第23話 理想と現実の違い
講堂で終業式が終わると、教室へ戻り担任の桜井先生から成績表が渡される。これで、一学期は終わりだ。
明日から夏休みで、暫くはクラスメイトと会えなくなる。名残惜しそうに、すぐには帰らずに会話を楽しむ生徒が居る中で、僕は相原さんとの約束を果たすために彼女の膝の上に乗っていた。
「ふふっ、現国の成績が良かったのは、誰のお陰か言ってごらん」
「美咲ちゃんのお陰です」
「莉音も、ちょっとは大人の女になったわね。子供の成長を肌で感じるなんて、母性本能をくすぐられるわ」
「変なとこ触んな!」
やっぱり女性化が進行しているんだなと、頭の中でボンヤリと考えていた。後悔はしていないと兄貴には言ってみたものの、もっと違う選択肢もあったのではないかと思わないではない。
今は有りのままの僕を受け入れてくれる環境が整っているから、念願だった普通の生活が送れている。このまま女性の身なりをしていれば、少なくとも日常生活に支障を来すことはないだろう。ただし、社会人ともなれば、履歴書や戸籍謄本が必要な場面も出て来る。その時に、どう対処するかが問題だ。
流れに身を任せてばかりいないで、自分で道を切り開いて行くような人間にならなくてはいけないんだなと思う。
教室の入口に、葛城さんと奥村さんが立って、一緒に中を覗き込んでいる姿が見えた。僕に気が付いて、軽く手を振っている。
コスプレのイベントが行われる地方都市は、学校がある長閑な街よりは僕の実家の方が近い。夏休みに入るとすぐにイベントが始まるので、二人共、泊まり掛けで家へ来ることになっていた。森本さんは家庭の事情で、後から合流することになっている。
元々、葛城さんは夏休みには家へ遊びに来る予定だったし、奥村さんは自宅から学校へ通っているので、帰省する必要がない。一度寮に帰って準備を整えてから待ち合わせをするつもりだったが、このまま一緒に帰りながら段取りを決めれば良いだろう。
「じゃあね、美咲ちゃん。暫く会えないけど、元気でね」
「莉音も元気でね」
こういう挨拶が名門校っぽいなと思いつつ、僕は鞄を持って反対の手を振りながら、二人が待っている方へと歩いて行く。
廊下に出ると、二人から数歩だけ離れた所に酒巻君の姿が見えた。葛城さんと奥村さんが、僕の所へ来るのに便乗したのだろうか。
酒巻君が奥手なのは彼の自宅へ行った時によく分かったのだが、女子に馴染めないのも相変わらずのようだ。奥村さんとの数歩の距離が、そのまま彼女との距離感なんだろう。
「家へ荷物を取りに行ってから、私が寮まで行くよ。駅で待ち合わせをしても、大して距離は変わんないから」
「そうだね。大荷物抱えて、駅で待ってるよりはいいか」
僕は首を少し傾けて奥村さんから視線を外し、酒巻君の方を見た。
「酒巻君も、イベントに来てくれるんでしょ?」
「あ、ああ。あれから、ゆっくり話す機会がなかったから、色々聞きたくて」
「なんか、コスプレでゴチャゴチャしちゃってね。イベントが終わったら、映画の上映会やろうよ」
「ああ、そうだね。楽しみにしてるよ」
「渚ちゃんも来る?」
「え?うーん…考えとくわ」
奥村さんと酒巻君の、距離感を縮めようというつもりは更々ない。ただ、僕と葛城さんの他にもう一人くらい居てくれた方が、変な雰囲気にならなくて済むだろうと思っていた。でも、あまり期待はしない方が良さそうだ。
「ゆっくり話しが出来なくて、ごめんね。イベント、待ってるから」
「ああ、必ず行くよ」
僕と葛城さんが手を振って、そこで酒巻君とは別れた。普段、寮で生活をしている僕や葛城さんと違って、奥村さんは外泊することが楽しいのだろうか。酒巻君など初めから居なかったかのように、僕と葛城さんを先導して三人で仲良く廊下を歩いて行った。
衣装の材料を買いに行ったのも、コスプレでストリートピアノを演奏したのも、そして僕が帰省の時に電車の乗り替えをしているのも皆、同じ地方都市だ。
その地方都市の駅に到着すると、乗り替えのために電車を降りた。改札口を出ると地上に出ることもなく直接、地下街に繋がっている。
お母さんへの手土産も忘れずに買ってから、別の鉄道会社の駅に入り再び電車に乗り込んだ。そこから僕の自宅まで、所要時間は30分程度だ。
「動画のコメントでストリートピアノがある場所、教えてもらったから全国行ってみたいよね」
電車のベンチシートに三人並んで座り、反対側の車窓を見ながら奥村さんがそう言った。
「森本さんには言わないでくれる?あの人、マジでやろうとするから」
「え?私、本気で言ってるんだけど」
「渚ちゃんくらいの技量があれば、コスプレしなくても立ち止まって聞いてくれると思うからさ。普通にやろうよ」
「何だかんだ言っても、やってくれるのが莉音ちゃんのいい所だよね。私達、四人で冬の大三角形だから」
先日決めたコスプレのユニット名は、そのまま動画チャンネルのタイトルにもなっている。奥村さんが四人と言ったのは、葛城さんも含まれているということだ。それを聞いた葛城さんも、ニコッと笑みを浮かべていた。
地元の駅に到着すると、兄貴に電話をして迎えに来てもらった。何も魂胆がないから余計な話しをしても構わないことと、兄貴を呼んだ理由がもう一つある。
葛城さんが友達であることは間違いないのだが、性的マイノリティーという共通点があるから寮で同室になったという経緯がある。その点、奥村さんはマイノリティーでもないし寮にも入っていない。普通に友達が居ることを兄貴に見せつけたかった。
駅前のロータリーに兄貴のステーションワゴンが停まると、荷台に荷物を積み込んでから僕は助手席に、葛城さんと奥村さんは後部座席に乗り込んだ。
「莉音ちゃんの幼馴染みですね。やっと会えたぁ」
奥村さんが実際に兄貴と会うのは、これが初めてだ。いずれは僕の彼氏になると思っているから、興味津々の様子だ。
「莉音の友達なら、いつでも歓迎するよ」
「莉音ちゃんとは、いつから幼馴染みなんですか?」
「産まれた時から知ってるよ。俺は四歳だったから、さすがにオムツは変えたことないけどな」
「じゃあ、莉音ちゃんのアソコは見たことないんだ」
兄貴が鼻で笑いながら、チラッと僕の方を見た。奥村さんが半陰陽のことを知っているのは、予めメールで伝えてある。そうでないと、兄貴もどこまで話して良いのか分からないだろう。言われて困るようなこともないので、僕は特に反応をしなかった。
「小さくて華奢な奴だとは思ってたけど、別に疑ってはいなかったからな。莉音だって、自分のことを男だと思ってたし」
「じゃあ、いつ頃から女の子だって、意識するようになったんですか?」
「今でも意識してないよ。確かに可愛くはなったけど、俺にとっては弟みたいなもんだからな」
「えっ、どこから見ても、女の子でしょう?」
「渚ちゃん…運転できないから」
ロータリーに車を停めたまま車内で話しをしているので、僕が奥村さんを静止した。別に聞かれて困るような話しではないが、兄貴と奥村さんの認識には微妙にズレがある。男の子だった頃の僕を知っているか、初めから女子として接しているかの違いだろうか。
ようやく兄貴は前を向いて、車を発進させた。きっと兄貴の答えは、奥村さんが期待していたものではなかっただろう。彼女はちょっとだけ首を傾げて、何となく不満な様子だった。
自宅へ到着すると兄貴は僕らを降ろして、車を車庫へと入れる。コスプレのイベントには松山さんと一緒に来てくれる筈だから、今日のところはこれで別れた。
玄関のチャイムを押すと、お母さんがドアを開けて三人で家の中へと入る。葛城さんは一度泊まりに来ているが、奥村さんはお母さんとは初対面だ。
「同じ部活の奥村さんだよ」
「ユーチューブ、見たわよ。本当にピアノが上手ね」
「あはっ、それほどでもないですよ」
そうは言っても、奥村さんは誉められて嬉しそうにしている。彼女がストリートピアノをコスプレで演奏したのは、自分に自信を持ちたいからだ。その目的は達成されていると思う。
リビングに荷物を置いたまま、途中で買って来た手土産を食べながらティータイムを過ごしたのは、前回に葛城さんが来た時と同じだ。その後は荷物を持って、二階にある僕の部屋へと移動した。
今回は葛城さんと奥村さんの、二人分のエアーマットレスが用意してある。一つは膨らませた状態だが、もう一つは畳んだまま手動ポンプと一緒に置いてあった。まだ寝るには早いから、さすがに二つ並べると邪魔になると思ったのだろうか。
「マットレスに空気入れるの、お風呂に入ってからでいいか」
しかし、奥村さんは僕のセミダブルのベッドを両手で押しながら、その感触を確かめている。
「ちっちゃいのに、大きいベッドで寝てるのね。私もそんなに大きくないから、莉音ちゃんと一緒でいいよ」
「はぁ?」
「余裕で二人、寝られるんじゃない?私と莉音ちゃんが一緒に寝るのが一番、問題がないでしょう?」
確かに、それ以外の組み合わせでは問題がありそうだ。お母さんもそう思って、エアーマットレスを一つしか膨らませていなかったのかもしれない。
「あのね、渚ちゃん。僕は中身がね…」
「男の子なんでしょう?外側は女の子なんだから、全然構わないよ。それとも、私と一緒に寝るのは嫌?」
「嫌じゃないけど、外側だって完全に女の子って訳じゃないからね」
「朝立ちとか、するの?」
「いや、それは全く…」
「だったら、いいよ。飾りみたいなもんでしょう」
本当に気持ちが良いくらい、サバサバした女子だ。奥村さんも半陰陽について調べたと言っていたから、僕が男性としては生殖能力がないことも分かっているのだろう。
高校生になったらやってみたいことの中に、女子と一緒に寝るというのはなかった。新居さんの時には断ってしまったが、奥村さんの毅然とした態度に、僕も頑なに拒否をするということは出来なくなってしまった。
「幸ちゃん、ごめんね。一人だけ別で」
「全然、構わないから。むしろ私だけ一人で寝かせてもらえて…ぷっ」
葛城さんにとっても、飾りみたいなものなんだろうか。ツボにはまったらしく、笑いを堪えながらそう答えていた。
夕食の後は僕が最初にお風呂へ入り、続いて葛城さん、最後に奥村さんが入った。これは単純に髪が長い順番で、乾かすのに時間が掛かる人から先に入れば良いという奥村さんの提案だ。
そして寝る時は、僕がベッドから落ちないようにと壁側に寝かせてくれる。先に僕がベッドへ入り、後から奥村さんが入って体を寄せて来た。
「莉音ちゃんと一緒に寝てると百合と錯覚しそうだけど、私なんかでもドキドキする?」
スモールランプだけが点いた薄暗い部屋で、ボソボソと奥村さんは僕の耳元で喋っている。
部活内では森本さんが、女性を好きだということは暗黙の了解だ。そして、その好意が僕の方へ向いていることも皆分かっている。ただ、奥村さんは僕に幼馴染みが居るから、そういう関係にはならないと思っていたようだ。その根拠が今日、否定されてしまった。
「私なんかってことないでしょ。普通に、ドキドキしてるから」
「森本さんとは、どこまで行ってるの?美男美女って言うか、美形同士だよね」
「軽くキスされたくらいかな。森本さんにとっては、コミュニケーションみたいなもんだろうけど」
「私はキスされたことないわよ。莉音ちゃんだけ、特別なんじゃない?」
「僕がコスプレに、あんまり乗り気じゃないから、ちょっと強引なだけでしょ」
「ふーん…」
「何か変なこと言った?」
「幸ちゃんは、どうしてコスプレを手伝う気になったの?」
葛城さんはエアーマットレスをベッドとL字型に置いて寝ている。頭がこちら側にあるので、小声で喋っていても聞こえている筈だ。
「理由なんてないよ。ただ、やってて楽しいから」
「そうだよね。私も、めっちゃ楽しかったわ。莉音ちゃんも楽しそうに見えたけどな」
確かに僕は好きでコスプレを始めた訳ではないが、楽しかったことは間違いない。大勢の人から注目を浴びるなんて、普通に生活していたら体験できないことだ。
僕が否定をしないから奥村さんは勝手に納得して、そのまま話しを続ける。
「ねえ、明日本番だから景気付けに、言ってほしいセリフがあるんだけど」
「地獄へ堕ちろ」
「それじゃなくて、時空のアルテミスでほら、師匠の魔道士に、一度壊してしまったら二度と元へは戻らないって言われて、アルテミスが言い返すでしょう」
「そんなこと、やってみないと分からないじゃない。私は世界を修復するまで、何度でもやり直すから」
「それそれ、あ、勇気が出る」
在り来りなセリフだが、この後に師匠は裏切った弟子達を粛正するために、自ら命を断って未来へと転生して行く。女神様と崇められていた師匠がアルテミスに残した最期の言葉は『悲しまないで、きっとまた会えるから』というものだ。
自分の意志で時空を移動できるアルテミスは、輪廻転生を繰り返す師匠と何度も巡り合うことになる。
アニメに勇気付けられるのは別に悪いことではないと思う。奥村さんは満足気な様子で、目を閉じていた。
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