第25話 地元で七夕祭り

 僕の地元では商業施設が建ち並ぶ市街地で、一定の区域を車両通行止めにして七夕祭りが行われる。七夕と言っても旧暦で開催されるので、現代のカレンダーでは八月上旬だ。

 お祭りとは無縁だった僕は、駅前で浴衣を着た女性を見掛けると、もうそんな季節なんだと気付かされたものだ。幼い頃に両親に連れて行ってもらった記憶があるだけで、もう何年も行っていない。それが今年は唐突に、お母さんから女性用の浴衣を見せられた。

 僕が女の子の格好をするようになったのは、中学生になってからのことだ。決して女の子になりたかった訳じゃない。ただ、差別や偏見の目から逃れて、普通の生活をしたかっただけだ。

 それが高校生になって、学校でも女子という扱いになり、念願だった普通の日常生活を送っている。コスプレが普通のことかどうかは置いておいて、これを機にお母さんは、僕に浴衣を着せて七夕へ行かせたかったようだ。

 お母さんが勝手に兄貴と話しをつけて、僕を七夕へ連れて行ってくれることになっている。


「この日のために、着付けを教わって来たのよ」


 我が家では唯一の和室で、お母さんが僕に浴衣を着せてくれる。僕には高校生になったらやってみたいことが色々あるように、お母さんにも娘が居たらやってみたかったことがあるらしい。

 僕の洋服を買う時はいつもお母さんと一緒だったのに、今回はサプライズなのか内緒で用意してくれていた。完全にお母さんの趣味に走っていて、白地に赤と黒の金魚柄で可愛らしい浴衣だ。


「お母さんは、女の子が欲しかったの?」

「そんなこと、関係ないわよ。男の子なら男の子らしいことをしてあげたいし、女の子なら女の子らしいことをしてあげたいしね」

「五月人形があるのに、雛人形も買う必要あった?」

「莉音には両方してあげられたから、二倍楽しめたわよ」

「費用も二倍掛かってるけどね」

「全力でサポートするって言ったでしょう。莉音は、やりたいことをやればいいのよ」


 お母さんも着付けはあまり得意ではないらしく、帯を結ぶのに時間が掛かっていた。それでも、全体的には綺麗にまとまっている。髪形もお母さんの趣味で、ツインお団子にしてくれた。

 お母さんのリクエストで一周回って見せると、初めてスカートを履いた時のような気恥ずかしさがあった。


「じゃあ、行って来るね」

「屋台はカード使えないから、現金を持って行きなさいよ」


 普段は買い物にカードを使っているから、毎月決まったお小遣いを貰うという感覚がない。財布に現金を入れて、スマホと共に巾着袋に仕舞ってから家を出た。

 カラカラと焼桐下駄の音を響かせながら、隣りの家の玄関まで行ってチャイムを鳴らす。兄貴も用意が出来ていたのか、すぐにドアを開けて外に出て来た。男性の浴衣姿もちょっと期待していたのに、作務衣を着ている。

 これでも兄貴としては、気を使った方だろう。僕が浴衣を着て来ることは分かっていた筈だ。以前なら僕に服装を合わせてくれるなんてことはなかった。


「お前の浴衣姿を見るのは初めてだな。よく似合ってるよ」

「へえ、いきなり誉めてくれるんだ」

「認識を改めろって言ったのは、お前の方だろう。女子高生だと思って見てるよ」

「じゃあ、僕も素直に喜ぶよ」


 七夕が行われている区域の周辺には、臨時の駐車場が設置される。歩いて行けないこともないが、車で行った方が遥かに楽だ。兄貴が浴衣を着ていないのは、車を運転し辛いからということもあるのだろう。

 兄貴が車庫から車を出してから、僕は助手席に乗り込んだ。浴衣を着ていると、車に乗るのは大変だ。帯の結び目が潰れないように、シートの背もたれから背中を離していた。

 車が発進すると、住宅街の路地から幹線道路へ入る。兄貴が市街地とは反対方向へハンドルを切ったのは、すぐに気付いた。


「どこ行くの?」

「松山さんも誘ってるんだ。駅で拾うことになってる」

「へえ、もうそんな関係になってるんだ」

「お前のために誘ってるんだよ。手を繋いで歩きたいんじゃなかったのか?」

「まあ、そういうことにしとこうか」


 確かにそんなことを言った覚えはあるのだが、兄貴の言い分には照れ隠しも入っているのだろう。そういうところから恋愛に発展してくれれば、言うことはない。


 駅前のロータリーに到着すると、まだ松山さんの姿はなかった。ずっとシートの背もたれから背中を離しているのも疲れるので、僕は車から降りて立っていた。松山さんが来たら、助手席を譲りたいという気持ちもあってのことだ。

 兄貴は運転席に座ったままで、暫く待っていると駅の階段を松山さんが下りて来た。彼女はピンクに花柄の浴衣を着ていて、この格好で電車に乗って来たらしい。他にも浴衣を着た女性は居るので、特に松山さんが浮いているということではない。


「莉音ちゃん、素敵!最高!」

「松山さんもね」


 お母さんと違って、松山さんは自分で僕の周りを回っている。彼女の下駄の音が、カラカラと鳴り響いた。


「お団子、かわよっ!」


 僕が半陰陽だということについては、先日のメールに書かれていたので、この場でその話しをするつもりはないらしい。彼女も態度が何も変わらないタイプの人のようだ。

 さっさと僕は後部座席に乗り込んで、松山さんは助手席に座る。僕が兄貴に話した、高校生になったらやってみたいことを松山さんが叶えてくれるみたいだから、何かしらの打ち合わせはしているのだろう。二人は目を合わせて、確認をしているようだった。


 市役所の裏手に臨時駐車場の立て看板があって、路上警備員が案内をしている。兄貴は、そこに車を駐めた。三人で歩いて市役所の敷地を通り抜け、幹線道路を渡ると七夕飾りが見えて来る。

 車両通行止めの看板の手前まで来ると、松山さんは僕に向かって手を差し出した。もう少し、さり気なく出来ないものだろうかと思いつつ、僕は彼女の手を握る。

 僕が手を繋ぎたいと言ったのは、お兄ちゃんとかお姉ちゃんで、それは一人っ子だからだ。兄貴が居たから、相談に乗ってもらったり困った時に助けてもらったりということはあった。でも、本当の兄弟ではないから、一緒にお風呂に入ったり着替えさせてもらったりという思い出がない。

 人は思い出があれば、強く生きて行ける。そんな歯が浮くようなセリフも、どこかのアニメで見たような気がする。

 七夕が行われているエリアには車が入って来ないから、車道の真ん中を歩行者が行き交っている。その流れに乗って、僕と松山さんは手を繋ぎながら歩いて行き、兄貴は後ろから付いて来る。

 延々と続く七夕の飾り付けには、時折アニメのキャラクターが混じっている。そんなキャラクターを見付けるのも楽しいし、道路の両サイドに建ち並ぶ屋台にも目移りしてしまう。


「七夕って、何すればいいの?」

「お祭りグルメを食べて、ヨーヨーを釣って、スーパーボールをすくったりかな」

「じゃあ、それ全部やってみたい」

「いいよ、私に任せてくれる?」


 幸いなことに、屋台のチョイスには困らない。綿菓子や林檎飴、ベビーカステラなど、お祭りの定番商品が果てしなく並んでいる。それらを次々と買って行くものの、僕も松山さんもそんなには食べられない。少しだけ食べては兄貴に渡して、残り物を処理してもらっていた。


「そろそろ、限界だぞ…」

「じゃあ、ヨーヨー釣ろうか」


 松山さんがヨーヨーと言ったのは、たまたま目に付いたからだろう。食べている間は離していた手を再び繋いで、ヨーヨー釣りの屋台まで僕を引っ張って行く。

 水槽の前にしゃがんで屋台の主人に彼女が小銭を渡すと、こよりの付いた釣り針をくれる。今日のためにお母さんからお小遣いを貰ったのに全部、松山さんが出してくれている。

 相変わらず兄貴は後ろで、立ったまま僕らを見ていた。


「あっ…」


 水槽の端の方に居る男子の二人組が声を発したので、そっちの方を見ると一人は見覚えのある顔だった。中学の時のクラスメイトは皆、同じ市内に住んでいるのだから、こんなこともあるだろう。具体的に何をされたとか思い出したくもないが、決して印象は良くないということだ。

 もう一人の男子は、クラスメイトではなかったと思う。多分、彼が高校生になってからの友人なんだろう。僕のことを知らないから、知り合いなら声を掛けろと言わんばかりに、肘で小突いている。

 中学の時に比べると、僕は女性化が進行しているし、自分でも女の子らしくなるよう努力している。あいつは男だぞと言おうものなら、見え透いた嘘をついていると思われるだけだ。本人もそれが分かっているから、対応に困っている。そんな、元クラスメイトの困惑した表情が見られただけでも、浴衣を着て七夕へ来た甲斐があったかもしれない。

 松山さんは男子二人を横目で見ながら、僕の耳元で


「知り合い?」


 本当に小さな声で、そう囁いた。


「一人は中学の時の同級生。もう一人は知らない」


 僕も小さな声で返すと、松山さんは視線を逸らして何か考えているようだった。でも、すぐに何事もなかったようにヨーヨーを釣り始める。

 兄貴から僕が女の子の格好をするようになった経緯は聞いている筈だから、中学の時にイジメやセクハラを受けていたということも当然知っている筈だ。だからと言って、場所を変えようとはしないのが松山さんらしい。やましいことは何もないのだから、堂々としていろと言われているようだ。

 松山さんは一個だけヨーヨーを釣り上げて、二個目でこよりが切れて落としている。僕は一瞬、ヨーヨーが水面を離れて宙に浮いたが、すぐにポトッと落としてしまった。


「あぁ…一個も取れなかった」

「お嬢ちゃんは可愛いから、残念賞をあげるよ」


 そう言って屋台の主人が、目の前でヨーヨーを膨らませて渡してくれた。水槽にいくらでも浮いているのに、パフォーマンスだろうか。


「ありがとう」

「じゃあ次は、スーパーボールをすくいに行こうか」


 立ち上がってヨーヨーのゴムを指に通していると、松山さんが僕の手を取った。そして彼女は自分のヨーヨーをブラブラさせながら、兄貴の手も取って僕と繋がせる。事前の打ち合わせにはなかったようで、兄貴は戸惑うような表情をしている。


「お姉ちゃんとは手を繋いだから、お兄ちゃんとも手を繋がないとね」


 松山さんがこんなことを出来るのは、もう僕が恋愛の障害にはならないということに納得できたからなんだろう。それに元クラスメイトの前で、僕を女の子扱いしたかったのかもしれない。

 兄貴は僕の胸を触っても平然としているくらいだから、手を繋いだくらいで動揺したりはしない。意外に手が大きかったので、僕の方が気恥ずかしくなったくらいだ。


「将来的には僕のお兄ちゃんと、お姉ちゃんになってくれるってことだよね」

「もう、お兄ちゃんとお姉ちゃんだろう?」

「あ…そうなんだ」


 水槽の端の方に居た元クラスメイトが、こっちを見ているのは分かっていた。僕は一瞥しただけで、兄貴と手を繋ぎながら道路を歩く人の流れの方へと進んで行く。その後から松山さんも付いて来ていた。

 四歳という年の差が、幼馴染みとしては丁度良かったのかもしれない。喧嘩をしたこともないし、常に兄貴は僕の味方だった。ただ、子供の頃に手を繋いだという記憶がない。単に僕が覚えていないだけだろうか。


「あ、なんか、思い出した…」

「何を?」

「バイクで事故った時、すんごい兄貴に抱き締められてたような…」

「抱き締めたんじゃなくて、庇ったんだよ。恥ずかしいこと言うな」

「道路に投げ出された後の記憶がなかったけど、兄貴に抱き締められてたから、何も見えてなかったんだよね。その後に、凄い衝撃があって…」

「道路に投げ出されたら、どうなるか想像できるだろう?あの時は、ああするしかなかったんだよ」

「あの時の兄貴は、自分はどうなってもいいから、僕だけは助けたいとか思ってたのかな?」

「アニメの見過ぎだ。そんなことはもういいから、早く忘れろ」

「兄貴はもう、充分過ぎるくらい代償を払ってるんだからさ。僕のことはもう、心配しなくていいよ」

「そうだな。お前も学校の友達とは仲良くしろよ」


 明治パークのコスプレイベントで森本さんに抱き締められた時、それまでは体に触られるのが嫌だったのに、何故か嫌な感じがしなかった。なんだ、そういうことだったのかと僕は一人で納得していた。

 意図せず兄貴の好感度を上げてしまったなと思いつつ、振り返って松山さんの方を見た。これからは松山さんが守ってもらいなよと言おうとしたのだが、彼女は目に涙を溜めていて言いそびれてしまった。

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