なら心配ないわ」


 確かにそれもあるが、両親が家に居る時間帯なら長時間居座っても、下手なことは出来ないだろうという考えもある。別に酒巻君に襲われるとは思っていない。ただ、僕がベッドで寝て彼がソファーで寝るとか、お風呂に入って着替えに彼の服を借りるだとか、そんなラブコメみたいなシチュエーションを作りたくなかった。


「友達の家で夜を明かすって、やってみたかったんだよね。お泊まりとかじゃなくて、朝まで起きてるの」

「ああ、それは私には叶えてあげられないわ」

「だよねぇ、夏休みも家に帰らないくらいだから」

「別に帰って来いなんて言われないし」

「お母さんは、会いたがってるんじゃないの?」

「外で会ってるわよ。大体、ファミレスだけど」

「へえ、そうなんだ…」


 複雑な家庭の事情に、僕なんかが口を挟むようなことではないと思ったので、この話しは終わった。でも、まだ葛城さんの調理が続いているので、取り留めのない話しが延々と続く。高校生になってまだ半年も経っていないのに、こんなに話題があるのは自分でも不思議だった。


「2.5次元ショーの映像、凄いアクセス数よね。森本さんが自分から映像を発信するなんて、意外だわ」

「僕だって自分のコスプレ映像を公開するなんて、思ってもいなかったよ。正体不明なのが、せめてもの救いだけど…」

「コスプレイヤーがグラビアやるような時代だから、スカウトとか来ないの?」

「知らないよ。森本さんはDMとか来てても、僕には教えてくれないから」

「前もって言うと、拒否られるもんね。生クリーム舐めさせてあげるとか言って連れ出されて、行ってみたら撮影スタジオだったとか、ありそうじゃない」

「怖っ、生クリームの誘いには気を付けよう」


 そんな話しをしている間に、葛城さんの料理が完成したようだ。普段、生徒が食事をする時は各自でトレイに乗せて運ぶのだが、葛城さんは鍋ごと持って来た。先にお皿へ盛り付けてしまうと、運ぶ回数が増えるからだろう。その後に食器を重ねたまま運んで来て、テーブルの上で盛り付けた。

 作っていたのは肉じゃがで、女子が初めて誰かに作ってあげる料理の定番だろうか。他にもポテトサラダがあるのだが、これはパック入りのお惣菜を買った物だ。そして豚汁はインスタントだ。

 さすがに炊飯器は持って来る方が大変なので、ご飯は茶碗によそってからトレイで運んでいた。


「一応、味見はしてるから、そんなに酷い味ではないと思うけど」


 葛城さんは僕の横に座り、三人できちんと手を合わせてから食事を頂く。これは普段から寮でやっている習慣だ。僕と藤堂さんが肉じゃがを口へ運ぶのを、葛城さんは不安そうな表情で伺っていた。


「うん、普通」

「何言ってんの。莉音ちゃんは、いい物ばっかり食べてるから舌が肥えてるんでしょう。美味しいよ」

「良かった、お口に合って」

「私のために作ってくれたんでしょう?幸ちゃんって、ほんと女子力高いよね。こうやって話しをするようになるまで、分かんなかったわ」

「無い物をねだるよりも、有る物を有効に活用した方がいいって話しを聞いたから、容姿以外のところでも頑張ってるの」

「それ、誰の言葉?」

「莉音の幼馴染みで、新谷さん」

「へえ、じゃあ私もその言葉を胸に刻んで、有る物を有効に活用するわ」

「藤堂さんは…」


 藤堂さんは絵を描いたり造形物を作ったりと、美術的なセンスがあることは知っている。一方で、何が足りないのかと聞こうと思ったのだが、色んな物が足りていないような気がして、聞くのをやめてしまった。


「何よ?」

「何でもない」


 まあ、僕も他人のことは言えないくらい足りない物があるけど、何とかなっているから悲観するようなことじゃないなと思っていた。



 葛城さんと一緒に酒巻君の家へやって来たのは、日が沈む頃だった。このために、寮で早めの夕食を取ってから出掛けたのだ。

 前回に来た時は母親しか居なかったが、今回は父親にもきちんと挨拶をすることが出来た。夜更けに男子の自宅へやって来て、不謹慎だと思われないか心配だった。でも、普段は寮に入っていることを聞いているのだろう。羽を伸ばして良いからと、むしろ歓迎ムードだ。


「育ちの良さそうな、お嬢さんだね」


 そんなことを言われた。息子の好みをよく知っているのか、葛城さんがトランスジェンダーだと気付いてスルーしているのか、父親の視線は僕の方にばかり向いている。

 両親にとって今の僕は、どれくらいの親密度なんだろうか。僕はただ男友達が欲しいだけなのに、本当に酒巻君との距離感は難しい。


「映画館ぽく、ポップコーンを用意しといたよ」

「お、気が利くね」


 酒巻君の部屋には、前回にはなかった大きめのクッションが二つ置いてある。映画の鑑賞用なのか脚のないローソファーもあるのだが、三人で座れるほど大きくはない。わざわざ用意してくれたのだろう。

 酒巻君がスクリーンを用意している間に、僕と葛城さんはラグに座ってクッションを抱きかかえる。僕くらいの身長だと顎を乗せて姿勢が楽なのだが、葛城さんにはちょっと小さいようだ。

 夜が明けるまでに、三本くらいは映画を見られるだろう。最初に上映するのは勿論、僕が見たかったマペットのファンタジー映画だ。

 プロジェクターは映画のようにスクリーンに投影するので、部屋が暗い方が見やすい。酒巻君は僕の隣りへ来て座り、リモコンでシーリングライトを消した。三人が同じ方向を向いて座っているので、僕が真ん中になっている。葛城さんが意図的に彼の隣りを遠慮したから、そうなってしまった。


「こんな大きな音、出しても大丈夫なの?」

「窓ガラスが二重になってるからね。外へ出て確認したけど、問題ないよ」


 さすがに映画好きだけのことはある。それなら、真夜中でも見ていられそうだ。

 映画が始まるとポップコーンを手に取り、それを食べながら鑑賞する。僕もこの映画を見るのは何年ぶりだろうか。最近のCGで作ったキャラクターに比べると、マペットは温かみがあってファンタジーには向いている。こういう映画が新たに作られないのは、ちょっと残念だ。


 一本目の映画が終わると、酒巻君が明かりをつけた。部屋が暗いと深夜のような錯覚をしてしまうが、時計を見るとまだそれほど時間は経過していない。


「見たい映画とかある?残念ながら、アニメはないけど」

「宇宙を舞台にしたのとか、あったら見たいな」


 酒巻君は立ち上がってデッキの所まで行くと、ディスクを取り出して本棚へと仕舞う。そのまま人差し指で、本棚にあるディスクケースをなぞっていた。


「宇宙って言うと、これかな。得体の知れない怪物が宇宙船の中に入り込んで、乗組員を襲って行くんだ」

「それ見よ」


 ケースからディスクを取り出してデッキにセットした彼は、再び僕の隣りへ来て座り明かりを消した。


「怖っ!」


 怪物の幼生が卵から飛び出して人間の顔に張り付く場面や、人間の腹を食い破って中から出て来る場面で、僕は一人で奇声を発していた。

 明るい所で見れば、それほど怖い映画ではないと思う。でも、暗くした部屋で見ると、得体の知れない怪物がいきなり出て来てビックリしてしまう。

 いつの間にか僕は葛城さんの方へすり寄って、彼女と手を絡めている。シリーズで四本あるそうだが、さすがに一本だけでやめておいた。


「幸ちゃんは、見たい映画とかある?」

「うーん、恋愛映画かな」

「恋愛映画ねぇ…」


 酒巻君は本棚の前で、暫く考えていた。彼が持っている映画のラインナップを見れば、SFや特撮が好きなのは分かる。逆にアニメは一本も持っていない。恋愛映画となると、微妙なところだろう。


「これかな…SFなんだけど一応、夫婦の愛情みたいなのがあるから」

「うん、それ見たい」


 葛城さんのリクエストにも真摯に答えているのは好感が持てる。でも、さすがに3本目の映画となると眠たくなってきた。

 映画が始まって10分程度で僕は、うつらうつらし始める。そして、更に10分が過ぎると目を閉じて葛城さんにもたれ掛かっていた。


「どうする?ベッドへ寝かせようか」

「そういうの莉音は嫌がるから、朝まで私が膝枕してるよ」

「そうか。じゃあ、タオルケット持って来るよ」


 そんな声が聞こえていたが、眠気には勝てない。記憶にあるのはそこまでで、僕は深い眠りに入っていた。

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