第22話 女子大生と恋バナ
期末テストが終わると、日曜日に僕は朝から着替えて寮を出て行った。実家へと帰るためだ。
七月は夏休みがあるので、そんな強行スケジュールを組まなくても
以前に松山さんと待ち合わせをした時と同じパターンで、乗り替えの駅で一度外に出て巨大なマネキンの足元へと向かった。今度は彼女が先に来ていて、僕に気付くと挨拶もなしに、いきなり抱き締められた。
「かわよっ!」
もう、抱き締められることには、すっかり慣れてしまったが、やっぱり葛城さんに比べると感触が柔らかくて気持ちが良い。
松山さんとはメールでやり取りをしているから、お互いの近況はある程度は知っている。改めて状況を確認するために、以前と同じように大通り沿いにあるカフェに入った。飲み物も同じで、僕の分のミルクティーは松山さんが奢ってくれるそうだ。
「松山さんのアドバイス通り、幸ちゃんのことを先輩に薦めてみたよ。そしたら、すんなり受け入れてくれた」
「でしょう。莉音ちゃんは、細かいことを気にし過ぎなのよ。もう一人のコスプレの子だって、ほら」
「渚ちゃんね」
「莉音ちゃんと比べられたって、勝てる気しないわよ。サバサバしてて、いい子じゃない」
「まあ、男前な女子だとは思うけど」
「さすが名門校ね。育ちが違うわ」
「それで、松山さんの方はどうなの?兄貴とは、うまく行ってるの?」
急に松山さんはモジモジしながら、ストローでアイスコーヒーをクルクルと回し始めた。他人にはアドバイスが出来ても、自分のこととなると上手く行かないのは有りがちなことだ。
「気持ちを伝えたくても、はぐらかされちゃうのよね。やっぱり、莉音ちゃんのことが好きなんじゃ…」
「それはないな。未だに子供扱いされてるからね。兄貴も松山さんの気持ちは分かってるみたいだけど、その気がなかったら、はっきりそう言うと思うんだよね。曖昧な態度を取るってことは、松山さんのことは気になってるんじゃないのかな」
「その気はあるのに、付き合えないってこと?何か理由でもあるの?」
「うーん…僕のせいかな…」
「やっぱり、莉音ちゃんのことが…」
「そうじゃなくてさ。えーと…僕が言ってもいいのかな…」
「お願い、聞かせて」
前のめりで話しを聞こうとする松山さんに対して、今度は僕がストローでミルクティーをクルクルと回していた。
「兄貴が左手に障害があることは知ってるよね」
「ええ、バイクで事故ったって」
「一時停止違反の車を避けようとして、事故ったんだよね。基本的にはその車が悪いんだけど、別の車と接触しちゃってね。治療費とかリハビリの費用は自己負担だし、他にも賠償金とかが発生して、うちのお父さんが全額立て替えてるんだな。さすがにキャッシュでは払えなくて、銀行でお金を借りたみたいだけど、どれくらいの金額なのか僕には教えてくれないから」
「え…いくら隣り同士だからって、どうしてそこまでするの?」
「そのバイクに、僕も乗ってたんだよね。学校でイジメられてて引き籠りがちだったから、外に連れ出してくれたんだけどさ。事故の時の記憶がないから後で聞いた話しだけど、兄貴は障害が残るほどの大怪我をしてるのに、僕が軽傷で済んだのは兄貴が守ってくれたかららしいんだよね。両親が兄貴と話してるのを聞いたんだけど、君は私達夫婦の一番大切なものを守ってくれたから、その恩返しだよって」
話している途中から、松山さんの目には涙が溜まっている。嘘偽りのない話しだから、これで兄貴の株も上がっただろう。松山さんが兄貴のことを、もっと好きになったかもしれない。
「立て替えてもらったお金を返済するまでは、誰とも付き合えないってことなの?」
「それは大学を卒業したら、お父さんの事務所で働いて返すことになってるよ。お互いにメリットのある話しだから、自分を戒めるようなことじゃないと思うけどな。兄貴は元から面倒見は良かったし責任感も強いから、あの一件で僕の保護者になったような気持ちなんだと思うよ。そう考えれば、子供扱いされてるのも納得できるかな。中学の時は学校へ行っても保健室で寝てばかりいたから、毎日のように勉強を見てくれたし」
「ああ…学校から泣きながら帰って来るような奴だったって言ってたわね」
「大袈裟でも何でもなくて、本当のことだよ。今はもう高校デビューして、全然そんなことはないんだけど、僕が寮に入ってるからね。今の状況が兄貴にはうまく伝わってないのか、僕が強がりを言ってると思ってるのか、中学の時のイメージのままなのかなって」
「そうか…莉音ちゃんのことが心配で、恋愛どころじゃないって感じ?」
「多分ね。まだ一年生の一学期だから、いずれ分かると思うよ。それまで待つっていうのも、アリだと思うけど」
会話が途切れて、松山さんは暫く考えていた。そして、アイスコーヒーを飲み干すと、再び話し始める。
「莉音ちゃんが今はもう、明るく元気にやってるってことが新谷君に伝わればいいのよね」
「まあ、そういうことになるのかな」
「莉音ちゃん、コスプレのイベントに出るのよね」
「まあ、そうだけど…」
「私と新谷君で、そのイベントを見に行くってどうかな?」
「はぁ?」
ただでさえコスプレを人に見られるのは恥ずかしいのに、酒巻君が見に来ることは確定している。更に兄貴や松山さんに見られるなんて、羞恥心でどうにかなってしまいそうだ。
「私も莉音ちゃんのコスプレを生で見たいって思ってたから、丁度いいかも」
「時間が解決する問題だし、それまで待てないのかなぁ…」
「ユーチューブでストリートピアノの映像を見たけど、あのゴスロリの衣装ってキュン死しそうなくらい可愛いじゃない。妹の成長を見て新谷君、泣いちゃうかも」
「泣かせなくても、普通に分かってくれればいいと思うけどぉ…」
松山さんは自分の顔の前で両手を合わせて、僕に懇願する。
「お願い!私が誘ったんじゃまた、はぐらかされちゃうでしょう。莉音ちゃんが見に来てって言えば、絶対OKしてくれると思うんだけど」
「そういう問題じゃなくてさぁ。松山さんも一緒にってなると、どうなのかなぁ…」
「そこを何とか、お願い!心配だった妹に手が掛からなくなって、心に隙間が出来るでしょう。そこへ私が入り込むのよ」
松山さんには、僕が半陰陽で男の子として学校へ通っていたことはまだ話していない。普通の女の子だと思っているから、そんな打算的なことを臆面もなく言えるのだろう。
僕がゴスロリの衣装を着てイベントに出るのを見に来てくれなんて言ったら、兄貴はどう思うだろうか。女性化が進行して、女の子らしいことにも抵抗がなくなったと思うかもしれない。実際、高校へ入学した頃に比べると、体のラインも女らしくなったような気がする。
「いいよ、言うだけは言ってみる。でも、あんまり期待しないでよね。兄貴には僕の魂胆なんて、すぐに分かっちゃうから」
「ありがとう♡莉音ちゃんのことも大好きよ」
アイスコーヒーを飲み干して手持ち無沙汰の松山さんに対して、僕はミルクティーをストローで吸い込みながら、これから兄貴に会って何て言おうか考えを巡らせていた。
松山さんは乗り替えの駅で、改札口までは一緒に来てくれた。彼女とはそこで別れて、僕は一人で地元まで帰って来た。
地元の駅には、お母さんが迎えに来てくれた。兄貴も自宅に居る筈だから迎えを頼んでも良かったのだが、敢えてそうしなかった。何か魂胆がある時は、なるべく余計な話しをしないのが得策だ。
実家に到着すると玄関に荷物を置いて、すぐに僕は兄貴の家へと向かった。勝手知ったる他人の家でも、兄貴と同じで一応玄関のチャイムを鳴らす。
「あら、莉音ちゃん、お帰りなさい。拓馬なら部屋に居るわよ」
「お邪魔します」
兄貴のお母さんも、僕が男の子として学校へ通っていた頃のことを知る一人だ。しかし、女の子の格好をするようになった今でも、何も態度は変わっていない。強いて言えば、君付けで呼ばれていたのが、ちゃん付けに変わった程度だ。逆に可愛い女の子が息子の所へ遊びに来ても、何とも思わないのだろうか。
僕は勝手に二階へ上がって行き、兄貴の部屋のドアをノックする。チャイムの音は聞こえていただろうから、そのまま家の中まで入って来るのは、僕しか居ないことは分かっている筈だ。
一応、返事が聞こえるまで待ってから、僕はドアを開けて部屋の中へ入った。兄貴はパソコンで何かしていたようだが、画面に映っているのが建築図面だということは僕にも分かる。
兄貴はキャスター付きの椅子を回転させて僕の方を見ると、視線が上から下へと下がって行った。
「お前、見る度に女の子らしくなって行くな。以前ほど会わなくなったから、変化がよく分かるよ」
「思春期だからね。もう後戻りは出来ないよ」
「後悔してるのか?早い時期にホルモン療法をやっとけば、もっと背も伸びただろうし、男らしい体形にもなれたんだろうけどな」
「後悔なんかしてないよ。このままの僕を受け入れてくれる人が、今の学校には沢山居るからね」
「そうだな。今のお前を見てたら、これで良かったんだなって思えるよ」
兄貴の部屋はあまり広くはないので、テーブルやクッションの類は置いていない。ベッドも僕はセミダブルで寝ているのに、兄貴のはシングルだ。体の大きさを考えると、僕の方が無駄に広いのかもしれない。そんな兄貴のベッドへ、僕は腰を降ろした。
「そんなことよりも、こんなに可愛い女の子が部屋に来て、押し倒そうとは思わないの?兄貴なら抵抗しないよ」
「アホか!男と寝る趣味はねーよ」
「男だと思ってるなら、どうしてこの銀のヘアピンをプレゼントしてくれたの?」
「お前が女の子としては、可愛いことは認めるけどな。でも、俺にとっては弟なんだよ」
「やっぱり、松山さんのことが気になってるんでしょ?素直じゃないなぁ」
「松山さんに、何か頼まれたな」
「あ…速攻でバレてる」
僕は体を横に倒して、お尻から上だけベッドに寝そべった。こんな状態でも兄貴は顔色一つ変えないのだから、僕が色恋の話しをするのはやはり無理がある。
「綺麗な服、着てるんだからシワになるぞ」
「松山さんに、一つ貸しだぞって言いたかったのになぁ。それで、おでこをコツンとやられて、僕がテヘペロって」
「そんな漫画みたいなことが、やりたかったのか?」
「高校生になったら、やってみたいことが色々あるんだよ。しょーもないことばっかりだけどね」
「他にどんな、しょーもないことがあるんだよ」
「お兄ちゃんとか、お姉ちゃんと手を繋いで歩くとかね。兄貴はそんなこと、やってくれないし」
「俺がお前と手を繋いでたら、警察に捕まるだろう」
「あーっ、また子供扱いされてる」
「それで、松山さんに何を頼まれたんだよ。一応聞いておかないと、俺が聞く耳を持たないみたいになるだろう」
「僕が参加するコスプレのイベントへ、兄貴と一緒に見に来たいんだってさ。無理なら別にいいよ。僕だってコスプレ見られるの、恥ずかしいから」
「俺が松山さんを誘えばいいのか?」
「え…誘ってくれるの?」
「お前が言ってた通り、俺には女子のことは分からないからな。内容までは知らんが、松山さんが相談に乗ってることは知ってるよ。お前にとって必要な人なら、無下に断わる訳には行かないだろう」
「素直じゃないなぁ。松山さんを誘う理由が出来たって言えばいいのに」
「お前に俺の何が分かるんだよ」
僕は少しムッとして、ベッドから体を起こすと、そのまま立ち上がった。
「兄貴、ちょっと手を貸して」
「ん?」
言われるがままに兄貴は右手を差し出すと、僕はその手を掴んで自分の胸に押し当てた。夏場で薄着だから胸の膨らみが、そのまま兄貴の掌の形になっている。
兄貴は特に慌てる様子もなく、平然と僕の胸を触っている。とは言っても、手を動かそうともしないので、ただ当てているだけだ。
「何がしたいんだ?」
「中学の時は男子に触られるのが、あんなに嫌だったのに高校生になって女子に触られるのは、そこまで嫌じゃないんだよね。何が違うんだろうと思って」
「イヤらしい気持ちが、あるかないかの違いだろう」
「じゃあ兄貴には、イヤらしい気持ちがないんだ」
「そういう目で、お前のことを見てないからな」
「それはそれで、なんか腹立つけど」
僕が手を離すと、兄貴は焦った様子もなく、ゆっくりと右手を元の位置に戻した。
取り敢えず、やるべきことはやったので兄貴の邪魔をしないよう、僕は部屋を出て行くためにドアノブに手を掛けた。
「それじゃ、今日中に寮に戻るけど、夏休みになったらまた帰って来るから」
「Bカップくらいか?」
「Cカップあるよ!」
ムスッとした表情を兄貴の方に向けながら、僕はドアを開けた。そんな僕の反応を兄貴は見たかったのだろう。そういうところが、子供扱いされていると感じてしまうのだ。
廊下に出て、バタンと音を立てながらドアを閉めると、バタバタと階段を下りて行った。
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